【第二夜】 2
今日は文化の日!
注文したコーヒーを持ったバーレントが戻ってきた。彼はアメリアの前にカフェ・オレを置きながら言った。
「船の右側にイルカの群れがいるらしいぞ」
「え、何それ見たい」
そう言って腰を浮かせた後で、飲み物があることを思い出した。
「あ、カフェ・オレ、どうしましょう?」
「あとでまた頼めばいい」
「ごめんなさい……」
せっかく頼んでもらったのに、とアメリアがしゅんとすると、バーレントは苦笑を浮かべてアメリアの頭に手を置いた。
「謝るほどのことではないだろう。時間はある。いくらでもゆっくりできるからな」
「はい」
アメリアはうなずいた。上着を羽織り、帽子を手にする。それをかぶり、アメリアは胸を押さえた。
少し、ドキドキした。バーレントが笑ったところを、始めて見たかもしれない。顔が整っているだけあり、苦笑であってもすごい威力だった。
「アメリア?」
「あ、はい。今行きます」
アメリアは鏡で姿を確認すると、入り口で待つバーレントの元に向かった。
「お待たせしました」
「いや。行こうか」
「はい」
迷子になるのを警戒しているのか、バーレントは手を差し出してアメリアの手を握った。一等客室の階層には専用の展望台と言うか、バルコニーがある。そこに向かおうと思ったのだが、その前に二人は足を止めた。
「ああ、わかった。イレーナはここで待ってる?」
「部屋の掃除でもしております」
「昨日の今日で、そんなに掃除することなんてないでしょ」
「そうでもありませんわ」
向かい側の部屋の扉が開いていた。そこから、女性の話声が聞こえる。ややあって出てきたのは、見覚えのある人物だった。
「あ」
「ん? ああ、昨日の帽子の」
「はいっ。昨日はありがとうございました」
向かいの部屋から出てきたのはコーレイン公爵だった。彼女はニコリと笑った。
「そう言えば、自己紹介をしていなかったね。私はディアンナ・コーレイン。よろしくね」
「あ、アメリア・アッセル・ブルンベルヘンと申します。こちらは、夫のバーレントです」
「初めまして」
バーレントも、相手が公爵とだけあって礼儀正しく頭を下げた。いや、彼はいつでも礼儀正しいが。それにしても、彼が言った通り、彼女は本当にコーレイン公爵だった。
「初めまして。お二人は新婚旅行かな?」
「ええっと。そうです」
「いいね。幸せだね」
「そう……ですね」
隣に夫がいるので、否定することはできない。まあ、不幸ではないので否定はできないか。ただ、幸せか? と聞かれても「うーん」と言う感じだ。
「公爵はこちらの部屋に?」
アメリアとバーレントは106号室だ。向かい側は105号室。二人部屋だ。誰か連れがいるのだろうか。アメリアの脳裏に、図書室で見たとび色の髪の男性がよぎる。
「いや。この部屋は私の姉と甥の客室で、私は103号室だよ」
106号室の隣だ。101号室から104号室までは一人部屋になっている。当たり前だが、一人部屋は二人部屋よりも値段が上がってくる。さすがは公爵。しかも、今、姉と甥が一緒に来ていると言っていた。
「じゃあ、私は姉と甥を探しに行くよ。お二人はどこに行くの、ちなみに?」
「イルカを見に行くんです」
「ああ。じゃあ、目的地は同じだね。姉と甥もイルカを見に行ったらしいんだ」
成り行きで、コーレイン公爵が同行することになった。バーレントがやや不機嫌であるが、目的地が同じなのだから仕方がない。アメリアは、展望台でコーレイン公爵の姉と甥だと言う二人を紹介してもらった。
「アメリア。こちらが姉のエレン。こちらは甥のフィリベルトだよ」
「こんにちは。……ディアのお知り合い?」
「エレンの向かいの客室の乗客だよ」
「ああ、そうだったの」
コーレイン公爵の姉だと言うエレンだが、全くコーレイン公爵と似ていない。銀髪に淡い緑の瞳の知的な美女であるが、エレンは赤い髪に新緑の瞳の優しげな美女だ。
一方のフィリベルトは十歳くらいの少年である。エレンが三十歳前後ほどに見えるので、こんなものだろう。フィリベルトはコーレイン公爵と何となく似ている。髪の色こそ赤みがかった金髪であるが、瞳の色は母親より薄い。顔立ちも何となく聡明そうだ。
これは、エレンはコーレイン公爵の『姉』ではなく『義姉』なのだろう。おそらく、コーレイン公爵の兄の妻なのだ。
コーレイン公爵に兄がいるのなら、何故その兄が爵位を継がなかったのだろう。クイーン・ベアトリクス号に乗っていないのは、仕事があるからとかさまざまな理由がつけられるが、爵位に関しては想像できることは少ない。
一つ。兄は異母兄であり、コーレイン公爵が前公爵の正妻の子。
二つ。何らかの理由で兄が相続権を放棄した。
三つ。兄が、すでに亡くなっている。
アメリアが思いついたのはこの三つだ。可能性としては三が高い気がするが、アメリアは聞かないことにした。女性公爵は珍しいので、後で調べようと思えばいくらでも話が出てくるだろう。
アメリアとバーレントは、何となくコーレイン公爵たちと並んで海を眺める。少し離れたところで、イルカがジャンプするのが見えた。一気にアメリアのテンションが上がる。
「あ、今ジャンプしました!」
「思ったより大きな群れだな」
「可愛い~っ」
頬を押さえて身悶えると、隣から苦笑が聞こえた。ちなみに、隣にいるのはエレンの息子のフィリベルトである。彼はまだ十歳前後と見えるのに、大人びた口調で言った。
「アメリアさん、可愛いですね」
「……可愛いのはイルカですよ」
いくら年下とはいえ、相手は貴族。アメリアはひきつった笑みを浮かべつつ、無難にそう答えた。フィリベルトは「確かにイルカもかわいいですね~」と海の方を見た。
「……イルカって触れると思います?」
何となく、アメリアはバーレントに尋ねた。彼は腕を組んで海を眺めながら答える。
「まあ、触れなくはないだろうが、この船からは無理だな」
「この船、甲板が高いですもんね……」
しかも今いるバルコニーは一等客室の客用なので、通常の甲板よりさらに高いところにある。もう少し近くで見たいし、あわよくば触りたかったが、これは仕方がない。たとえ、下に降りたとしても触るのは無理だろう。
「……どうしても触りたいのなら、何とかするが」
バーレントが言った。もう少し小さなクルーズ船、もしくは遊覧船に乗れば、イルカに触ることは可能かもしれない。だが、アメリアは首を左右に振った。
「そこまでしていただかなくても大丈夫です」
少し、興味があっただけだ。バーレントは「そうか」とすぐに引き下がった。
「仲がいいな。恋愛婚か?」
「いえ。見合いです」
おそらく、バーレントの方がコーレイン公爵より年上だろうが、彼は彼女に対して敬語だ。まあ、身分があるので仕方がない。コーレイン公爵は驚いたようだが、「いい縁だったね」と微笑んだ。この人、メンタルが強そうだ。
「ディア!」
男性の声がした。コーレイン公爵が舌打ちする。そう言えば、エレンが彼女を『ディア』と呼んでいたし、コーレイン公爵も『ディアンナ』と自己紹介してくれた。彼女の愛称がディアなのだろう。
「ちょっと行ってくる」
「ええ。怒って手を出さないようにね」
「さすがにそこまで短気じゃないよ」
コーレイン公爵はエレンに苦笑し、声の方に歩いて行った。視線を向けると。
「エレン様。あの方、誰ですか?」
図書室でコーレイン公爵と話していた男だ。エレンが「ああ」とうなずく。
「彼はハウトスミット侯爵です。ディアの元婚約者なんですよ」
「も、元ですか」
「ええ。元です。彼はすでに妻を娶っておいでですから」
エレンはニコリと笑って言うが、思ったよりややこしそうな話に、アメリアはすでに引き気味だ。バーレントを見上げると、彼も難しそうな顔をしていた。
元、とはいったいどういうことなのだろう。ハウトスミット侯爵が今の奥さんと浮気をして婚約破棄になったのか、それとも、コーレイン公爵が公爵になったから婚約破棄になったのか。……何となく、後者っぽい。
「侯爵はディアにまだ未練があるようですね」
海風になびく赤毛を押さえながら、エレンが言った。そんな母親を見上げ、大人びた十歳児は言う。
「でも、叔母上は迷惑そうです」
「そりゃあ、元婚約者に迫られてもうれしくないわよ」
相手は奥さんがいるし、とエレン。すでに親子の会話ではないが、突っ込んでもいいのだろうか。
「あの子、短気だけれど大丈夫かしら」
頬に手を当てて首をかしげるエレンは美しいが、助けに行く気はないようだ。しばらくフィリベルト共にコーレイン公爵が消えた方向を見ていたエレンは、ふっと息をついてアメリアの方に顔を向けた。
「今更ですけど、お二人は夫婦? ご旅行?」
「新婚旅行です」
「まあ。いいわね」
無表情のバーレントに笑顔のエレン。なんだかシュールだ。
「エレン様たちもご旅行ですか?」
アメリアも便乗して尋ねると、エレンは「そんなところよ」とうなずく。彼女はフィリベルトの頭を撫でながら言った。
「二年前に夫が亡くなったんだけど、最後に一緒に出かけたのがこれと同じタイプのクルーズ船だったから」
「……そ、そうなんですか」
お悔やみ申し上げます、と言うのも変だろう。何しろ、旦那さんが亡くなってから二年もたっているのだ。心の傷が癒えてきたから、旦那さんとの思い出をたどるように同じタイプのクイーン・ベアトリクス号に乗ったのだろうし、傷はえぐらない方がいい。
「短い間ですけど、仲よくしてくださいね」
「も、もちろんです」
エレンの微笑みに魅惑されつつ、アメリアはうなずいた。そこに、コーレイン公爵が帰ってきた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ませた10歳児フィリベルト(笑)
どうでも……よくはないですが、読んでいくうちにこれ、絶対犯人わかる気がする……。
ミステリーじゃないよ。どっちかと言うとサスペンスかもしれない。




