【第八夜】 1
12月。坊さんも走る。
アメリアが眼を覚ますと、何故かバーレントの腕の中だった。驚いて悲鳴を上げながら起き上がると、バーレントが眼を開いた。
「ああ。起きたか」
「って、最初から起きてたんですね!」
バーレントはアメリアよりも早起きである。アメリアが目覚めた時点でいつももう起きていて、つまり、今も起きていたがアメリアを腕の中に収めて眼を閉じていたのである。
「なかなかいい抱き心地だったな」
「悪かったですね、出るとこ出てなくて」
結構あれなことを言われたのだが何故か腹が立ち、アメリアは腹立ちまぎれに言った。バーレントが軽く笑う。この船に乗ってから、バーレントが笑っているところをよく見るようになったな、と思った。
アメリアは緩む頬を押さえ、ギュッと目をつむった。一度頬を叩き、言った。
「バーレント。最後の謎解きに行きましょう」
「そうだな……と言うか、とんでもない方面から巻き込まれてくれたな、アメリア……」
バーレントが呆れて言った。アメリアは肩をすくめて「すみません」と謝ると、ベッドからするりと降りた。
「先に洗面所を使わせてもらいます」
「ああ。どうぞ」
この辺り遠慮しないアメリアである。バーレントにも許可をもらい、今日着る予定の服を持って洗面所に向かった。顔を洗って着替える。
改めて服を脱いで確認すると、昨日の騒動でできたと思われる痣が体にいくつかあった。ひと目に触れないところではあるが、気が付くと、痛い。特に、右脇腹のあたりに出来た痣が痛い。
昨日、一応健康診断は受けたが、体調を見られただけで怪我は見られなかった。バーレントが服の上から触診を行ったが、骨が折れたりひびが入ったりしていなかったし、見た目にも怪我をしているように見えなかったからだ。
この痣、見てもらうべきなのだろうか。女性が男性に素肌を見せるのはどうかと思うが、バーレントは医者だし、そもそもアメリアの夫である。
……とりあえず服を着て、痛くて耐えられなかったら見てもらおうと思った。
アメリアが洗面所を出ると、バーレントはすでに身支度を終えていた。ピシッとした彼を見て、アメリアは言った。
「前から思ってましたけど、バーレント、身支度早くないですか」
「アメリアが遅いだけだろう」
「失敬な。女性の中では早い方ですよ」
これは事実だ。実際、アメリアの妹はもっと身支度に時間がかかるし、母もそうだ。世の中の女性はメイクをばっちり決めて髪もきれいに梳いて結い上げる。アメリアは髪の毛はそのままおろしているし、化粧は最低限だけだ。だから早い。
「それがお前らしい気もするな」
バーレントはそう言って苦笑し、アメリアの髪を指で梳いた。アメリアはギュッと唇を引き結ぶ。その時。
ぐぅ、とおなかが鳴った。アメリアは愕然とし、みるみると赤くなる。
同じく目を見開いて驚いていたバーレントは、唐突に爆笑した!
「ちょ、何なんですかぁ!」
さすがのアメリアも恥ずかしいやら驚いたやらで大声をあげてしまう。腹を抱えて爆笑するバーレントをどうすればいいのか。落ち着いた印象のあるバーレントの行動に、アメリアは動揺した。
アメリアはばんばんバーレントの肩をたたいた。触れてみてわかるが、細身に見えるバーレントは結構筋肉質な体つきをしている。
バーレントは肩をたたいてくるアメリアの手をつかみ、息を整えながら言った。
「とりあえず、朝食をとりに行くか」
なだめるようにアメリアの頬をなで、バーレントは目を細めた。今度は違う意味でアメリアは赤くなる。その顔のままうなずくと、バーレントはアメリアの手を取った。
「少し待つか。お前のそんな顔、人に見せたくないからな」
「!?」
何言ってんのこの人は。
「み、見られない顔で悪かったですね!」
「お前が可愛いと言う意味だ」
「!」
足の力が抜けるのがわかった。手をつないでいたアメリアはバーレントに支えられる。
「大丈夫か?」
「バーレントが変なことを言うからです……」
腰のあたりを支えられて、アメリアは何とか床に頽れずに済んだ。だが。
「痛っ」
ちょうどバーレントが支えてくれたところが痣のあるところだったようだ。
「どうした? どこか怪我をしたのか?」
骨折などはなかったはずだが、とバーレントは言う。いや、実際に折れているわけではないからね。
「さっき気が付いたんですけど、痣があるみたいで」
「……どうしてすぐに言わないんだ」
「いや。我慢できなかったら言おうと思ってたんですけど、今はおなかがすきました」
アメリアが素直に訴えた。痣はともかく、アメリア的には空腹が問題だったのだ。たぶん、またおなかが鳴ると思う。
しかし、医者であるバーレントは違った。
「痣と言えど、内臓が傷ついているかもしれないんだぞ。海上では詳しい検査ができないからな……」
と彼はアメリアの腹部を睨み付けた。何となく恥ずかしくなり、アメリアは「あんまり凝視しないでください」と訴えた。バーレントは「すまない」と謝り、軽く咳払いした。
「空腹なのはわかったが、先に診察をしてもいいか?」
「……たまに忘れそうになりますけど、バーレントってそう言うところ医者ですよね」
「言葉が意味不明だな」
バーレントにツッコミを入れられた。
結局、朝食はルームサービスを頼むことにして、アメリアはバーレントに促されてソファに座った。
「見てもいいか?」
「……」
無言でうなずき、アメリアは少しためらってから、ブラウスをめくりあげてバーレントに痣を見せた。
「触るぞ」
「……はい」
一応先に言ってくれたが、アメリアは緊張して顔をこわばらせていた。そっと痣に触れてきたバーレントの手は温かかった。
不意にグイッと指で痣を押された。
「痛っ!」
アメリアが涙目になる。体調を聞かれて一通りの触診を受け、さらに心臓と肺の音を聞かれ、異常なしと言われた。痣には湿布を張っておく。少し腫れていたのだ。
「驚いたぞ、アメリア」
「私も驚きましたよ……」
バーレントにそう返しながら、アメリアはブラウスを直す。痛くなくなったわけではないが、一応医者に診察してもらって異常なしを宣言されたので少しほっとした。
「でも、夫が医者だといいですね。こういう時」
「俺の出番がない方が、本当はいいんだがな」
それはそうだ。アメリアは目を細めて微笑んだ。痛いやら恥ずかしいやら涙目になっていたアメリアの目から、ついっとたまっていた涙が流れた。バーレントが手を伸ばしてその涙をぬぐう。
そっとバーレントが顔を近づけてきた。今度は、アメリアも自分から目を閉じた。
その唇が触れようかと言う時。
とんとん。
ノックがあった。朝食のルームサービスが到着したようだった。アメリアとバーレントは顔を見合わせて笑う。
「先に朝食だな」
「ですね」
すでに臨界点を突破していたが、空腹だったことを思い出したアメリアだった。
△
朝食をとったあと、アメリアはバーレント共に医務室に来ていた。他の部屋でもいいのだが、何しろ、ディアンナがまだ負傷中で医務室を出られない。十分な広さがあるとは言えないその場所に、総勢七人もの人物が集まっていた。
まず、部屋の主ディアンナに、それに寄り添うエレンとローデヴェイク。やはり笑顔が胡散臭いハウトスミット侯爵ヘルブラントにその妻ヒルデ。そして、アメリアとバーレントの夫妻。
「ディアンナ様。お怪我は大丈夫ですか」
「大丈夫だよ。昨日はありがとう」
「いえ。こちらこそ」
顔色は悪いが、思ったよりしっかりした声で返答があり、アメリアはほっとした。
「……それで、そろそろあなたの正体を明かしていただけますか」
エレンがまっすぐにヘルブラントを見て言った。彼は肩をすくめて言った。
「やっぱりばれてた? 妻にも言ってないんだけどな……」
そう言うと、ヒルデが驚いた表情で自分の夫を見上げた。ヘルブラントは妻の頬を撫で、それから言った。
「私は機密局に所属している、前コーレイン公爵の……まあ、いわば後輩だな。必要なことはすべて彼から教わった」
なんと。ここでもつながりが。
「で。私も言ったんだから、お前も言えよ。ディア」
「なれなれしく呼ばないでくれ」
ディアンナが軽く手を振り、自分の膝に頬杖をついた。どうでもよいが、この七人の中では彼女が一番身分が高いので、何をしても許される……わけでもないかもしれないけど。
「ディア。私に隠し事してる?」
エレンにそう言われ、ディアンナは目を閉じて息を吐いた。目を開いてから言った。
「私は陸軍所属の暗号解析官なんだ」
「……それは聞いたことがあるけど、現在進行形?」
「そう。オブザーバー扱いだから、退役軍人であることには変わりないけど」
エレンがゆっくりと身を引いた。
機密局と、陸軍の暗号解析官。つまり、この二人は最初からグルだった可能性がある。
アメリアは思わずつぶやいた。
「みんなうそつきばっかりだ……」
その言葉は、その場にいたみんなの心の中を代弁していた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
しばらく謎解きパートが続きます。




