蒼色の指輪
第六話 蒼色の指輪
薄暗い屋敷の応接室の端っこで、ぶどう酒を開けている白衣を着た背の高い男がいる。無精ひげを生やし銀髪をオールバックにした見た目30代の男。
軽いノックの後、入ってきた執事ルシフィスが冷ややかな視線を向け話しかける
「なんですか、それは……」
顔を上げた白衣の男、その目鼻立ちは、すべて直線で描かれたか荒削りの彫刻のよう、長いまつげの目が無ければ、無感情な印象を受けるだろう。執事はさらに近づき、ビンのラベルを横目に話を続ける
「それ一本で、わたくし達皆のお給金に匹敵する――あなたの口にはもったいない、最高級ワインなんですがね」私達とは、このカピバラ家に使える使用人達のことだ。
いっこうに悪びれた様子もなく医者のブラックフィンは答えた。
「まあいいじゃねぇかルシフィス、貴重な貴重なテレポートの書を使って、すっ飛んで来たんだぜ。これぐらいボーナス頂いたってバチはあたらねぇ……。ほれっお前も飲めよ」
自分の持っているのとは別のグラス、既にワインが注がれ置いてあった、傍のそれを差し出す。
「わたくしは飲まないのをご存知では」すげないルシフィス。
へいへいとばかり、差し出したばかりのワインを己でグイッと飲み干し「で、坊ちゃんの様子は?」
「さっき目を覚まされました。体には異常なさそうですが……頭、記憶のほうが少し混乱されているようで心配です」
後半少し語気を強め、ルシフィスは医師を問うように見る。
細長い腕を自らの胸に当て、ポンポンと軽く叩き心配するなとばかり
「そっちこそ、この天下一品の俺の腕、ごぞんじでしょうが?」
冒険者でありヒーラー職の彼は、魔法バイタルサーチでダメージ箇所を調べ正常を確認したうえ、万一のため治癒魔法ヒールをかけ、体力、精神力回復の自然治癒力を助けるため特性の薬草と。完璧に適切な処置をした。
「身体は間違いなく大丈夫だ、補償するよ」医者は請負う。
そう言われるとルシフィスにも異論は無かった。
つづけてブラックフィンは見立てを話す。
「町でのんびり過ごしてきた学生さんが、こんな辺鄙な所に突然連れて来られ、厄介ごとをしょわされんだろぉ? そりゃ、ストレスたまらんぜ、少しまいっちまうのも無理ない、記憶の件も本当は来たくなかった為に出た拒否反応かもな」
執事は医者の真ん前に立ち
「あなたには、恐ろしい額の治療費をふんだくられたんです。おかげ様で金庫がわたくしでも持ち上げられるくらい軽くなりましたよ!」
吸い込まれそうな緑の目で医者のグレイの目を覗き込む。二人の間柄から鑑みてパーソナルスペースは破られている!
「万一のことがあったら、あなたの体のツボと言うツボをレイピアでぶっ刺してあげます」
「ちっ近い近い!顔、顔!」腰が引けて半歩下がるブラックフィン。
「もしこんな所見られたら勘違いされるじゃねぇかァ! よくあんだよ恋愛小説なんかに、偶々遠くから覗いてた恋人が、ギャーあの人ったら~どうのこうのって―― その間近で覗き込む癖直せって、前も言っただろ~ったく」
勝手に動揺してる人間の医者の反応など意に介せず
「一体何の話ですか、皆目訳が分かりません」とハーフエルフの執事
「へいへいっ、そうですか。そんなら、ツボ治療で医者の不養生を解消してもらおうか――レイピア使うんなら、お前さんの昔の愛刀だったら~あの世行きだろうがな」
「くだらない話はもう結構、確実に確かめたかっただけです」
ほっそりした指にはめたエメラルドの指輪を触りながら医師は言う
「まあ安心しな。あのお坊ちゃんはツイてるよ、なんたって俺がすぐに駆けつける事が出来たんだから。テレポのスクロールは一応、一流の医者として常備してる。しかしだ……」
何を言おうとしているのか、その意をすぐに察し、ルシフィスが残りを答える。
「あなたに『コール』が届いた。装飾嫌いで、いつも指輪をする訳ではないあなたに」
『コール』とは補助魔法に属し、単純な意思を遠くへ送る手段である。ルシフィスの場合、指輪などに魔法をかけ、コールを唱えることで光反応を誘導し呼びかける。つまり魔法詠唱者に呼ばれた事を、光って知らせるのだ。
高度な使い手になると複数操作でき、この系統の最上級が『テレパシ・コール』で話さえ伝えられるのだ。
医者ブラックフィン「ふむ、俺はめったに指輪なんてしない。趣味じゃないし邪魔! あ、あともう一つ言っとくと、さっきはテレポートの書を何時も持ってるぜってな感じで、かっこよく付け加えたが……最後の1枚だったし……、金もったいねぇからあんまり用意してないんだよね~」
あきれた表情で執事「あなたがケチくさいのは、百も承知、言わなくてもだいたい分かってました……」
返す言葉なく医者「とにかく今回のはラッキーな偶然だったってことよっ」
執事には返す言葉あり「次回から、偶然なんて事にならないよう! ポケットにでも常に指輪を入れて置いてください!」
(何で俺は急に指輪をはめたんだっただろう……それは、今はまあいいか。久しぶりに来たんだ。屋敷を出る前に、もう少し大事な話をしておきたい)医師はそう思った。
部屋の空気が変わる。
「なぁルシフィス、じいさんが死んでから、もう5年になるなぁ」
「……訂正してください、失踪してからです」
泣き出しそうな眼差しで医者は執事を見る
「やっぱりなぁお前、いいかげん事実を認めろよぉ! クレアボイアンスでも! 占いでも! これっぽっちの痕跡も見えねぇ! そして、そしてな……ゆ、ユニオンでロスト認定されたんだ! これが何を意味するか分かってるだろぉルシフィス」
声は震えたがブラックフィンの目に涙はなかった。この事についてはもう枯れるほど泣いたから。
「ルシフィス……お前自身、一番分かってる。そうだろ…生きてたなら…あのじいさんが、お前に連絡をよこさない訳がない、誰をおいてもお前にだけはな……」
部屋を出て行く前、最後に名刺らしき紙を出しながら
「お坊ちゃんによろしく、こいつを挨拶代わりに渡しておいてくれ、じゃあな」
医者が部屋を出たあと、執事も壁の肖像画を懐かしげに見つめる。医師が飲んでいたすぐ傍に飾られた笑顔。
ルシフィスは何故か急に奇妙な思いに囚われた。
(カピ様の影響? それとも心から湧き上がる寂しさで、逃げ出したくなったのか?)
「もしかしたら、わたくしは紛れ込んだ異物なのでは? 今までの百数十年の記憶、これはすべて偽り。本当の自分はもっと違う世界で友と一緒に同じ時間の中、生まれ死んで行けるのではないか!」
今はもう光ること無くなった、蒼色の指輪をそっと……。
――――