はじめてのおつかい
第四十三話 はじめてのおつかい
屋敷で暮らし始めたこの数日で、すっかり打ち解け仲良しになった、新メンバーあえかなりし乙女の戦士マルスフィーアと使用人の心優しき大男スモレニィ。
カピバラ家の中でも、のんびりとした性格同士で気が合ったのだろう、マルちゃん、スモちゃんと愛称で呼び合い、まるで生まれながらの兄弟だ。むろん、画的には可笑しな様で後ろをドタドタ付いて行くスモレニィが非常に図体の大きな弟だったが。
本日は、この凸凹姉弟コンビでお使いに出かけていた。明後日、いよいよ王都へ我が家の新領主カピが出発する、そのための旅の準備、携帯食料と少々の備品を受け取りに二人で村へ向かったのだった。
いつもなら村への簡単なお使いはスモレニィの仕事だったが、マルスフィーアが村を訪れるのは初めてと言うこともあり、半ば興味本位で彼女が付いて来た形だ。
マルスフィーアにとってのこの新たな生活は、非常に心地よく幸せなものになった。沈む日に照らされた、決して煌びやかではないが荘厳な趣のあるカピバラ家の館正面を目にした時、我が家へ着いたかのような安心感を不思議と感じた。
そうして屋敷に入る彼女を向い入れた一風変わった使用人達。そう、一般的な上流貴族の屋敷にいるはずの使用人とは天と地ほどかけ離れた奇妙な者達。重ねて少ない人数。
普通の感覚の女性なら、そのまま踵を返して出て行ってもおかしくは無い。
考えてみて欲しい。一流企業だと言われ入った会社にいざ出社してみると……社屋こそ、そこそこ立派ながら、中で働く社員が皆ビジネススーツではなく、それぞれ思い思いの奇抜なファッションで身を包み勝手気ままにやっている情景。しかもだだっ広いオフィスに数人しか居ない。
これは何かの間違いだと、引き返したくなるのが心情ではないか。
マルスフィーアはそうではなかった。彼女の受けた印象は感慨。言うなれば、友達に認められ初めて秘密基地に招待されたかのような喜び。心許せる者しか決して知らない秘密の扉を開けると……そこに友がいた。初対面だが魂で繋がった……そんな気持ち。
スモレニィが真っ赤な顔で、もじもじと挨拶をした。
メイド長のプリンシアが豪快に笑う。
プリンシアはキュートなドワーフおばさん、マルスフィーアは初めて生身のドワーフをこんな近くで見て触った。魔法の才能の無いドワーフ族は彼女の育った環境、魔法学校生徒には当然ながら一人も居なかった。
白髪交じりの短髪をした頑固そうな匠、マイスターのロックが笑顔で言う
「こりゃあ~また、家にゃあ珍しく、べっぴんさんが来たの」
まるで孫を迎えるお爺ちゃん。横からプリンシアの痛い視線を感じる。
「お、おっと、プリンシアや、あんたトコの三姉妹を除きだ!」
「へぇ~そうでございますか……この家じゃあ、美しい女性は珍しいんですかぁ? ……ハァ? 除く人数が多すぎやしないかい? ねぇロック! …………残るのは男だけじゃあないか~」
そう言って、彼女は逞しい指をボキボキ鳴らす。
コック長のリュウゾウマルが最高の料理を運んできた。
彼はリザードマン、俗に言う蜥蜴人間だ。数ある亜種族の中でも異様な外観を持つため初めて見る者は大概驚く。マルスフィーアも最初に会った時は多少驚いた……が、リュウゾウマルに驚いたのではない。魔法学校で会ったリザードマンにである。学校には様々な種族の比較的高い階級に属す子息が魔法を学ぶために来ていたのだ。
その上、マルスフィーアは爬虫類独特の艶々した皮膚や大きな瞳が嫌いではない女性だった。何の躊躇も無くコック長と楽しく接した。
どこかミステリアスなヒーロー、カピバラ家の若き主人、カピが言っていた事は全く間違いは無かった。この家には最高の快適さと最高の仲間がいた。
十分満足で満たされた彼女だった。
が、この最高のチームに後一つだけ足りないものがあるとすれば……強いて言うならば――それはペット。
むろん、素晴らしく素敵で愛らしい名馬も二頭いるし、家畜も沢山飼っている。だけれど、それは少し違う、マスコットのような存在のペットが居ない。
子犬や番犬、気ままに屋敷をうろつく猫でもいい。マルスフィーアは考えた、あの伝説的勇者のマックス伯爵が住んでいたカピバラ家。
(ベビードラゴンぐらい飼ってても、ぜんぜんおかしくないのに!)
ピクニック気分で歩く二人、気軽なお使いの帰り道。
心配なんて全くない。この道は危険な動物もモンスターも出てくるはずの無い安全な道。町と町を繋ぐメイン街道と違い、のどかな田舎道。頻繁に行き交う商人の荷馬車を狙う盗賊の待ち伏せなどと言う恐れもない。
マルスフィーアは幸せだった、在るべき所にぴったり嵌ったピースになれた自分、完全な安心感。後ろに続く大きな弟へ振り向き笑顔を見せる。
ざわわと脇道の大木の葉が揺れる。
彼女は思う、この居場所を守るためならば……捨てることが出来る、そう何物をも。
スモレニィも頭で理解すること、言葉で説明することは叶わぬが、明白に大きな幸せを抱いていた。
マックスが居なくなってから感じていた心の空白、同じリズムの生活なのに何処か冷たい屋敷の空気。それがある日、カピがやって来たことで突如変化し、やがて埋まって行き、今や昔以上に温かい感覚に包まれている。
いつも通いなれた道。偶に吹く風で林がざわめく。
不安がスモレニィの少年のような繊細な胸をよぎる。時に幸せすぎて感じるという……ありもしない不吉だろうか。
先日の惨劇、森の奥、温泉近くの血祭りの後をふと思い出した。あのような恐ろしいことを引き起こしたモノの正体、原因はまだ分かっていない。
野生の勘が何かを知らせる、頭の中で真っ赤なランプが点滅する。
スモレニィは緊張した面持ちで首を左右に振り、片目を凝らし周りを注意深く見る。分からないが確かに何か感じる、魔獣の気配だろうか?
「マ、マル…ちゃん!」前を進むマルスフィーアに声をかけた。
「ん? なーに、スモちゃん」
安心感に満たされていた彼女だったが、スモレニィの声色と頻繁に周りを伺う姿を見て、しだいに不安が影をさす。
彼女を守るように、近づく優しい大男。
大した役に立つ訳ではないかもしれないけれど、槍を持って来ていない事を後悔しだしたマルスフィーア。荷物の大方はスモレニィが担いで苦も無く行けるのだが、一部でも運ぶのを手伝うため邪魔な槍は部屋に残した。
「へぇ~、やるじゃねぇか」
風が起こすものとは違う、葉と葉の擦れる音。
「俺の接近におぼろげとは言え、気ぃつくなんてな……」
男達が道を塞いだ。前に二人、後ろに三人。
全く姿を目視できなかった。カモフラージュの魔法か、スキルのためだ。
戸惑う二人を冷たい瞳で見据える先頭に立つ男。シザーは言った、低く唸るように。
「恨むなら、カピバラ家についた事を恨みな」
どんな魔獣よりも危険な相手、平穏な帰路が制御不能の緊急事態に陥った。




