風の精霊の寵愛
第三十九話 風の精霊の寵愛
新たな仲間を求め、やって来た冒険者酒場。そこで勃発した三人組のベテランパーティとの戦闘。ある意味、このバトルはカピ達にとって想定内であった。
稀代の英雄マックスの下で長く過ごしたルシフィス。今まで仲間と呼べる者は何故か自然と集まってきた。マックスに引き寄せられるかのように最高の冒険者達が。
裏を返せば、今回のように酒場へ新たな仲間、カピバラ家の使用人を探しに行くことなど皆無であったのだ。家を任された執事とすれば誠に口惜しいが、一言で言うなら、伝や情報に不足ありの不慣れなお役目。
当然のことながら、ルシフィスには相手の力量を測る目はある。がしかし、内面は、性格は早々易々とは見抜けない。その上さらに優れ者となれば己の真の力さえも見せないであろう。能ある鷹は爪を隠すである。
(今回の庸役、別に生涯の臣を探しに来たわけではないし、その様な人材が簡単にいるはずも無い。現在のカピバラ家の財力を考えても、超一流の者を雇用することは現実的に不可能。だが、これから成長なさるカピ様をサポートするため、せめて一時の補助となる者をと思い来たのだ)
先ほどの酒場での騒動と、目の前に立つ不躾な三人組を見据えながら執事は思う。
(結果どうだ……想像以上に、誰も居ない!)
ルシフィスの基準が、マックス率いたカピバラ家のつわもの達と常に過ごすことで、かなり一般レベルとは、かけ離れた高いものになっている事は否めない。
ルシフィスは大斧を持つ戦士が歩みを向けたカピの方を見る。
(流れによって戦闘になることはカピ様も承知。心の準備も整ってらっしゃるはず……あまり過保護になっては……カピ様の修行にならない)
カピへの心配と信頼の綱引きが、彼の胸の内で熱く繰り広げられる。
「よそ見してんじゃねえ!」
レンジャーの男、シザーが、素早い跳躍で切りかかってきた。
シャープな軌道で短剣を滑らせてくる。かなりの腕だ、ルシフィスは細身の剣を立て襲い来る刃に合わせた。その場から下がること無くすべての攻撃を受ける。
ルシフィスの剣、レイピアは切るというよりも突く事に主眼を置いた剣である。モノは悪くないが、実は名剣と言うほどでもない。もちろん装備強化の魔法『ハードガード』が付加してあるので見た目以上に、とてつもなく頑丈だ。
近くでシザーの相棒、ミドルソードを構えた戦士グーンが良い間合いをもってルシフィスの隙をうかがっている。無闇に深追いしない所に歴戦の経験を感じる。
「おい! てめぇの相手は俺だ! 余裕こいてんじゃあねぇぜ」
チラチラと頻繁にカピ達の様子を伺うルシフィスに、完全に舐められてると感じ苛立つシザー。
「まさか? この程度の攻撃を弾いたからって? ああ? 勝てるなんて思っちゃあいねえぇよなあぁ」
無言のグーンは分かった。リーダーがそろそろ本気を出し始める、魔法を使う気だと。
「てめえらエルフは素早いが……俺が及ばぬほどじゃあねえ……」
ルシフィスとの間合いを十分取ると、おもむろに首をぐるりと回し、肩を上下させリラックスさせる動作を取りながらシザーは話し続ける。
「そしてぇ……俺には、人間様には強い味方、優れた魔法力がある……え? 知らねぇか? どうした? この俺、粗野な言葉遣いのレンジャーには使えねぇとでもぉ?」
ルシフィスが眉をひそめる。カピが攻撃を受け始めた。
シザーとグーンはその表情を勘違いする。
「ああ~、おいおい~今さら悔やんでも遅いぜ」
(やばいとやっと気がついたかぁ間抜けめ。よーし! 来るぞ、リーダーの魔法、連続詠唱が)待ってましたとばかり、グーンの形相に笑みが自然と込み上げて来る。
シザーの詠唱が始まった!
公平を期すために記そう、魔法使いでもなく他職で、且つ今のレベルと年齢を鑑みると、決してうぬぼれでは無く確かに彼は優れた才能の持ち主であった。
「プロテクトボディ…マッスルブースター…クリティカルアップ…ハードガード!」
次々と魔法のエフェクトが煌き光り現れ、彼にかかって行く。
シザーの体を防御魔法の淡い膜が覆い、茨のような白い稲妻が手足に光り筋肉の動きが活性化する、両眼に輝きが溢れ、全身の神経との直結ルートが強化され確実な攻撃がいっそう可能になった。最後に唱えた装備強化の魔法は、本人自身が詠唱することによって全身装備すべてに影響が及び、強度が格段にアップした。
強力な魔法の力に包まれ自信に満たされるシザー、目を浅く閉じ、思わず涙腺が緩みそうになる位の感動の武者震い、超人的なパワーアップを肌で感じる。
「うっぅ…………へいへい~これでお前に負けることはねえ……」
シザーが、とてつもなく嫌らしい笑いを浮かべた。
「あ~ああ? もしかしてぇ~コレで終わりだと思ってるぅ?」
ルシフィスは無言。
さらにシザーは二本指を額に軽く当て集中する。目が大きくカッと開き血走る、彼の興奮が頂点に達す。
「じゃ~あ、口開けて……驚きと絶望の中……死ねよ――ヘイスト…オブシルフ」
彼自身の頭上に幾何学模様の淡く光る円形魔方陣が浮かぶ! 上級魔法の発動だ。回転しながら体を中心に上から下へ降りて行く。
驚くべき効果が付与される、彼の行動スピードが倍近くに跳ね上がった!
補助魔法『ヘイストオブシルフ』動くスピード、素早さを倍増する至極高度な加速魔法。決して初級冒険者などが扱うこと及ばない、シノビクラスなどの限られた上級職のみ使用を許された魔法である。
「アハハハッ、お前も終わりだな」
シザーの神々しさまでも感じるその魔法に、相棒のグーンも興奮し思わず笑う。
ルシフィスも明らかに驚愕の色をその緑の瞳に浮かべている。
何者をも超越し、神か魔王にでも変身したかの自分をすべての者が恐れる! この感じが堪らなく心地良いシザー……遊び心が出る。
さっきまでとは比べ物にもならぬスピードで飛び、ルシフィスの元へ寄る。目に見えぬ軌道で短剣が光る。ルシフィスの髪が宙に舞う。
パラパラと舞い散る美しい一房の黒髪。既にその場には居ない、笑いながら跳躍を続けるシザー。並みの者では動きが全く捉えられない、シュンッ、空を裂く音と土煙を残し消える。空間をワープしてるかの錯覚を覚える。
「どうだ? 見えねぇだろう」
(くはははっ、この感じがたまんねぇ)
もう一度左右に飛んだとき、少しバランスを崩す。
(ちっ、いけねぇ、さすがにMPが尽きかけてんな)
連続で魔法を唱えたことに加え、高度な魔法を重ねたため、MP、マジックポイントをかなり消費したのだ。MPは魔法を唱える為のエネルギー、力がスタミナを使い肉体が疲れるように、このことは大きな精神的疲労となる。
動揺する愚かなエルフを目にし、満足感に満たされたシザー
「お遊びは終わりにして、けり付けるか――あああ!!」
――ルシフィスの頭上に円形魔方陣。
「ヘイストオブシルフ」甘く低い声が響く。
人生で最大の驚きがシザーの首を吊る、両目が飛び出し一瞬息が詰まるよう、だが限度を超えた驚きの大きさは、すぐさま真実を覆い隠す。
(嘘だ!!!!! あれはぁ! そんなことありえねぇ! そう簡単にこの魔法を使えるわけねえぇ!)
既に攻撃モーションに出ていたシザーは、止まらずルシフィスを殺しにかかる。
輝き高速回転する魔方のサークルが足元に消えかける、詠唱終了直前のルシフィス、己の喉に迫る刃をギリギリかわした。
(へっ! 遅せぇぜ、やっぱりお前には使いこなせてねえんだぁあ)
ルシフィスのゆるりと魔法を唱える速度に加え、攻撃の短剣を何とか紙一重で避ける鈍い動作。すべてをしっかり捉えたことでシザーは自信を取り戻した。無理やりに。
(やれる! 次で首を掻っ切る)
剃刀の様に鋭利で滑らかに反った短剣を、握った掌で半回転返し、刃を逆に持ち直すと同時に反対に腕を振るう。神業、ヘイストの効果と相まって、この返しの太刀筋を避けることは不可能であろう!
ルシフィスの白い首筋を正確に一閃し裂いた。
グーンの足が止まっていた。いつもの必勝パターンでは、どんな強敵でもシザーが高速魔法を唱えた後は、すべての神経をそちらに注がざるを得ないため容易に追い討ちを仕掛けられた。
このままシザーと足並みをそろえ、飛び掛り、より確実に仕留める。
そのはずが……目の前のエルフが、唱えだしたのだ……同じ魔法を。
(同じ?? シザーと同じヘイスト……?? だと???)
疑問符が踊る。信じられないが、もしそうならば、なおさら手助けしなければならない……そう思いつつも足が付いて来ない。
(俺も攻撃に加わらなければ……同じ魔法を使われちまった……スピードが互角? になっちまうよぉ…………だけど……本当に?…………同じ?……魔法……なのか?)
シザーの短剣でルシフィスの首が半ばまで切り裂かれた。
揺れて消える残像の首。
ルシフィスは数メートル離れた場所に居た。
「すみません、わたくしも……そろそろけりを付けたいので」
シザーの想像を遥かに超えるスピード、有り得ない、彼の脳内を一言が埋め尽くす。
「!」(嘘!)
鍛錬の賜物、そして才能か、思いとは裏腹に次の攻撃を仕掛けるシザー。すべての迷いを吹っ切るかの連続切りをかける。その刃は音速を超えソニックブームを生む。そこらの冒険者やモンスターに、この攻撃で生き延びるものは居ない。
ルシフィスはレイピアで受けるのも止めた。短剣の動きが遅いのだから。
呆けた様に突っ立つのみ、グーンの思考が結論を出す。
「リーダー……、同じ魔法なのかぁ? ほんとに…だってよぉ……」
(奴に見えたのはよぉ! ぜんぜん違う……魔方陣、光の強さも、回る早さも違ったじゃねぇか!)
その結論は正しい。シザーの『ヘイストオブシルフ』とルシフィスの『ヘイストオブシルフ』錬度が違った、同じ魔法でも威力が異なっていたのだ。冷酷な数値で表すならば前者のスピードアップ効果は1.5倍、後者は――
3倍にも達していたのだ。
シザーは残像を切り裂くだけの虚しい攻撃を止め、仕切り直しの間合いに飛んだ。
彼の受けた驚きは、恐怖を連れてやって来る、しかしさすがに幾つもの死線を潜り抜けてきただけはある。何とか狂乱への崖っぷちぎりぎりで踏みとどまり、自分の優位点を計算する、まだある! スピードだけではない、他の魔法による強固な防御力。
(瞬殺は……無理だが、ま、まだやれる、どんだけスピードが上回ろうが、しょせん奴の攻撃は俺には効かねぇえ、持久戦だ!)
また、ルシフィスが余所見をした。
「!」
(はっ! 持久戦? そうだ! あのガキだ! あいつを上手く使えば勝てる!)
ルシフィスに、このバトルで初めての不安な一瞬が訪れた。
少し前、シザーの高度な魔法に驚愕したと? 違うそうではない、あれは他のことに気を取られていた! カピの恐るべき上達に驚いていたのだ。
(何てことだ……、あの斧使いのすべての攻撃を! 軽やかにかわしてらっしゃるではないか、おおっ何てことでしょうカピ様!)
あまりの感激に、戦闘中だというのに涙しそうになったルシフィス。
(間違いなく、カピ様はマックス様の孫。この上ないほどに確信いたしました、カピ様の才を僅かでも疑ったこのわたくしは、まったくもって『下衆の上の中』でございました)
だが今、そのカピの戦況、雲行きがややおかしい。
レイピアを構える。両足を広げ少し腰を落とし屈む、右手を前に出し、左で突く構えを取る。気のオーラが高まり刃の先端へ凝縮される。
「撫子紅式」
瞬間、シザーの眼前に立つルシフィス。スクリューのような赤いオーラの波を纏わせ、レイピアの刃が唸りを上げる。
赤い光のドリルは心臓を捉える軌道を描くが、胸に当たる刹那、上にずれ左肩を砕いた。ルシフィスの一点突破型の剣技の前には、幾重の魔法防御も紙のごとく。
固い防御効果で打撃点がずれたのではない、意図して外したのだ。カピの言葉を思い出しただけ。
「ルシフィス。戦闘になったら、相手を殺さないようにね。出来れば戦意喪失、参ったで終わり、でよろしく。まあ……戦いでこんな甘いこと言ってちゃダメだと思うけど…………なんかね……」
何が起きたか理解する間もなく、回転しながら宙を舞い吹っ飛んだシザー。空中で意識が飛び、地面に叩きつけられた時の衝撃はもう感じることも無かった。
信じられない思いで見ている相棒のグーンがミドルソードを落とす。もう戦う意志は無い、この戦いで自分が、実質何もしなかったことが信じられないぐらいに心身ともに疲れ切っていた。
長い間、泡を吹いて転がっている仲間シザーの元へも駆けつけられぬほど。
ルシフィスはそのままカピの元へ動く。
もしかして、また自分は判断ミスをしたのではないか? 百分の一秒かもしれないが遅れた。
見たくない光景、恐ろしい光景。
カピが斧でぶった切られ――
――槍で貫かれる。
そんな幻、現実が目をかすめた。




