酒場の主人のあの台詞
第三十七話 酒場の主人のあの台詞
冒険者カピが意気揚々と酒場の扉を開け放った時の、店内の客達の寂しいノーリアクションとは一転して、興奮のアクションカットがいよいよ繰り広げられ始めていた。
少々プライド高い執事のルシフィスが、粗暴で老獪そうなレンジャーチームと揉め事を起こしたと思った矢先、カピとそう変わらぬ年頃の眼鏡をかけた新米冒険者が、火中のクリを拾うがごとく蛮勇にも仲裁に飛び込んできたのだ。
現実に見られるとは思わなかった豪快なこけっぷりに、あっけに取られる男達の前でヨロヨロ立ち上がる仲裁者。栗色の美しい髪を乱れさせ、マルスフィーア自身もしばし我を忘れていた。
「なんだぁ!? お前、女か?」
その言葉ではっと我に返り、ずれてしまった眼鏡を慌てて定位置に戻すと顔を赤くした小リスのように周りを見回す。脱げかけてる帽子を取り、肩甲骨の下ぐらいある乱れた長い髪を軽く整えながら、もはやお邪魔な様子の現場から少しずつ離れようとした。
確かに彼女の行動は場を一時的に静めるには効果的だったが……。
沸騰した湯にほり込んだ、ビックリ水の効果が消え始め……またグラグラし出した。
だが今度の沸き立ちは、少しベクトルが変わった。
多少、酒の回った筋肉の鎧を着た戦士、生意気な雑魚の小僧達はもうそっちのけで彼女に絡みだす。
「おお! いいねぇお嬢ちゃん、言うとおり! 喧嘩はやめて俺とイイ事しに行こうぜぇ~げへへへ」
ライトアーマーの戦士も、どうやらそちらに切り替えた様だ。
「おう坊主。命拾いしたな。俺たちゃ、このべっぴんさんと一から飲みなおすぜ」
マルスフィーアに寄って来る涎をたらした狼達。男達を引き寄せるほど彼女は紛うことなき美少女だった。むさ苦しい男が多く屯する冒険者酒場となると、それこそ掃き溜めに鶴の写し絵。
木目細かい白い肌に、健康的なピンクのふっくらした唇。大きな丸い茶色の瞳が眼鏡の奥で潤みを帯びてこちらを見つめる。
「なあ~姉ちゃん、冒険者なの? クラスは? やっぱ弓使いか?」
「戦士じゃねえよなぁ、そんな折れそうな体じゃ……」
彼女の装いを見れば、革製の軽装備。ユニオン冒険者のクラスで選択するなら、彼らの予想がピッタリ来るが、それ以前の選択肢を含めるなら、まるで戦士の舞台衣装をおざなりに着せられた女学生だ。
やや遠めに立ち、仲間と女の様子を見ていたレンジャーが一瞬、身構える。
(! まさか…あの服装に誤魔化され! あいつ魔法使いか?)
彼がそう懸念を抱くのも健全。もしも魔法使いなら、少女の外見と言えども決して侮れないことを知っていたのだ。
嘘が苦手なマルスフィーアは真っ正直に答える。
「え~と……。ちょちょっと、すみません。えぇまあ私は冒険者です……けど……」
細く白い両手を上げ、ますます寄って来る男達を多少でも遮ろうと努力する。じゃれる犬を面白がらせるだけで無駄なあがきではあったが。
少しペースを上げた後ずさりで、自分の席に戻りだす。
「お~い、どこ行くんだ? 俺達の席で一緒に飲もうぜ~」
「い、いえ、その言葉、お気持ちだけで、結構ですからお構いなく……」
彼女がサッと振り返ると椅子に置いた自分の荷物が見えた。その側に立てかけてある棒を握る。
「わ、私はこれでも、れっきとしたランサーです!」
彼女は棒を胸の前で持ち、冒険者のランサー、槍使いの戦士だというのだ。
「わぉ! 俺達と同じ戦士、それはそれは、ますます親睦を深めねぇとなぁ」
巨漢の戦士は、この状況に快感を覚えるばかりで引く素振りなど一切無い。まずい状況に追い込まれつつあることを理解したマルスフィーアの額に汗がにじむ。
「そ、それ以上近づくと、容赦しませんよ」
マルスフィーアはそう言って、棒の先端に結ぶ紐を解き槍を構えた。
「ぷっ、ガハハハッ、なんでぇその細っせえ槍、そんなものランスじゃあ無く棒っ切れじゃねぇかよ! いいぜぇ刺してみろよ」
「そ、そんな……そんなこと言われると困ります」
元から刺す気などこれっぽっちも無かった彼女。と、躊躇した隙に戦士は太い片腕で槍を掴み簡単に奪い取る。一瞬何が起きたか理解できない、空っぽの自分の両手を呆然と見ている。
「武器を向けたんだぜ、お嬢ちゃん、落とし前……付けねぇとな」
顔を上げると、もう一人の戦士も迫ってくる。
最低最悪の状況だ、でもこれは自ら招いた事態……仕方が無い。甘んじて受けるしか……唯一の救いは、先ほどの少年達が怪我しなくてすんだこと。きっとこの隙に酒場の外へ避難してくれただろう。マルスフィーアは彼らの居たテーブルの方を見やる。
(ほら、あの席には誰もいない……うん、良かった……これで)
口元に下劣な笑いを浮かべた男が、あきらめ目をつぶったマルスフィーアの華奢な肩に手を伸ばし引き寄せようとする。
――が、一定以上出した腕が前に行かない!
「ぐっ?!」
理解不能状態の男のすぐ側で声。
「どうなる事かと思いまして、見ていましたが…やっぱりどうにも成りませんね」
ルシフィスが知らぬ間に横に立ち、戦士の太い腕を掴んでいた。
流れるように体を回転させ、反対に回ると同時に男の握った拳から、さっき奪い取ったマルスフィーアの槍をいとも簡単に引き抜いた。
「はぁ」と少しため息をついて、ぽかんと口を開けた彼女に槍を返す。
歯軋りで顔がゆがむ戦士。何が起きたのか? 完全な理解こそ出来なかったが、何かとてつもなく舐めた真似をされたと言う事は痛いほど分かる。
「なにぃ! おめぇ。いつの間に! ガキがぁネズミみてぇにコソコソ近づきやがって、ぶっ殺してやる」
思いっきり太い腕を振り、バキッ!! 近くのテーブルを素手で叩き割った。筋肉が盛り上がり男の怒りのボルテージも上がった。
その顛末を、一歩引いた後ろから傍観しているリーダーの男。
周りで侮蔑的な呟きがポツリポツリともれるのを耳にした。予想より可笑しな雲行きになってきたぞ、大口を叩いていたベテランがガキに舐められているぞと。
振り返り、只の人間のガキであるカピを見る。そこに居ない!
もう一度仲間の方に視線を戻すと、立っていた。エルフと女の横に。
(くそっいつ? いや! 所詮あいつは無能なガキだ、俺の感覚に間違いねぇ。冒険者かどうかも怪しい。だがあのエルフ…………俺と同じレンジャーか? 少しばかり腕が立つようだが)
ルシフィスの後ろでマルスフィーアは自分の不運を呪う。いつの間にか側に来ていたカピにも気が付き、彼らの英雄的行動に驚くと共に、申し訳なさそうな顔になる。
(ほらまたやっぱり……私は本当に運が悪い。面倒なこと引き起こしてる、しかも…こんないい人達も巻き込んで……)
レンジャーがベルトに両手をかけ威圧的な歩みでツカツカと仲間の下へ進みながら、カピを見下ろし近づき言った。
「坊主、舐めんなよ。ちっ! どうせ……パパが金払って、物珍しいエルフの用心棒を雇ったのか? ああん? それで、お前は王様気取りって訳か? お見通しだよ」
「じゃあ、おじさんは? 下衆な悪党気取り?」
レンジャーは腰の短剣を抜いた。
革鎧で身を隙無く覆い、鋭い眼光を向けるレンジャーを先頭に、二人の戦士がそれぞれの得物を手に持ち、闘志むき出しで並び立つ。
カピはルシフィスが若干、面倒そうな表情を見せはしたが肯いたのを確認した。
店のマスターが例の台詞を言う。
「お客さん。揉め事なら外でやってくださいよ」
ヒーローには、次に言うべき言葉が自然と浮かんだ。
「バトルだ!」
「ガキ共がぁああ! 表に出やがれぇ!!!」
――――戦闘開始
カピ:ヒーロー、ルシフィス:???、マルスフィーア:???ランサー
VS
シザー:レンジャー、ヌッパ:戦士(斧使い)、グーン:戦士(剣使い)




