ひまわりの花
第三十二話 ひまわりの花
カピバラ家の厨房に立つ、たった一人の料理人なのだが「コック長」の肩書きを誇る冒険者リュウゾウマル。彼が奮発して揃えた高級食材のメニューが夕食時のテーブルに所狭しと並ぶ。いまや金欠の我が家にとっては珍しい品揃えとなった。
「せっかくの良い食材を無駄には出来ないでござる。新鮮な内に全部使ったので十分に堪能召されでござる」
食堂に現れたリザードマンのコックはそう言って、さあどうぞお食べなさいと鱗に覆われた手を広げた。
その日、午前に開かれた最重要会談の主賓がさっさと帰ってしまったため、結果的に不必要になった品々だったが、心配無用、大喜びで皆の胃袋に納まりそうだ。
領主カピが立ち上がり「ジャーン」と言いながら、書類を広げ掲げて見せた。
晩餐のテーブルを囲むみんなが「おお~」っと喜び、拍手が沸く。
国王に提出する、カピが正式にカピバラ家領主と世間から見なされるための、家督相続認め願いの書。はっきりと有力領主のアザガーノ侯爵、サザブル伯爵の推薦人の署名が入っている。
祝福ムードにあふれる盛大な夕食会の中、中年男性が声を出す。
「いや~めでたいめでたい! めでたい……中、水差すのも何なんだが、おひとつ…こっちもはっきりさせときたい。ルシフィス?」
会談における、あの終盤の修羅場の中、急遽コールの魔法でルシフィスに呼び出されていた医者のブラックフィンがその執事に聞く。
「俺の診療費と出張代! 幸いに、だ~れも怪我無く、そりゃあ治療はしてねぇよ。ただなぁ今回こうして、お目覚めになられた……まあ~俺のおかげって言ってもいいねぇ……元気はつらつなカピお坊ちゃんに会って、きっちり病後の再診をした訳だし…」
カピは話には聞いていた、カピバラ家のかかりつけ医とも言える冒険者のヒーラー、つまり回復特化の魔法使いでもある、ひょろ長い白衣の男、ブラックフィンに初めて顔を合わせることが出来た。
医師の検査で、カピの体はすこぶる健康、悪い兆候も無いと太鼓判を押された。
「先生! ありがとうございます!!」カピは何回目かの感謝をやや大げさに言う。
「いやいや~医者として当然の勤め。……で、話は戻って、ルシフィス! 同じ話になるけどよぉ、アシ代でも……テレポートの書ですっ飛んできたんだぜ、相当コレがかかってるんでございますよ」
指を丸めお金のサインを作り、冷たい表情のままの執事に訴える。
テレポートとは目標地点へ瞬時に飛べる、最高位魔法である。その威力が封じ込まれたスクロール、魔法の書は大変高価なレアアイテムだった。
テレポートの魔法にも数段階のレベルがあり、ブラックフィンの使用したタイプは決められた目標地点、この場合カピバラ家に、制限無き安定環境でのみ瞬間移動できる比較的安価な書であった。安いとは言え万単位のクルワを支払っているのだが。
「ブラックフィン先生! 本当に感謝してます! ヒーラーの重要性は、僕十分に分かってるので、口先だけじゃないですよっ、ほんっと~うに心の底から先生が凄いって思ってます」
カピがキラキラした目でブラックフィンをべた褒めする。
「いや~そう? カピ~若いのに、そんなに理解してくれる? まあねぇ冒険者つったら、戦士に魔法使いぃ? もちろん派手な攻撃系のね……そいつらがやっぱり幅を利かせてる、憧れのクラスだろ~、所詮回復役なんて、必要な時だけ呼ばれちゃう、こき使われちゃうだけなのよ」
「でも先生、普通の社会生活では、お医者さんなんて言ったら、めちゃくちゃ尊敬されるモテモテな職業なんだから! すごい羨ましい! かっこいい! 素敵!」
カピのおべっかまじりのお褒めだが、満更でもなくついつい、にやけ顔になる
「ま、まあね……お金持ち貴族共に尊敬されてるっちゃあ、そうだわな、自慢じゃないけど、俺、名門カピバラ家も認めた超一流だから…………って! そんな話じゃなく」
ブラックフィンの守銭奴パワーが、なんとか心地よい誘惑を押し切った。
「もう! こうなったら直接。カピ! カピ君! お金払ってよ~じゃないと今回、完全に赤字だよ! 俺、一番きらいな言葉これ、あ・か・じ。今までこの嫌~な状態になったなんて、数えるほどしかねぇんだから~」
「先生? 料理美味しい?」
「ん? ああぁ……美味しいよ、さすが名コックだな」と言いながらモグモグ食べる。
カピが、ふと思い出したかのようにわざとらしく
「あ~そうだ、ルシフィス。先生から会費は頂いた? 夕食会の」
医者にぐっと顔を近づけ、思いっきり力強く執事は答えた
「いいえ、まだでございます」
ブラックフィンの腰が少し引け、何の話だ? と食べてる口が止まる。
カピが幼稚園の先生の様に「みんなはもちろん払い済みだよね~」
「は~い」プリンシア。「払ったぞ」ロック。「う…う、うん」スモレニィ。
「拙者もしっかりと、料理人なのにですぞ!」とリュウゾウマル。
最後に執事が「わたくしも、しっかり納めました」
全員で、とんでもない嘘を言い切った。
「ブラックフィン先生~カピバラ家の、名門の祝賀会ですよ~そこに招待されたのだから、それなりのコレを払ってもらわないと」
カピが意地悪く同じように指でクルワ、お金のサインを送る。
「……」目を丸くするブラックフィン。
夕食会に集いし、会費を納めた…であろう真っ当なメンバーの純粋な視線が、ただ食いせんとする不埒な医師の顔一心に集まった。
「あ~~~もう~! わ~ったよ。ほれ全部もってけ!」
意外と分厚い財布を執事に投げよこした。
チャリ~ン、カピバラ家の金庫が、やっと微小ながらプラスに転じた。
「それにしても大変だったのぉ」その場にいなかったロックが水を向ける。
ルシフィスが会談の流れを、かみ締める様に一つ一つ思い出しながら言う
「何が一つ、僅かに変わっても、どうなっていたか…わたくしには想像もつきません。……中でもあの時、あの瞬間コック長が飛び込んできたのには驚きました」
「いやぁーすまぬでござる。とんだメインディッシュを出してしまう所でござった」
頭をかくリュウゾウマルに向け執事は続ける
「いえ、誤ることではありません。さっきも言いましたように、なにが最善だったのか終わった今となっては分かりませんので。只一つ言えるのは上手く行ったと言う事です」
「そう言ってくれると、いくらか楽になるでござるよ」
「ホントにもう~コック長ったら、早とちりなんだから、あたしは只、水をかけられて顔が濡れてただけなのに! すっかり勘違いしちゃって」
ドワーフのメイド、プリンシアが陽気にコックに話しかける。
「いや~面目ござらん。プリンシア殿が、しょげてたのでてっきり……」
「まあ…肩を落としてたのは本当だけどさぁあ」
思い出したのか、彼女の顔にほんの僅か影が差す。
「プリンシアには辛い思いをさせて……悪かったね」
カピが心からの労いを込めて言った。
「何をおっしゃいますか! お坊ちゃま~!! あたし如きのためにあんな真似をさせる事になってしまい~そ、それを思うと泣きそうです~」
と言って実際によよと泣き出した。
「なか…ない……で」そう言ってスモレニィが包むような大きな手のひらで、彼女の肩を叩いて慰めている。
すべて終わり肩の荷が降り緊張が解けた為であろう、思わず感極まってしまったプリンシアの泣き声がやみ、少し間を置いた後カピは呟く。
「僕も……てっきりプリンシアが泣いちゃったと思った、うつむき加減だったし」
「坊ちゃま~嬉しいよ、でもね! このプリンシア、あんな事ぐらいじゃ~めげやしないよ、安心しておくれ。今朝はね、風が強かったでしょ~それで目にゴミか睫毛が入っちゃってね、それでずっとしょぼしょぼしてたの!」
「な~んだ! そうだったのか~、ああ、安心した」
そう言えば、今朝は珍しく風が強かったと思い出すカピ。
「こう言っちゃあ何だけどね~、あたしがヤル気だったら、もうあの三人は今頃ベッドの上か墓ん中よぉ、なんたってカピバラ家筆頭メイドなんですからね! 優しいお坊ちゃまに感謝しなさいってなもんですよ」
プリンシアのこの言葉、見栄でもハッタリでもない。ストライカープリンシアの間合いに確実に踏み入っていた彼らは、彼女の達人的超スピードのゼロストライクを食らい、あの世送りにされていてもおかしくは無かったのだ。
侍のコックは、あの嫌~なオーラに包まれる感覚を思い返し言う。
「拙者も、まだまだ修行が足りませぬ。あれ如きの気迫で一歩も動けなくなるとは…………。若様! 側にも行けず申し訳ござらん、平和でちょいと料理の腕に重きを置きすぎたでござろうか?」
カピを見つめるリザードマンの大きな眼は、何か問いたそうな感じもした。
「う~んリュウゾウマル、そう気にしなくていいんじゃない。だって平和が一番、料理の修業も大事だと思うけど、こんなに美味しい料理が食べられるんだし…………ん? そうだね、達人同士にしか分からない気の駆け引き? 僕には想像つかない世界だ~」
「……若」侍は、何かを言いかけたが、止めた。
ただその目には、若い主人に対する尊敬の念がより強く浮かんでいた。
賓客の面々を思い浮かべながら格闘の達人プリンシアの顔が曇る。
「でも……あのやばい男、アザガーノとバトルとなると……たしかにねぇ。素早いあんたとの連携で何とかなる?」
「……まあ……どうにもならないでしょうね」
執事も暗く、その言葉を受け言った。
死の淵を覘いたルシフィスは改めて思った。
(予定とは全く違ったが、文句の付け様も無い上出来な終わりだった。……幸運にも。あのアザガーノの思惑は分からないが…今のところは良かったというべきか)
そしてカピや仲間の笑顔を見て強く思う、またこの場に居られる幸せを。
カピは慌しく過ぎた一日をほっとした気持ちで振り返った。初対面した厄介な領主達との今後の付き合いと言う悩みも出来たが、家の皆の力強さがますます感じられ、一家の主として誇らしくもあり嬉しい。
特にプリンシアが傷つき泣いていたのではなく良かったと安堵した。
むろん真実は、彼女本人にしか分からない胸の内にしまわれた……。
――軽快な足取りで街道を家路へと進む馬軍。
アザガーノ侯爵一行だ。
真っ黒な外套をはためかせ先頭を悠々行くアザガーノ。それより頭一つ下がって併走するサザブル伯爵が話しかける。
「今日はあれでよかったのでしょうか? 多少強引にでも潰してやればと」
「…まだ大事にするほどではない」
真っ直ぐ前を見据えたまま、横を見もせず返事する。
「……どん底の家、少年を載せて進む筏がどう流れていくか……もうしばらく様子を見ようではないか」
少し開いた口から犬歯が覗く、笑っているのだろうか。
「そうですなぁ、仰るとおり侯爵殿、あの若造は何も知らない無知な子供。私達の手で何とでも容易く操作できましょうぞ、……さすれば、あの場所…手に入れるのも簡単」
いつもの様に、偉大な黒の侯爵に話を合わせるサザブルだったが、少し口が滑る。
アザガーノが鋭く見る。
「……」
思わず、サザブルの馬の勢いが落ち距離が開いたため、少し大声になりながら
「いやいや! それにしましてもさすがアザガーノ侯殿です! あの究極に張り詰め混乱した間を一瞬に収めなさるとは! 毎度ながら恐れ入ります」
結果、サザブルは自分の行動をだしに使われたのだったが、アザガーノへの服従心からその事実への不満は一切浮かばなかった。
「……」
神妙な顔つきになり、アザガーノも今朝を振り返った。マックスなきカピバラ家、やはりあそこには誰もいなかった。自分の脅威となれるような人物は、ハーフエルフのルシフィスさえも眼中に無い。
オーラを放ったとき、誰もが苦しみ私に屈服した。恐れの念を抱いた。
只一人を除いて。
只一人、あの少年、カピを除いて。
あの少年だけは、立っていた。眉一つ動かす事無く。
そよぐ風の中、凛と立つ向日葵のように。
(有り得ない。何か特殊なスキルか? それとも体質か。私の思う以上に鈍感な通常人がいるのかもしれない。それこそ、そこらのゴミ、塵芥のような存在)
もう一つの可能性……有り得ない。
それ以上思考することを、アザガーノのプライドが許さなかった。




