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涙粒ぽろり

第二十九話 涙粒ぽろり


 メイドのプリンシアが水差しとコップをお盆に載せて応接室に入ってきた。


 下を向いて伏目がちな彼女の顔には、いつもの明るい様子が消えている。これは、執事の指示で大人しくしているという感じではない、全くもって元気が失われていることに主人のカピは気付く。


 彼女が壁際に備えたテーブルにそれらを置いて、コップに水を注ぎ始めると……。


 「ふぅ~」わざとらしい大きなため息をサザブルがついて言う。


 「カピ君カピ君! 頭が痛くなるねこりゃ」手を額に当て上向き、呆れたとばかり


 「私達に言わせれば、まったく多くの面でマナーのなってない田舎貴族のカピバラ家だが……もはや言葉も無い。あれは何だね? ええ? 小汚いドワーフの髭女中だなんて」


 コップに注ぐ水差しの口が、震えてる手で入れるゆえカタカタ当たる。


 「この世は私達魔力に優れる人間が支配しているのはご承知で? あやつらドワーフは全く魔法を使えない、神に見放された下等な種族。その様なものを我々高貴な人の側に近づけるとは……おお! まったく嘆かわしい」

 サザブルは「まったくまったく」と明け透けに蔑む。


 サザブルの言うことすべてが間違いではない。この世界において、実質的に人間が最も魔法使いに適している。エルフも高い適性はあるが、同年月において比べると人間の熟成度には劣る。そして唯一ドワーフだけが魔法を使えない。

 魔力というとても大きな力が、人間が支配種族の地位に座っていられる最大の一因だ。



 プリンシアは水を注ぎ終えたコップをお盆に載せながら、しばし思案する。どちらの客人から配るべきだろうかと。そして3つのコップを載せ近くのサザブル達へ。


 手前に立つサザブル護衛の剣士が歩むメイドにやや寄り、さり気無く足を出す。ほんの僅か相手のつま先が突っかかる絶妙な動作。普通の女中なら間違いなく転び、例え運動神経の良い者であったとしても確実によろけ、お盆をひっくり返す。


 プリンシアは手元のプレートにばかり目をやり、トロトロと傍目どんくさそうに近づいていた。彼女の頭の中も、本日の気が重くなる出来事、必ずやり遂げねばならぬ大切な大仕事の心配でいっぱいいっぱい、周りが見えていない。


 足を突き出した剣士の横を通り過ぎ、テーブルにコップを並べ始める。


 「!!!」(なに! 馬鹿な)


 護衛は思わず自分の出した足先を2度見してしまう! そのドワーフメイドの短い脚がすり抜けたかのような錯覚に陥ったからだ。



 実際プリンシアは全く察知していなかったが、天賦の才、一流のストライカーのなせる業で無意識にかわしていたのだ。仮に通常運転の彼女であったなら、力をいなし返され、その剣士が逆にすっ転んでいたはずだ。


 太った主人が、不用意にドワーフを近づけることを許したことに、苛立っているのが分かる。剣士本人は何が起きたのか信じられない。メイドが奇跡的にも偶然避けたおかげで、自分が失態を犯したことになった、万に一つも有り得ない赤っ恥を。


 そう、恥ずかしさと腹立ちがこみ上げてくる。ドン! と強引に体をメイドにぶつけ

 「おい、汚い面をサザブル様に近づけるなっ」と罵倒した。


 この時、彼らほどの冒険者なら気付いたかもしれない、プリンシアが只のメイドではないことに。また本来のドワーフには、数々の一流の戦士達がひしめき合うほど存在しているという事実に。


 だがそれに思い至ることは無かった。見た目の第一印象の思い込み、そして完全に見下した気持ちが抜けず、怒りに支配された彼には、体を当てたその時も彼女の真の実力に考え及ぶはずは無かった。



 彼女はよろめき、並べているコップをひっくり返しそうになる。こんな事でミスをしてはダメだ! 動揺し体が縮こまりながらも最後のコップを置いた。一滴たりとも水はこぼさない。


 「止めろと言ってるのが聞こえんのか?」そう言って手で肩を強く弾き、プリンシアをテーブルから押しのけた。


 逆らわず、一歩引いたプリンシアは悲しそうな目で、どうしましょうと執事を見る。


 「目障りだ! さっさとこの部屋から出て行けっ、首を刎ねるぞドワーフ」

 2人目の剣士もメイドの前に近づき罵る。


 サザブルの嫌な輝きを湛える目配せを受け、護衛の者がコップを手に取り床に中身をぶちまける。そして二つ目を今度はプリンシアの頭上に。


 「こんな水……飲めるか」

 俯いて小さく無抵抗な彼女にかけた。



 今日の会談、理不尽な屈辱的仕打ちを受けるのは事前のミーティングで承知。挑発に乗り揉め事を起こせば、相手の思う壺。

 こっちには成し遂げるべき最も大切なことがある。


 (そうさ…いってみたら、友達がいじめられていても、もっともっと大切な自分を守らないといけないように……ここは黙って見て見ぬ振り、言葉は悪いけど。辛いけど……許され無いことじゃない、責められることじゃない、良くあること)



 冷静なハーフエルフの執事ルシフィスは、妙な感覚に襲われた。

 今までも差別や侮蔑は受けてきた。それはドワーフのプリンシアも同じであろう。大概は受け流し、無視して過ぎ去るのを待つ。それは慣れ。もちろん時と場合によっては力で撥ね除け捻じ伏せた。


 今の最重要な局面での、この下劣な憎しみの仕打ちと言葉、どうって事は無い。これまで幾たび経験したどうって事無い話。


 (どうというも事無いはずだ……、両手を縛られ殴られ続けようが、無視できる精神力がある…はず……。でも……なんだ、なんだろう……まるで未熟で愚かだった若気の時の様な……ふつふつと抑えられない怒り。遥か昔に忘れていたような……まるで…マックス……彼と出会った頃の若き日の自分に……)


 「プリンシアさん、下がって…いなさい」搾り出すように執事は命じた。


 プリンシアは肩を落としたまま「はい」と消え入りそうに答える。


 少し震えながら、水滴を床に落とし出口に小さくなって進む。

 愛すべき主人に、とても大事な機会だったというのに…上手く役割を果たせなかった申し訳なさだろうか、それとも悔しさ? 慣れっこのはずの、心無い人間による差別的な声……やはり悲しみ? 闘うことも許されないやり場の無い怒り?

 彼女を震わせるのがどの感情なのかは分からない、すべてが入り混じってるのかもしれない。


 だが、間違いなく。


 間違いなく彼女の目には涙が、涙の粒が零れ落ちた。


 ドアが閉まりプリンシアが出て行った。

 彼女の瞬殺のゾーンに迂闊にも入り込んでいた3人、骨砕かれた者誰一人無し。



 「ああぁ~全く~臭い」

 露骨に嫌そうな顔をして鼻の前で手を振り、サザブルが閉まったドアへ追い討ちの声をぶつける。


 (くそ! 今日はどうも調子が悪い……上手く事が運びそうで、何かおかしくなるわ! 仕方ない……もういいわい、アザガーノ殿の心積もりは知らぬが、わしはもういい、さっさとこんなクソみたいな所おさらばだ)

 「醜いヤツもいなくなったことだし、サインを済ませようか? カピ君! こんな汚い水、お客に出すもんじゃあありませんぞ、ったく飲めやしない、臭くて」


 サザブルは正面を向きながらも、毒づき続けている――。


 その先――

 ルシフィスには止められなかった。

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