月夜の地下
第十七話 月夜の地下
屋敷の一階右側が主に使用人達の空間で、最も手前に執事の執務室。続いて、その他の者達の寝室や休憩室がある。ただ、このカピバラ家では、それぞれの持ち場、厨房や作業小屋、厩で雑魚寝したりする事も多く、常に使用しているのはメイドのプリンシアぐらいだった。
そうした部屋は、先ほど皆で食事をした晩餐室や来客室等の社交スペースとは反対側となり、廊下も少し質素なデザインになっていて、もの静かな印象。そして通路の先、行き止まりに地下へと続く階段への扉があった。
窓から差す月明かりがランプを必要としない。今日は満月のようだ。
カピは執事の後に続き、地下への入り口前にやって来た。共に行く予定のプリンシアとマイスターのロックは既に来ていた。
ストライカーであるプリンシアは、赤いグローブをはめ戦闘準備万端で、主人の顔を見ると「まかせておくれ」とばかり、グィと親指を上げて笑顔を見せる。
職人親父ロックは、短い双眼鏡の様な形をした特殊な眼鏡をつけていて、左手に明るい松明を持っていた。
「家の地下室から箱を取ってくるだけなのに、こうやってわざわざみんなに集まってもらうと、なんだか大げさな気もするけどさっ……」
カピは照れた様に頭をかきながらそう言ったが内心は
(でも実際、夜の学校とか、洋館ってちょっと怖いし……みんなが居てよかったぁ)
執事ルシフィスが頭を下げながら説明する。
「わたくしが行って、取って来ても良いのですが……もしその黒い箱が御家の重要な家宝ならば、先に手を触れることは、出過ぎた真似となってしまいます。逆にカピ様もご一緒に向かうとなると、我が家とは言え地下の宝物庫。万、万が一を考えまして……」
「別に明日でも良かったけど……まあ、地下だったら昼も夜も一緒だね」
(急に言い出して、気まぐれな主人につき合わせる事になっちゃった。今さら暗くて怖いから明日にしようとは言えない…)
ゴーン、ゴーン
ロックは鍵穴を照らすように、松明を近づけながら言った
「……やるべき事は今。後回しってのは良くないぞ、俺は気になって寝れないわい」
プリンシアが鍵束を取り出し、扉の鍵を開けた。ひんやりした空気が上がる。
ロックが持つ松明の揺れる炎のせいだろうか、皆の顔が不安げに見えた。
ゴン、ゴン、ゴーン。何処からか…かすかな音。
「では参りましょう。ライト!」執事がそう言うと、頭の少し上の高さに青白い火の玉が現れ廻りを照らす。魔法を唱えたのだ。
「おおっ」とカピは感嘆した。煌々とした明かりではないが、足元を照らすには十分な光が生み出された。
執事はコクリとカピに合図し、先頭に立つ。後ろにカピ、その後ろをプリンシア、しんがりをロックが務める。一向は階段を降り始めた。ロックは降りながら壁に刺さった松明にも火を移してゆく。
階段の踊り場を過ぎ、地下一階に下りると室温が数度低くなり、濡れた紙の様な湿った匂いがする。そこは規則的な石版に覆われた通路で、二股に分かれていた。右手はある程度は人の出入りがあるのか、道が掃除され綺麗だ。執事の魔法の光球に照らされて奥が少し見える。
沢山の鋲が打たれた、分厚い鉄の扉だ。
ゴーン、ゴーン。
不意にカピが肩をすくめた。
(怖い……。なんだ……)
鈍い光を反射する鉄の扉に背を向けた執事が言う「こちらは……違います。左の道へ」
ゴン、ゴン、ゴーン。ガガガガ……。カピの耳にも音が聞こえた。
「大丈夫かい? お坊ちゃま…」カピの様子に気がつき、後ろのプリンシアがカピの背中に手を当てる。そういう彼女の顔も、恐ろしいのか、とても不安げだった。
「……発電機の音が篭って響いているんじゃな」カピの「何か聞こえなかった?」っていう不安な眼差しにロックが答えた。
「別に…暗い所、狭い場所がダメとか…恐怖症持ちのはずは無いんだけど…ね……」震える声で答えながらも、例えようも無く冷え込む気分がカピの心から抜けない。
ルシフィスも心配して、近づく。
「この扉の先は、今は使わなくなった宝物庫や武器庫で何も……見るべき物はありません。目的の場所はこちらの奥になるのですが……進みますか? カピ様」
青白い顔をしながらも、「うん」と頷こうとしたカピ。
ガン、ガン、ガン、ガン。決して大きな音ではない、言うなれば、周りが静かなゆえ強調される…深夜の眠れぬ寝室の時計の針の音。ガン、ガン、ゴーン、ガン、ガン……。
だがカピの耳には大音響に響く!
彼の魂の震える恐怖。
とてつもなく恐ろしいんだ! と彼の魂が泣き叫ぶ。
ガタガタとカピは高熱にうなされる患者のように震えた。慌ててプリンシアが頭を胸に抱きしめる。震えは止められない。「坊ちゃま!」てんかん発作の様にも見えるカピの異変に口元を確かめた。きつく結ばれてはいるが舌は大丈夫。呼吸の確保は出来た。
優しく抱きしめていると、ひどい震えは次第に納まり、今は彼女の胸で泣いている。両目をカッっと見開いたまま。何も映らない空ろな瞳。涙だけがあふれている。
執事は直ちに探索を中断し、医師を呼ぶ決断をする。
「プリンシアさん、そのままカピ様を寝室に運んでください。わたくしは医者を、後はロックさんお願いします」
そう言い終えるか終えぬまま、上へ駆け出そうと――
「待て…ルシフィス……」
目を剥き振り返るルシフィス。
「行く必要はない…よ。もう……治まった」
何時の間にか、立ち上がり…至って平静なカピが喋っている。
傍でプリンシアも驚き座ったままだ。
「大丈夫ちょっと思い出しただけ…そう……子供の時の怖い夜を」
精気を失っていた瞳はもう無く、らんらんと強い意志を感じられる。
だがそれでも、あまりに異常だった様子が、まだ脳裏から離れぬ執事は言う
「いえ、カピ様。そうは参りません。あの御様子、普通の怖がり方とは到底思えません。おそらく何か…先日倒れられた時の後遺症が考えられます! もう一度、医者に診て貰いましょう」
プリンシアもロックも、この意見には同意だった。
カピは皆を一人ずつ見つめ、一度だけ言った。
「大丈夫、これは経験ある発作だ。先へ進む。ルシフィス」
リーダーの最終決断に誰も異を唱える者はいなかった。
カピの中で何かが変わった。
失われていたピースが一つ嵌ったのだ。
もうあの音は聞こえない。聞こえるのは松明の炎が時折はぜる音だけ。