兄視点ver.
ブルーローズの兄視点verです。
兄が抱く妹への想いは……?
結婚式。
それは、恋人たちが永遠の愛を誓い合う神聖な儀式だ。
今日結婚式の主役である俺は、一番幸せでなければならない。
「……お兄ちゃん。」
髪をセットされながら、送られた色とりどりの花の甘い香りがむせかえる部屋に、心地の良い声が響く。聞きたかったその声に、髪を整えてもらっていることも忘れて振り返る。
「おぉっ!来てくれたのか!?……って、お前その髪!?」
「えへへっ、びっくりした?」
青いワンピースドレスを身に纏った我が妹は、ここ数年彼女のトレードマークである腰まで届く長い黒髪を、バッサリ切り落としていた。愛想良く微笑む妹の笑顔はどこか哀しげに見え、そしてそれは俺だからこそ気付けたのだという自負があった。
髪の毛のセットの最中に動くなと美容師に窘められて謝るが、さすがはプロ。素早い動きで乱れた髪を櫛で直すと、本日はおめでとうございます、といって部屋を出て行った。
「母さんも父さんも、今日は来てくれてありがとう。」
俺も気を取り直して、1ヶ月振りに顔を合わせる両親に目を向ける。
同棲を機に、長い間家族で住んでいた家を出て地元から遠く離れた東京に移り住むこと、早一年。結婚の挨拶をしに実家に戻ったのが1ヶ月程前だ。
「いいのよー。でも、本当に立派になって……。」
「母さん、泣くのはまだ早いって。」
涙ぐむ母を窘める父も、今日は今までに見たこともないような正装をしていて、ちょっと得したような気分になった。
そのあと二、三両親と話をして、両親は妹を残して花嫁を見に部屋を後にする。
「あぁーもったいねえなぁ、折角キレイな髪だったのに。」
短くなった妹の髪を弄っていると、妹は小さく答える。
「……失恋したの。」
「シツレン?」
突然の妹の発言に、頭が一瞬フリーズした。シツレンってなんだっけ?と頭を捻るのは、理解出来ないのではなく、理解したくないのだという事実には目を背けることにする。数秒たってようやく“失恋”という二文字の漢字に辿り着く。俺って頭良いっ!と口に出したくなるくらいの突然の理解に、思わず手を打った。
「ああっ、シツレンってあの失恋ね!!あまり縁のない言葉だからピンとこなかった。」
「……なにソレ、嫌み?」
途端に声のトーンを落とした妹は、結婚の決まって幸せ絶頂の男には確かに無縁か、なんてふてくされたように言った。流石に心外だ、と俺は慌てて否定する。
「いやっ、違う違う。失恋なんてお前に縁のない言葉過ぎてピンとこなかったんだって。」
「……私に?」
何の話だ、と目線で問うてくる妹に、俺はなるべく言い訳っぽくならないように言葉を選びながらも、自慢するように口にする。
「だってお前、俺と違って美人だしモテるじゃん。お前が振られるとか想像できなくて。」
どんなレベルの高い男だったんだ?と、傷心している妹の頭を慰めるように撫でるのは、こみ上げてくる身勝手な、黒く燻ぶった感情を誤魔化すために他ならない。真意を悟られないよう、どこまでも優しく見える笑みを浮かべると、妹は顔を伏せて言った。
「……ちょー嫌な男。」
「……は?」
なんだソレ、とこれは本気で訝しみながら笑って答えれば、ますます哀しげに妹は笑っている。
少しばかり躊躇して宙を泳いだ腕は、そのまま俺の衝動と理性の間で揺れ動く様を表していた。結局、こんな機会は二度とないぞと自分に言い訳をし、えいっと言うかけ声とともにその華奢な身体を腕の中に閉じ込めた。
「―――っ!何して……」
腕の中で途端に身体を強ばらせた妹に、ありったけの思いを込めて一息で告げる。
「……俺さ、お前のこと好きだよ。」
ひゅう、と息を呑んだ妹は、突然の俺の発言に素っ頓狂な声を上げた。
―――その言葉の本当の意味を、彼女が知ることはない。
俺は、この妹のことが好きだった。
ずっとずっと、世話のかかる妹のことが大好きで、毎日を共に過ごせる一家団欒の時間は幸せだった。
けれど、年齢を重ねるにつれて、自分の思いは兄妹に向けるそれとは違うことに気付いていた。
……兄妹としての親愛ではなく一人の女性として、妹を愛していた。
だんだんと、女性らしく成長していく妹の存在が苦しくなっていった。
そして無邪気に愛情を向けてくれる妹から、俺は逃げたのだ。
好意を向けてくれる相手と片っ端から付き合って、けれど毎回“あなた、私のこと本当は好きじゃないでしょう?”と言われて恋人は去っていった。俺はそのとき確かに恋人に愛情を注いでいるつもりなのに、それは変わらなかった。
冷静に考えれば自分でもすぐに原因に気づいた。
……つまり、恋人が嫉妬するくらいのシスコンっぷりだったのだ。
会社を経営している父と介護の仕事で1日いない共働きの両親の代わりに、面談があると聞けば仕事の時間を遣り繰りして出向き、文化祭があると聞けば例えソレが恋人との1ヶ月振りのデートであったとしても断り文化祭に赴いた。
“仕事と私どっちが大事なの?”と言ったお決まりのセリフは言われたことはないが、“妹と私どっちが大事なの?”と言われたことは多々あるのである。
そんな自分が怖くなって、このままではマズいと俺は諦めるために、付き合ってようやく二年半になる相手との結婚を急いで決めた。
……この想いは必ず妹を傷つける。
俺のこの感情は間違っているのだと。
この気持ちをなくして妹の幸せを願うことが自分が彼女に出来る唯一のことなのだと、自分を納得させるまでに何年もかかったのだ。
「いつも明るくて、人懐っこくて、おちょこちょいで。グリーンピースとホラー映画が苦手で、ウィンドウショッピングとみかんが大好きなお前が、俺はずっと可愛くて大好きだから……。だから、幸せにならなきゃダメだぞ?」
それと、俺が認めた奴じゃなきゃ結婚なんてさせてやらないからな。俺は厳しいぞ。とおどけたような口調でいうのは、本当はそれがどんなに素晴らしい男でも賛成しない自分を知っているから。
「私も……お兄ちゃんのこと、大好きだよ。」
俺の本当の気持ちを知らずそういう妹のセリフに、ただただ胸が苦しくなる。
結婚式のために慣れない香水をも纏った妹からは良い匂いがして、けれどこれも最後だと思うとつらくても腕から解放する気にはなれなかった。
けれど実の妹にこんな感情を抱くのは間違っているのだと自分を叱咤して、ありがとな、と返事を返してもう一度だけと頭を軽くポンポンと叩いた後ゆっくりと腕からその身体を解放する。
「そうだ……あれ。お前がくれたヤツだろ。」
気分を変えるため辺りを見回せば、一際目立つ妹からの贈り物が視界に入ってきて、これだと言わんばかりに話題を変えた。
「うん、白バラに着色したやつだけどね。お兄ちゃん、あれ好きなんでしょう?」
よく覚えてたな、あんな四年近く前の話し。と感嘆の声を挙げれば、まあねと返事が返ってきた。
兄に負けじとブラコンだった妹は、四年近く前に俺が好きだといった花を、ちゃんと覚えてくれていたようだった。
でも妹は、青いバラの花言葉が《不可能》だと知っていても、バラ自体の花言葉をすっかり失念しているらしかった。
……すなわち、《愛》というバラ本来の花言葉を。
分かっていて送っているのなら、それは何て残酷なのだろうか。
俺の気持ちを、決して受け止めてはくれない彼女。
「さて……そろそろ、行くかな。」
立ち上がり、お前もそろそろ会場に行けよと妹を促す。
控え室を出ようとしたら、背中から大きく声をかけられた。
「お兄ちゃん!」
「?」
突然の呼び掛けに振り向けば、妹はすっかり大人の女性の表情で真っ直ぐ俺を見つめている。
「……幸せに、なってね。」
本当に俺を幸せに出来るのはお前だけなのだと、彼女に伝えることは出来ない。
お前はもう俺に縛られなくて良いのだと、そう覚悟を決めるしか出来ない。
……彼女の幸せを、本当に願うのなら。
「おうっ、まかせとけ!!」
大きく誓ったのは、自分への戒めだった。
抱いてはならない感情を抱いた俺に出来るのは、泣きそうに笑う妹の表情をしっかりと目に焼き付けることだけだった。
―――そうして、式は始まった。
隣にいる恋人は、俺には勿体無いくらい美しかった。
……彼女はすべてを知っている。
妹のことを愛してやまない俺を。
俺たちは、共犯者だった。
幼いころに両親を二人同時に亡くしている彼女もまた、身寄りのない彼女を引き取ってくれた養父に恋していた。
そして本当の娘のように可愛いがってくれる養父は、二十代半ばになってもなかなか結婚に踏み出さない彼女を心配していた。
だから俺たちはお互いに叶わぬ相手に恋しているもの同士、本当に愛している人の幸せのために、身を寄せ合うと決めた。
―――“恋人”という名の、共犯者になったのだ。
「―――では、誓いの口づけを。」
牧師の穏やかな声に彼女と向き合う。
口づける直前、彼女は俺だけに聞こえるように囁いた。
「……私たち、幸せになりましょうね。」
幸せだから結婚するのではなく、幸せになるために結婚する。
愛する人とではなく、本当に愛する人の幸福のために永遠の愛を誓う。
偽りの愛情をもって、神の前で永遠の愛を誓う俺たちは、多分世界で一番罪深い恋人たち。
「……ああ。幸せに、なろうな。」
互いに、ゆっくりと目を瞑る。絶対に触れることの出来ない唇を互いに想像しながら、神をも欺く。
……幸せになる。
俺たちは努力して、幸せになるのだ。
ゆっくりと、唇が重なる。
―――ブルーローズ。
それは、俺の君への想いの形。
……そしてそれは、俺にとっての君そのもの。
END
いかがだったでしょうか。
互いに思い合っても尚、いえ、互いに思い合っているからこそ。失恋の道をそれぞれに選んだ二人のお話です。
少しでも皆様の胸に残るものがあれば幸いです。




