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【ブルーローズ】


髪を切った。

五年がかりで腰まで伸ばした真っ黒な髪を、耳にようやくかかるくらいまでに。

美容院ではなく、夜に自分の部屋でバッサリと切り落としてしまったのだ。中学時代はよく自分で髪を切っていたし、ここ数年は梳いてもらう程度で、長さ自体を変えたことがなかったから上手く切れるか不安だったが、我ながら巧くできたと思う。



次の日の朝、リビングのドアを開けると父と母の驚いたような声を聞く。

「あなた、その髪……!?」

「……どう?似合うかな?」

唇の端を軽く持ち上げるだけの薄い、自嘲するような笑みを浮かべるが、数年振りの娘のショートカット姿に両親はその笑みに気付くことはなかった。

「えっ、ええ。似合ってるし、上手く切れているけど……急に、どうしたの?ここ数年、何かと理由をつけては切らなかったのに。」

「うん……ちょっとね。」

気分を変えてみたかったの。と言えば、茶化すように父が口を開く。

「ああ、あれだろ。今日はお兄ちゃんの結婚式で久しぶりに会うから、突然イメチェンでもして驚かせようとかいう作戦だな?」

俺も真っ赤な蝶ネクタイでも着けていってやろうかなぁ、なんて、人が良く、けれどあまり感情表現が得意ではない兄をどう驚かせてみようかなんてことを考えていた。

「ちょっとお父さん。あの子が恥かくような真似はやめて下さいよ。折角の晴れ舞台なんですからね。」

そう言って父を窘める母の声も、どこか楽しそうだった。

……先程の父の言葉通り、今日は兄の結婚式だった。

あまり格好良いとは言えないし、特別優秀とは言えない兄だけれども。努力家で、優しくて、自慢の兄だった。7つ年の離れている兄とはケンカもよくしたけれども、今思えば、“ケンカするほど仲がいい”の典型だったと思う。兄はよく、私のこの黒い髪が綺麗だと誉めてくれたし。



そんな兄が結婚するという話を聞いたのは先月のことだった。



相手は、ここ二年程付き合ってた同僚だ。付き合って一年程で同棲を始めてしまったから私もそんなに顔を合わせていないけれども、付き合いが浅い割にとても仲が良かったことを覚えている。

兄には勿体無いくらいの可愛い顔立ちで、可愛い見かけによらず洋風よりも和風料理が得意で、最近は仕事の傍ら料理も勉強しているらしいし……。その上、兄を見つめる彼女の瞳は常に真っ直ぐで、本当に兄を愛しているのだと伝わってくる。



―――式場へ向かう途中、ずっと私は兄との思い出を反芻していた。

兄を祝うために拵えたワンピースドレスはスカイブルー。兄のとても好きな色だ。

慣れないメイクと高いピンヒールは、そのまま早く大人になりたいと切望する自分自身を象徴しているようで、私は薄く笑った。

―――式場に足を踏み入れれば、女の子なら誰もが夢見るような舞台が広がっていた。

鳴り響く鐘。真っ白の壁。赤い絨毯に色とりどりのステンドグラス、恋人達が永遠の愛を誓う神聖な場所。


……そこに、私の入る隙間はない。


震える手を、両親に見えない所で握り締める。顔を上げて、タキシードに着替え終わったという兄のいる控え室の扉をノックした。扉を開ければ、お祝いの花々の甘い香りがフワリと部屋から零れ出す。顔を出せば、部屋の鏡の前で一人の美容師が兄の髪を整えているのが見える。

「……お兄ちゃん。」

その声に髪をいじられていることも忘れて兄は振り返った、それを、美容師が軽く窘める。

「おぉっ!来てくれたのか!?……って、お前その髪!?」

「えへへっ、びっくりした?」

愛想の良い笑みを浮かべれば、白のタキシードに身を包んだ兄が目を丸くしていた。美容師は兄の髪を最後に綺麗に櫛でとかして、本日はおめでとうございます、と私たちに一つ礼をして部屋を出て行った。

「母さんも父さんも、今日は来てくれてありがとう。」

「いいのよー。でも、本当に立派になって……。」

「母さん、泣くのはまだ早いって。」

そうして両親と兄は二、三言葉を交わすと、挨拶もそこそこに新婦にも顔を出そうと両親は部屋を出て行こうとする。

「俺も早く見たいなぁ……」

「お兄ちゃんはあとで見たい放題触り放題でしょ。式の前に花嫁さんに会っちゃいけないのよ?」

「はいはい…」

あなたも一緒に見に行く?と私に問う母の声に、私は首を振って答える。

「私……もうちょっと、ここにいる。」

「なんだお前、そんなに俺が恋しいか?」

「っ、変なこと言わないで。皆して先に花嫁さん見たらお兄ちゃん拗ねるでしょ。」

からかうように口にすれば、兄はポンポンと私の頭を叩く。こうされることももうなくなるのかと思えば、いつものように子ども扱いするなとも怒れなかった。ありがとな、と笑った彼は、父と母に軽く手を振った。

父と母が出て行くと、私の頭の上に手をおいていた兄はそのまま短くなった私の髪をいじっている。

「あぁーもったいねえなぁ、折角キレイな髪だったのに。」

「……失恋したの。」

「シツレン?」

脳内で上手く言葉が漢字に変換 出来ないのか、オウム返しをした兄は言葉は、異国の言葉を呟くように聞こえた。

数秒たってようやく二文字の漢字に変換できた兄は難問を解けた学生のように顔を輝かせて手を叩いた。

「ああっ、シツレンってあの失恋ね!!あまり縁のない言葉だからピンとこなかった。」

「……なにソレ、嫌み?」

結婚の決まって幸せ絶頂の男には確かに無縁が、なんて吐き捨てれば、兄は慌てたように否定する。

「いやっ、違う違う。失恋なんてお前に縁のない言葉過ぎてピンとこなかったんだって。」

「……私に?」

何の話だ、と目線を上げて問えば、兄は自慢げに話し出す。

「だってお前、俺と違って美人だしモテるじゃん。お前が振られるとか想像できなくて。」

どんなレベルの高い男だったんだ?と真剣な眼差しで問う兄の、慰めるような手が、ただただ痛い。

「……ちょー嫌な男。」

「……は?」

なんだソレ、と笑う彼はどこまでも幸せそうだった。哀しげに微笑む私を見て、少し迷うような、躊躇うような素振りをした彼は、えいっ、という声と共に私をその胸に抱き締めた。

「―――っ!何して……」

突然のことに素っ頓狂な声をあげるしかない私に、どこまでも兄は優しく囁く。

「……俺さ、お前のこと好きだよ。」

ひゅう、と息をのんだ私の頭を抱え込んだまま、頭上から優しげな声が降り注ぐ。

「いつも明るくて、人懐っこくて、おちょこちょいで。グリーンピースとホラー映画が苦手で、ウィンドウショッピングとみかんが大好きなお前が、俺はずっと可愛くて大好きだから……。だから、幸せにならなきゃダメだぞ?」

それと、俺が認めた奴じゃなきゃ結婚なんてさせてやらないからな。俺は厳しいぞ。なんておどけた口調で言われた言葉が、胸に突き刺さる。



「私も……お兄ちゃんのこと、大好きだよ。」



その言葉の本当の意味を、この兄が知ることはない。

―――いつからだろう。兄を、一人の男性として好きだと想ったのは。

不器用で、どこまでも真っ直ぐな兄が大好きだった。それも、家族愛ではなく、恋愛としてのソレだというから始末が悪い。兄妹だからいけない、などと考えたことはない。むしろ好きな人が生まれつき一つ屋根の下にいる近親なんて幸運なことだと思ってるし。

……それでも、そんな風に考える自分がおかしいことはきちんと自覚している。だから、兄を私の恋愛に巻き込もうとは思っていない。兄妹としての愛情を無条件に注いでくれる真っ直ぐな兄が好きだからだ。

「うん。……ありがとな。」



頭上からかけられるのは、どこまでも、残酷で優しい言葉。

本当の私の愛情を、決して受け止めてはくれない人。



彼はもう一度私の頭を軽く叩いてゆっくりと腕の中から私を解放した。そのまま、兄は思い出したように部屋を見渡す。

「そうだ……あれ。お前がくれたヤツだろ。」

そう言って兄が指差したのは赤と白を中心に送られた色とりどりの花束の中で一際目立っている、青いバラ。

「うん、白バラに着色したやつだけどね。お兄ちゃん、あれ好きなんでしょう?」

「よく覚えてたな、あんな四年近く前の話し。」

まあね。と内心、好きな人の発言をうっかり忘れるほど抜けてないわ、と思う。

兄の言葉通り、事が起こったのは四年程前の話しだ。

兄が今の相手と付き合うより前、最後に家族だけで夕食を食べに行ったときのことだ。結構値の張るレストランだったのだが、そこのインテリアとして、壁の空いた一部に一輪挿しの青いバラがあった。実際は白いバラに青の照明を当てただけのものだったが、兄はそのバラを見ていったのだ。

「青いバラってさ、まだ誰も創るのに成功したことがないから花言葉も《不可能》とかそういう意味なんだって。でもって成功したら《奇跡》とかそういう意味に変わるって。そのために努力してる人が山ほどいるんだよ。そう考えてみると未来があって良い花だよな。人の夢と努力が詰まってるんだ。今はイミテーションでも、いつか本物が飾られるといいな。」

本物が存在しない花を好きだと言った兄を、やはり優しいのだと、そのとき改めて思った。確かに在るのに不可能と位置付けられたその花は、まるで私の兄への気持ちを形にしたようで私も好きだったのだ。

「さて……そろそろ、行くかな。」

立ち上がり、お前もそろそろ会場に行けよと言って歩いていく兄の背に、私は言った。

「お兄ちゃん!」

「?」

「……幸せに、なってね。」

兄は、一度だけ大きく目を開いて、そのあと大きく笑顔で答えた。




「おうっ、まかせとけ!!」





―――そうして、式は始まった。

花嫁は兄の隣に並ぶのは勿体無いくらいに綺麗で、幸せそうに並ぶ二人は眩しかった。

……髪を自分で切ったのは、この恋の始め終わりも、私だけのものだったからだ。誰にも触らせない、私だけのたった一つの想い。

兄が他人のものになる今日、自分の手で終わらせたかった。




この気持ちを、あなたに伝えることはしないから。

あなたが誰よりも大切だから、あなたの幸せのためにこの気持ちを伝えることはしないから。



「―――では、誓いの口づけを。」



―――だから今だけは。

幸せな恋人たちの口づけから、目を瞑ることを許して下さい。

これからもちゃんと、この気持ちは隠していくから。

私は、ゆっくりと目を閉じる。





―――ブルーローズ。

それは、私のあなたへの思いの形。




……そしてそれは、あなたの一番好きな花。



END


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