新月
『香澄ちゃん、今日ピアノ頼めるかな…急に熱出して、休まれたんだよ。』
マスターに頼まれると、断れない。
『いいですよ。』
香澄は大学3年生。カフェでバイトをしている。
カフェのマスターは、近くでクラブの経営もしていて、今日頼まれたのは、クラブでの生演奏だ。
時々頼まれて弾いている。
『軽く食べて行って?』
マスターの奥さんに、スパゲティをご馳走になり、クラブへと向かった。
秋も深まる10月。空には月が出ていない。星が綺麗な夜だった。
~♪~♪~♪♪♪~♪~
ドビュッシーの月の光
二回目の演奏タイムが終わって、トイレを済ませ、奥に下がろうと、フロアを横切っていた。
『香澄ちゃん、ちょっと。』
オーナーである、カフェのマスターに、小声で呼ばれた。
何かヘマをやらかしたかと、ドキドキしながらマスターのもとに行くと、
『お願いがあるんだ。下條さんが、どうしても香澄ちゃんと話がしたいらしくて、次の演奏まで、席についてくれないかな。時給は出すから。』
『え?……私、接客なんて、したことないですよ………それに、……』
香澄は潔癖だ。男の近くにいるだけで、落ち着かない。接客なんて出来るわけもなく、不安だった。
『頼む。下條さん怒らせるわけにはいかないんだ。頼むよ香澄ちゃん。
隣に座って笑ってればいいから。』
マスターは頭を下げた。
『マナーとか分からないけど、いいんですか?』
頭を下げられて、断れなくなった香澄は、しぶしぶ承諾した。
『ありがとう。助かったぁ。大丈夫だよ。香澄ちゃんなら、何もしなくて大丈夫。』
ホッとしたマスターは、ニコニコ笑って言った。
席まで案内されて、顔を上げた瞬間、香澄は目を見開いた。
…………?!……………
だって、そこには……
栗色の髪はサイドで流して、キリッとした眉に切れ長の眼。
紫がかったスーツは、サラリーマンには見えない。ゴールドのゴツい時計に指輪。
歳は20代後半?くらいのイケメンが座っていた。
『下條様、連れて参りました。私はこれで失礼いたします。』
マスターに置き去りにされた香澄は、どうしたらいいか分からず、下條と呼ばれる彼を見ていた。
『まぁ座れ。』
香澄は、隣を指差して座れ、と言う彼に従った。
間を空けて座ったのに、
彼は、膝を香澄の方に向けて、右手をソファーに乗せて、香澄の方を向いて座り直した。
『飲みたいものは?』
『私は結構です。下條さんは…』
下條は、シャンパンを頼んで、グラスを2つ持ってこさせた。
『名前は?』
ガチガチに緊張している香澄は、
『香澄です…』
俯いたまま答えた。
『こっち向けよ。』
言われて香澄は顔を上げた。
『乾杯な』
…………っ……………
目が合った瞬間、睨まれているかのように突き刺さる視線に、体が震えた。
グラスを合わせながらも、ずっと目を反らさない下條に、ドキッとした。
『俺は、司。今日からお前の彼氏な。』
『え?』
間抜けな顔をして、グラスを落としそうになった香澄に、ふっと笑った司は、
『男いんのか?ま、いても関係ねーけど……』
さらに香澄に近付きながら言った。
『いませんけど……』
……いきなり何で?………
『けど、何だよ』
俯いていた香澄に、司はだんだん近付いていて、司の顔は、香澄の顔の前に…。
目線を上げた香澄の目の前には、司の瞳があった。
…………ドクン……………
…………近い……………
『い…いきなり彼氏とか言われても………困ります。』
再び目を反らして言った。
『じゃあ、どうやったらお前の彼氏になれんの?』
『それは………ん……………』
香澄は考えてしまった。
『嫌か?』
『嫌とかじゃ……ないですけど……』
……何でいきなり私なの?……
……たくさん女が居そうだし、私は遊ばれたくない……
香澄は、どう切り抜けようかと考えていた。
『嫌じゃねーなら、決まりな。』
『え?!……っ…』
…………?!……………
勢いよく顔を上げた瞬間、香澄の唇に、司が唇を重ねた。
……………っ……………
『……な………』
一瞬"チュッ"と音をたてて離れた唇には、湿った感触が残っていて、シャンパンの香りが漂う。
司は香澄の顔を見て、満足そうに微笑んでいた。
『な…何するんですか!』
香澄は真っ赤になって、司を睨みつけた。
……触れただけのキスに痺れちゃったなんて、言えない……
『何って、キス?』
司は、ニコニコ笑いながら答えた。
司の態度に、掻き乱されながら、香澄は言った。
『何で、そんな事?』
『何でって、お前が可愛いからだろ。』
………え?…………
綺麗とか大人っぽいとか言われる事はあっても…"可愛い"とか言われたことがない香澄は、ちょっとだけ嬉しかった。
でも、"可愛い"とか平気で言える男って、女慣れしてる。
……いくらカッコイイからって、私は遊ばれて捨てられるなんてまっぴらごめん……
香澄の頭の中では、危険信号が点滅していた。
…そうやっていろんな女の子を落として楽しんでるのかも……
『可愛いと思ったら、誰にでもキスするんですか?』
『はぁ?』
司は香澄の言葉に、眉間にシワを寄せた。
『私、軽い人は嫌いです。』
香澄は正面を向いて、シャンパンを飲み干した。
その時、マスターと眼があった。
……あ、この人怒らせたらマズいんだった……
辺りを見渡すと、お姉さま方の視線が痛い……
司は、空になったグラスに、シャンパンをナミナミと継ぎ、香澄のむきになった様子に苦笑いしながら、
『俺は、軽くねーぞ?拗ねてんのか?』
司は再び香澄に近付き、顔を覗き込む。
……は?わたしがいつ拗ねた?…ってか、近付かないで…
『拗ねてません!近付かないで下さい。』
香澄は司から離れるように座り直した。
………ドクン…………
『恥ずかしがるなよ……クックッ……』
司は余裕の微笑みで、俯く香澄を見ていた。
司は、1ヶ月前、ピアノを弾く香澄を見て、どんな女か気になった。
大きな眼にキリッとした眉、色気のあるカラダのライン。
クラブのバイトではないと聞いて、もう会えないのかと思っていた。
今日彼女がピアノを弾いているのを見て、マスターに頼んで(脅して?)席に呼んだ。
……それだけ色気振り撒いて、カマトトぶってんのか?……
……それとも、見かけによらず、純情な生娘なのか?………
司の頭の中は、香澄でいっぱいだった。
……俺のモノにしたい………
……コイツの色んな顔を見てみたい……
司は香澄に惹かれていた。自分からモーションをかけなくても、女に不自由はしていない司だ。
……俺に、"近付くな"なんて言った女は初めてだ……
……絶対落としてやる…
『歳は?28歳くらいか?』
まぁ21~22ってとこかと思った司は、わざと言ってみた。
『な…………20歳です!』
……もっと俺を見ろ……
司は、香澄を怒らせてでも、自分に関心を持たせたかった。
『若いな~俺いくつに見える?』
『20代後半くらいですか?』
『あぁ、27。7つ違いだな。学生?』
司が頼んでいたフルーツの盛り合わせが、運ばれてきた。
オーナーから、香澄の好みをリサーチしていた。
『はい。下條さんはどんなお仕事されてるんですか?』
『あぁ…会社経営?』
『え?!社長さんなんですか?』
『まぁそんなもんかな。』
会社経営は嘘にはならない。下條を知らないらしい香澄に、あえて名刺は渡さなかった。
司は、今、本当の自分を知られれば、香澄に振られてしまう、そう思った。
『フルーツ、好きなだけ食べろよ、俺は食わねーからな。』
『え?………』
『嫌いか?』
『いえ、ありがとうございます。』
香澄は、にっこり笑って、オレンジを口に運んだ。
司は香澄のその笑顔に、目を細めた。
『ここ終わったら電話しろよ。』
司は、マッチに携帯番号を書いて、香澄に渡した。
『何で?』
キョトンとしている香澄に、
『送ってやる。』
『いえ、大丈夫です。』
……送ってもらう方が危なくない?………
話しているうちに、演奏時間に近付いてきた事に気付いた香澄は、
フルーツを急いで食べていた。
『……ふっ……美味そうに食うなぁ……』
香澄の口元を見ながら、司は、この後どうやって持ち帰るか、考えていた。
『今日は御馳走様でした。ありがとうございます。演奏に入りますので、』
香澄が席を立とうとすると、
『電話しろよ。』
司は優しい笑みを浮かべて、香澄の手を握った。
…………っ……………
握られた手にドキッとした香澄は、
『はい』
何故か返事をしてしまった。
~♪♪~♪~♪~~♪♪
ポピュラーからクラッシック、ジャズ、香澄のピアノは音色が変わった。
気付いた者はいなかったけれど、柔らかい響きに変わっていた。
ムーンライトセレナーデ
ラストを弾き終えた。
『香澄ちゃん、お疲れ!今日はありがとうな。これでタクシー拾って帰りな。』
『ありがとうございます。お疲れ様でした。』
裏口から外に出ると、やっぱり月は出ていない。
…………新月か…………
香澄は、タクシーを拾うために、大通りに向かって歩いていた。
……電話したら、軽い女だと思われるし、帰ってから電話すれば失礼じゃないよね?……
『おい。』
『えっ?!』
急に腕を掴まれた。
……この匂いは……
『お前電話したか?』
『……………………』
『行くぞ。』
『え?……ちょっと………待って……』
司に引っ張られて、香澄は、黒塗りの車の後座席に押し込まれた。
………何?拉致?………
………ドクン………
『出せ。』
司の声で、車が動き出した。
香澄は、司に肩を抱き寄せられて、胸に頬をくっつけた状態のまま、動けなかった。
………どこに連れて行かれるの?………
………ドクン………
………ドクン………
不安だったけれど、何故か司に抱き寄せられることが、嫌ではなかった。
むしろ、安心できるような、そんな不思議な気分だった。
しばらくして、車が止まり、運転手がサイドブレーキを引いた事で、どこかに着いた事が分かった。
『着いたぞ。』
………どこですか…………
聞けないまま、司に引っ張られて車を降りた。
そして、マンションに入って行った。
――――バタン――――
ドアを締めると同時に、司は香澄を抱き締めた。
…………っ…………
……ちょっとコレはマズい………
『……ちょっと…待って?……』
『あ?待てるかよ。』
司は、香澄に肩を押し返されても、びくともせず、唇を重ねた。
『………ん………っ………ゃ………』
香澄が抵抗しようにも、司にかかると、香澄は全く動けない。
……力が入らない………
『……ん……んん…っ…』
それどころか、司の舌と唇が、香澄の口内を暴れまわり、頭がクラクラしてきた。
立っていられなくて、司に支えられた状態だ。
――――ふわり――――
急に体が宙に浮いた。
『キャッ………降ろして……ゃ……ねぇ……』
暴れる香澄を抱きかかえた司は、楽しそうに笑みを浮かべて、香澄を寝室に運んだ。
『やだっ………ヤダヤダ……っぅ………ぅ……』
ベッドに降ろされて、司に両手両足の動きを封じられて、
香澄は泣き出した。
香澄の泣く顔を見詰めながら、司は、
『無理矢理ヤろうとは思ってねーよ』
優しい笑みを浮かべながら、香澄を見下ろしていた。
涙をこぼしながら目を開けた香澄は、ぼんやりと、司の真っ黒な瞳を見ていた。
『香澄、お前が欲しい。』
『ぃゃ………お願いやめて……っ………』
『じゃあ抵抗してみろ……』
司の唇が耳元、首筋、耳たぶを這う。
『………っぁ…………ひゃん…………』
『どうした?カラダは"もっとして"って言ってるぞ?』
司の手がセーターの裾から入って、胸を刺激する………
『………っぁん………ぁ………』
司の指に唇に、触れた場所が熱を持つ……
『ねぇ……お願い……ゃ……やめて?……』
驚くほど色っぽい声に、香澄自身戸惑いながらも、必死で司を止めようとした。
『そんな声で言われちゃ、余計止めらんねー』
『……………っ…ぁ………ぁぁん……』
気がつけば下着一枚になっていた香澄。
司の手が下着の中に入った瞬間――
『ダメ!』
香澄は司の手を掴んだ。
香澄は気付いていた。
司の腕の中も、司に触れられる事も、嫌じゃない、むしろ心地良い事に。
でも、遊びでこんな事されたくない。
『ダメ!ここはダメ!』
司は、不思議なモノでも見るように、香澄を見ていた。
……何でここで寸止め?!……
司は夢中になっていた。感じてくれる香澄が可愛くて、もっと啼かせてやろう、自分のオンナにしたいと思っていた。
こんなに優しく女を扱うことは、初めてだった。
『わ……私は、……結婚するまでは、……そう言う事………しないの…』
香澄の言葉に、司は、一瞬手を止めた。
…コイツが手に入るなら、結婚?上等じゃねーか…
『じゃあ、結婚しよ!』
………は?…………
香澄は固まった。
…………は?………って………えぇぇぇぇ!!!!!…………
……
『………ちょっと……キャン…………ぁ……』
再び司の唇が胸に触れ、指が下着に触れた時、
『……ゃ……待って、……まだ結婚してない…………』
『ん?明日籍入れよ…結婚するならいいんだろ?………』
『………ん………ぁ…………何やってんのっ……ゃ……ダメだよ……明日までダメ!』
……そんな言葉に騙されないわよ………
香澄は起き上がって、布団にくるまった。
……やだ、身体が熱い………
バチッと目が合って、司はドスンとベッドに横になった。
『あぁぁー!!こんな女初めてだ……』
司の雄叫びに、香澄はキョトンとしていた。
……………?……………
『分かった。今日は我慢する。』
司は、初めて女の気持ちを優先した。
………ありえねぇ、寸止めとか………
香澄も、火照った身体は司を求めていたけれど、必死に抑えていた。
しばらくして、
『あぁ、俺だ。婚姻届持って来い、………………あぁ、そうしてくれ、…………あぁ。』
司がどこかに電話をかけていた。
…………ドクン…………
………婚姻届?………
………って、…………えぇぇぇぇぇー!!!!!……私結婚しちゃうの?………………
………どうしよう…………
『今日はシャワー浴びて寝よ。』
『うん…。』
司は、タンスからパジャマを取り出した。
『風呂はこっち、これでも着とけ。タオルとかは置いてあるのを適当に使え。』
『うん…。』
香澄はパジャマを受け取り、上だけ羽織って、
『下着、洗濯していい?』
『あぁ……いいぞ。』
下着を持って、バスルームに向かった。
マンションが広くて、驚いた。バスルームも広い。
部屋も寝室とリビングとダイニングキッチン、あと二つ部屋がある。
……3LDK?独りで?どんだけ金持ちなんだろう………
下着を洗濯機に入れて、シャワーを浴びて、髪を乾かして、司のパジャマを羽織った。
……透けて見えるし……
………恥ずかしい………
バスルームを出ると、司が化粧水やら乳液やらを出してくれた。
『これ使え、持ってねーだろ?』
『うん、これ、誰の?』
………やっぱり、いろんな女を連れ込んでるんだ……
…………ズキッ…………
何故か胸に痛みを覚えた。
『これは姉貴のだ。』
『え?』
『姉貴がたまにここ使うから。夫婦喧嘩した時とかな。』
『…………?…………』
『ほとんど俺が使ってるけどな。俺もシャワー浴びてくるわ。冷蔵庫の飲み物好きに飲んでな。』
『うん』
…女だと思ってたけれど、お姉さんだと聞いて、何ホッとしてるんだろう…
香澄は、自分の気持ちに戸惑いながらも、お姉さんの化粧セットを使わせてもらった。
大きな冷蔵庫を開けると、ミネラルウォーターにビールに酎ハイに……ウーロン茶にスポーツドリンクに……
たくさん入っていて驚いた。でも食材はない。
……彼女いないのは本当なのかな?……
少しばかり期待している自分に、
………ダメ、騙されてるかも知れないんだから!……
自分でカツを入れた。
酎ハイを飲みながらソファーで考えていると、
――――ふわっ――――
温かい腕が巻き付いてきた。
バスルームから出てきた司は、香澄を後ろから抱き締め、耳元で囁いた。
『結婚しよ』
…………ドクン…………
『まだ、学生だよ?私』
『20歳過ぎてんなら大丈夫だ。親の承諾もいらねー。
俺、明日までしか待てねーからな。
お前もじゃねーの?……』
……………っ………………
『違うし!………ひゃん………』
耳の中に舌が入って、ゾクッとした。
『………ふっ……感じやすいな……』
……欲しくてたまんねー……
香澄は、司の予想以上だった。美人なだけじゃなく、スタイルもいい、感度もいい、日焼けしていない白い肌………
何でこの歳まで処女なのか、不思議で仕方ない。
……俺が染めてやる………
……今日は寝れねーな………
司の我慢大会が始まった。