第8話 その反射、もう一度返します
「強い技を使えるやつほど、留め具を見ない」
鍛冶師の老人はそう言って、俺の剣帯を裏返した。
革の陰で、留め金が半分ほど抜けかけていた。
「あと何度か派手に動いていたら、鞘ごと落ちてたぞ」
「……お願いします」
「素直でよろしい」
翌朝、俺とセリカは、ミラ商会から紹介された工房に来ていた。
剣の手入れに、剣帯の修理。それから、セリカの鞘の内張りの交換。
これまで少し引っかかっていたという細剣が、今は静かに抜けた。
「どうだ」
「すごくいいです。抜くとき、手首をずらさなくて済む」
セリカが二度、剣を抜き差しする。
俺には同じ動きに見えたが、本人の顔は明らかに違った。
前世にも、よく似たことがあった。
反応が悪くなった操作ボタンを交換しただけで、出なかった連続技が安定する。
腕前の問題だと思っていたものが、道具の引っかかりだったりするのだ。
ただ、配信に向けてその話をどう説明しようかと考える前に、工房の扉が開いた。
「東の石切り場から救援です! 動ける方は、ギルド前へ!」
駆け込んできた職員が、俺たちの剣を見る。
鍛冶師は、修理した剣帯を俺へ放った。
「そっちは終わってる。行くなら、締め直してから行け」
*
石切り場へ向かう荷車の上で、職員から事情を聞いた。
古い坑道の壁が崩れ、奥から大型の魔獣が出てきた。
最初に向かった討伐隊が負傷し、退いた。
坑内には、作業員が二人残されている。
「待避室の結界は、まだ動いています。ですが、魔獣がその前から離れず……」
「敵の種類は?」
「鏡殻獣です」
セリカが、眉を動かした。
「攻撃を返す、あれ?」
「はい」
俺は、荷車の縁へ置いていた魔導板を手に取った。
出発前に始めた配信へ、救援に向かっていることを短く伝える。
『鏡殻獣って魔法が戻ってくるやつ?』『近づいて殴っても返されるぞ』というコメントが流れた。
どこまでが実際に見た話かは、まだ分からない。
俺は職員へ尋ねた。
「最初の隊が戦った記録は、ありますか」
「隊長が持っています。現場で見られるはずです」
なら、まずはそこからだ。
俺は映写球の位置を少し上げた。
荷車の先に、白い岩肌をさらした山が見えてきた。
*
「お前が、追加の救援か」
坑道の入口で待っていた男は、片腕を吊っていた。
足元には、大きな戦槌。
柄の中ほどが、不自然に曲がっている。
討伐隊長のグスタフ、と職員が紹介した。
「昨日は火の玉を盗んだそうじゃないか。今度は何を借りるつもりだ」
「まず、戦闘の記録を見せてください」
グスタフの眉間に、深いしわが寄った。
「俺の話を聞いていたか?」
「聞きました。中の二人が待っているので、続きは後で」
横から、別の隊員が魔導板を差し出してくれた。
短い記録が始まる。
六本脚の巨獣だった。
背中は、鏡の破片を敷き詰めたような甲殻に覆われている。額には、太く短い銀色の角。
グスタフが、戦槌を振り下ろした。
白い面が、獣の前に広がる。
激しい音。
戦槌が跳ね上がり、グスタフ自身が後ろへ飛ばされた。
次に撃ち込まれた火の矢も、同じように戻ってくる。
「もう一度。槌が当たる少し前から」
隊員が、記録を戻してくれる。
白い面が広がる直前、獣は前脚を二本、地面へ押しつけていた。
槌が返る。
面が消える。
それから、獣の脚が動いた。
前世、負けた対戦を見直すときも、俺は同じところを探した。
自分が派手に吹き飛ばされた瞬間より、その少し前。
相手が、何を見て、いつ構えたか。
「お前の小石じゃ、傷一つつかんぞ」
グスタフが、曲がった戦槌を顎で示した。
「俺の全力が、これだ。借り物の技を並べたところで、どうにかなる相手じゃない」
俺は魔導板を隊員へ返した。
「見せてくれて、ありがとうございます」
セリカが、すでに坑道の地図を受け取っていた。
「待避室は、突き当たりの右。途中に、横へ抜けられる作業路が一本あるって」
「行こう」
グスタフが、鼻を鳴らした。
「すぐに逃げ戻ってくることになるぞ」
俺は、坑道へ足を向けた。
「戻りますよ。奥の二人と一緒に」
*
待避室の扉が、鳴った。
鏡殻獣の前脚が、扉を覆う薄青い結界を引っかいている。
光はまだ消えていない。
だが、獣の周りには、削り取られた壁の石が積もっていた。
俺は、弱い光矢を一本放った。
背中の端を狙う。
獣が振り向いた。
前脚が止まる。
白い鏡が開いた。
光矢が、俺へ戻ってくる。
《瞬壁》で受けた矢が、目の前で小さく散った。
「こっちを向いた。セリカ、予定どおりに」
「任せて」
彼女が、横の作業路へ走る。
俺は坑道の中央に立った。
獣の目が、俺と映写球の間を動く。
球は頭上のくぼみへ寄せた。坑道には作業用の中継器があり、配信は途切れていない。
『本当に返った』『レインも逃げ道は確保してくれ』という文字が見えたところで、コメントの表示を小さくする。
俺は、石の針を一本作った。
火は入れない。
狙うのは、正面の甲殻だ。
針が走る。
再び、白い鏡が広がった。
今度は、その内側まで見えた。
額の角から引き出された魔力が、体の外へ輪を描いている。
甲殻が攻撃を跳ね返しているわけではない。
触れたものを、入ってきた方向へ押し戻す壁だ。
その力は、獣自身の魔力で生まれている。
針が、同じ道を戻った。
俺はすでに、その道から一歩ずれていた。
背後の岩へ、針が突き立つ。
鏡がほどけ、六本の脚が動き出した。
《返鏡壁――解析完了》。
《上位再現可能》。
獣が、俺へ突進した。
壁際へ抜ける。
銀色の角が、肩のすぐ横を通った。
俺は剣を抜き、通り過ぎる後脚の付け根へ刃を走らせる。
硬い手応え。
浅い傷はついたが、甲殻を割るには届かない。
鏡がなくても、それなりに頑丈だ。
「レイン!」
待避室の側から、セリカの声がした。
「二人とも動ける! 横道へ出すね!」
「頼む!」
獣が、その声へ首を向けかけた。
俺は低い位置へ光矢を放つ。
前脚が止まり、鏡が開く。
戻る矢を、斜めに張った《瞬壁》で受けた。
消えた光の向こうで、獣の頭が俺へ戻る。
「そうだ。俺を見てろ」
大きな鏡を作るたび、あいつは踏ん張る。
反射に使った魔力の輪は、一度ほどける。
ほどけた輪を組み直すまでは、次の鏡を出せない。
そこへ、どう届かせるか。
俺は、左手の前へ魔力を集めた。
*
獣と同じ幅の鏡は、要らない。
受け止めるものが針一本なら、それが触れる場所だけでいい。
《瞬壁》で覚えた、小さく、短く展開する組み方。
そこへ、今見た押し返す力を重ねる。
そして、向きを変えた。
来た道へ戻すだけなら、相手の正面へ返ってしまう。
俺が欲しいのは、甲殻の隙間へ通る道だ。
獣が前脚を振る。
俺はその下をくぐり、剣先で地面の小石を弾いた。
胸の高さへ跳ねた石を、左手の前に現れた銀色の面で受ける。
甲高い音。
石は斜め横へ飛び、壁に当たった。
腕に、軽い押し返しが残った。
壁を保つにも、向きを変えるにも、俺の魔力は使う。
強すぎる攻撃まで、何でも返せるわけじゃない。
だが、自分で撃つ針の強さなら分かっている。
《上位再現――転鏡》。
銀色の面を消したとき、横道から二人分の足音が遠ざかっていった。
「入口の職員に合流した!」
作業路から戻ったセリカが、獣の向こうへ出る。
濃紺の外套の裾が、白い粉で汚れていた。
「あいつ、鏡を張ると、前脚の間が少し開くね」
「見えてたか」
「右側の足、ずらせると思う。さっきより踏ん張る場所が崩れてる」
彼女の視線の先には、砕けた石が積もっていた。
獣が扉を襲っていたとき、自分で落としたものだ。
俺は左手に、針を一本浮かべた。
「鏡が光ったら、右の前脚を」
「分かった」
それだけで、セリカは剣を構えた。
俺はコメントへ、一言だけ伝える。
「一度、返させます」
『今まで全部返されてたぞ!?』という文字が、視界の隅を通った。
ああ。
だから、その後に何が起きるかも分かった。
*
俺は針の中へ、小さく火を収めた。
《貫爆針》。
昨日は、厚い標的を割った技。
今日は、あの甲殻の下へ届ける。
左手を上げた。
狙うのは、獣の胸の真ん中。
針が飛ぶ。
鏡殻獣が、前脚を踏ん張った。
白い面が広がる。
同時に、セリカが動いた。
横から近づいた彼女へ、獣の右の中脚が振られる。
細剣の周りに、風の輪が生まれた。
爪を外へ受け流す。
その風が散る前に、彼女は手首を返した。
「《返風刃》!」
低く飛んだ風の刃が、前方で体を支える右前脚の下へ入る。
積もった小石が、まとめて弾けた。
右の前脚が、半歩滑る。
鏡殻獣の体が傾いた。
その正面で、俺の針が跳ね返される。
白い鏡が、ほどけた。
今だ。
戻る針の前に、手のひらほどの銀色の面を張った。
《転鏡》。
左腕へ、強い衝撃。
足を踏ん張る。
針は俺へ届かず、斜めに跳ねた。
狙いは、傾いた胸と、浮いた右前脚の間。
甲殻に隠れていた、柔らかい継ぎ目。
獣の角が光る。
次の鏡を作ろうと、魔力が輪を描き始めた。
遅い。
最初から、そこへ返すつもりで待っていたんだ。
針が、継ぎ目へ消える。
「セリカ、離れて!」
彼女が、俺のいる側へ飛び退いた。
俺は火を閉じ込めていた術式を解く。
くぐもった爆音。
鏡殻獣の内側から、光が噴き出した。
胸の甲殻が大きく割れ、巨体が持ち上がる。
俺は、並んだ二人の前へ《瞬壁》を張った。
飛んできた破片が、青い板を叩く。
その向こうで、六本の脚が崩れた。
銀色の角から、光が消える。
地響きが収まっても、獣は立ち上がらなかった。
俺は防壁を解いた。
左腕が、少し痺れている。
指を握り、開く。
動く。剣も握れる。
「セリカ?」
「大丈夫。そっちは?」
「同じく」
彼女が、倒れた巨体の脚へ剣先を向けたまま、息を吐いた。
俺も角の光が戻らないことを確かめ、それからコメントの表示を戻す。
『返したのを返した!?』『鏡が出る前に届いた!』という文字が、いっぺんに視界へ飛び込んできた。
『昨日の針だ』『セリカが足を崩したところ、もう一回見たい』と、その後も続く。
俺は、まだ少し痺れている左手を振った。
「相手は、来た道へ返す。俺は、通したい場所へ返す」
砕けた甲殻の間に、使い終わった石の欠片が見えた。
「届け方を、もう一つ増やしました」
*
坑道の外へ出ると、救出した二人が立ち上がった。
一人は水の入った椀を置き、もう一人は毛布を肩から落としかけた。
「あの音は……」
「倒しました。念のため、中の安全確認はギルドの方とお願いします」
セリカが答えると、二人は何度も頭を下げた。
グスタフは、地面へ腰を下ろしたまま、俺たちを見ていた。
「……本当に、倒したのか」
職員の魔導板には、俺たちの配信が映っている。
獣が倒れた場面から、坑道を戻ってくるところまで。
すぐそばで見ていた若い隊員が、無言でうなずいた。
「あれだけの反射を、どうやって」
「返してきた後に、隙がありました」
「そんな短い隙に、何ができる」
俺は左手を上げた。
「小石を一つ、通しました」
グスタフの目が、俺の手から、自分の曲がった戦槌へ落ちる。
何かを言いかけた口が、そのまま閉じた。
『傷一つつかないはずの小石で終わった』『逃げ戻るって言ってた人、見てたか』というコメントが流れた。
俺は返事をせず、救出された二人へ向き直った。
片方の男が、深く息を吸う。
「扉の外で、何度も音がして……もう、来てもらえないかと」
そこで言葉が詰まった。
セリカが、水の椀を彼の手へ戻した。
「今は、ゆっくり飲んで。外まで来たんだから」
男が、椀を握ってうなずく。
俺たちを見るグスタフの視線を、今度は誰も気にしていなかった。
*
夕方、工房へ戻った。
鍛冶師は、俺たちを見るなり、作業台の前を指さした。
「並べろ」
「剣ですか?」
「剣も、鞘も、帯もだ。直した日に岩山で暴れてきたんだろう」
セリカと二人で、素直に装備を外した。
剣帯は、しっかり締まったままだった。
セリカの剣も、引っかからずに抜ける。
「横道から戻るとき、助かりました」
彼女が鞘を差し出しながら言った。
「狭くて、前みたいに手首をずらす余裕がなかったので」
鍛冶師は返事をせず、鞘の中を覗いた。
口元だけが、少し緩んでいる。
俺は修理された留め金を、指で押した。
今日も、何度も横へ跳んだ。
そのたびに剣が腰にあったのは、当たり前ではなかったらしい。
「俺の方も、助かりました」
「そうか。だったら、次も仕事の前に持ってこい」
「はい」
配信を終えようとしたところで、魔導板にギルドからの連絡が入った。
追加報酬の案内。
それから、もう一通。
鏡殻獣が出てきた古い坑道は、封鎖されていた地下遺構につながっていたという。
正式な調査隊を組むため、翌日、依頼の説明を行いたい。
担当者の名は、ヴァルトだった。
「今度は、下だね」
横から読んでいたセリカが言う。
『地下遺構!?』『鏡殻獣が入口にいたってこと?』と、コメントがざわめいた。
俺は、依頼書の末尾に添えられた一文を読んだ。
地下への扉には、王国が成立するより古い文字が刻まれていたらしい。
その訳が、記されている。
――勝者の技を、次の守護者へ継承する。
俺はしばらく、その一文を見ていた。
「レイン?」
「ああ。明日、話を聞こう」
相手が勝者の技を覚えるのなら、昔そこを通った誰かの切り札が、今も下で待っているのかもしれない。
俺の手が、作業台の上の剣へ伸びた。
その手を、鍛冶師がぴしゃりと叩く。
「まだ点検中だ」
視界に、『まず留め具からな』というコメントが流れた。
……そこは、返す言葉もなかった。




