第6話 その砲撃、上位互換で返します
青い布を巻いた薬瓶が、木箱へ収められた。
商会の女主人は、その隣にも布を詰め、瓶同士が触れないことを確かめてから蓋を閉じる。
「北のベルカという町まで、お願いします」
ミラと名乗った女性が、俺たちへ向き直った。
演武を終えた、その日の夕方だった。
薬、包帯、それから食料。
広い倉庫の中で、小型の荷馬車一台分だけが、出発を待っている。
「これまで二度、輸送隊が引き返しています。一度目は車輪を壊されました。二度目は護衛が負傷して、荷を一部捨てることになりました」
ミラは、机に一枚の地図を広げた。
「迂回路なら三日。北街道が通れれば、明るいうちに着きます」
「襲った魔獣は?」
「岩砲獣です。御者が少なくとも三頭見ています。普通の盾では、石弾を受け切れませんでした」
俺は、地図の道筋を指で追った。
山裾を回り込むところで、街道が細くなる。
崖と石垣に挟まれた、曲がり道だ。
「頭数が確定していないのと、射撃される場所は分かっているんですね」
「はい。詳しい地形は、同行する御者から聞いてください」
セリカが地図へ顔を寄せた。
「この荷を先に届けて、残りの物資は街道の状況を見てから?」
「そう考えています。どうか、無理な約束はしないでください。今日の試合を見てお願いしたのは私ですが――」
ミラは言葉を切り、俺の左腕を見た。
俺は手を開いた。
壁を支えた腕には、まだ疲れが残っている。
「出発は明朝にしましょう。今夜は休みます。その間に、地図と以前の記録を見せてください」
セリカも、うなずいた。
「前からの石弾はレインが。近づいてくる相手と、横からの攻撃は私が見ます。馬車をどこで止めるかは、御者さんと決めましょう」
ミラは地図の上に、もう一枚の紙を置いた。
報酬と、届ける荷物が書かれている。
依頼の完了を確かめる欄には、町の受取人が署名することになっていた。
討伐した数を書く欄は、なかった。
俺は、さっき蓋を閉じた木箱を見た。
今回の勝ちは、あれを届けて初めて決まる。
「引き受けます」
俺とセリカは、それぞれ自分の名前を書いた。
*
翌朝は、よく晴れていた。
荷馬車の車輪が、乾いた道を進んでいく。
俺は左手で剣を支え、右手で柄を握り直した。腕の重さは、ほとんど抜けている。
御者は、ダンという日に焼けた男だった。助手と二人で、荷と馬の様子を交互に確かめている。
セリカは荷馬車の後ろ側。
俺は、少し前を歩いていた。
街道沿いの中継杭が光っているのを確かめ、映写球を上げる。
「今日は、救援物資の護衛です。依頼主の了解をもらって、道の状況も記録しています」
『今度は荷物を守る方か』『壁の使いどころが来たな』というコメントが流れた。
その後ろから、『全員を壁で囲めば通れる?』と届く。
「荷馬車ごと、ずっと囲むには魔力が足りません」
俺は、前を行く馬と、その後ろの荷台を映した。
「必要な場所だけ防ぎます。見えない方向はセリカに任せて、移動はダンさんにお願いします」
「止める場所さえ分かれば、任せてくれ」
ダンが、手綱を持ったまま答えた。
「昨日の地図で話した大岩までは、道幅がある。その先は、一度止めて様子を見た方がいい」
俺はうなずいた。
昨夜見せてもらった記録では、最初の石弾が来た後、荷馬車が道の真ん中で止まっていた。
どこから撃たれたのか分からず、馬も御者も動けなかったのだ。
その間に、二発目が来た。
俺たちは、止まる場所を先に決めてある。
前世、護衛する対象がいるゲームで、よく失敗したことがあった。
敵を追う。
倒す。
戻ってきたら、守るはずのものがなくなっている。
自分だけ生き残っても、勝ちにはならない。
映写球を高くし、道の先まで入れる。
曲がり角の上で、白い粉が舞った。
石が砕ける音。
俺は、コメントの表示を消した。
「来ます。予定の岩陰へ」
*
崖の中腹に、灰色の塊がいた。
大きな猪に似ているが、背も頭も分厚い岩の甲殻で覆われている。
岩砲獣。
その口の前に、石が浮いていた。
周囲の小石を集め、ひとつに固めている。
青い輪が、石の後ろで縮んだ。
「左上!」
セリカの声と、俺が手を上げるのは同時だった。
盾ほどの瞬壁を、一枚。
石弾の通り道へ出す。
頭ほどもある石が、青い面にぶつかった。
重い音が響く。
左腕から、肩へ衝撃が抜けた。
俺は足を踏ん張り、壁の角度を保つ。
石弾が崖側へ逸れ、地面を削って砕けた。
馬がいなないた。
「そのまま、歩かせて!」
「分かってる!」
ダンが手綱を操る。
助手が荷台の前から馬へ声をかけ、車輪は止まらずに進んだ。
俺は瞬壁を消した。
一発目を撃った獣の口元を見る。
空になっている。
次の石を作るため、小石がまた浮き始めた。
その少し右でも、青い光が生まれた。
二頭目。
道の先、低い岩の向こうにも一頭いる。
見えている射手は三頭だ。
「次は正面。もう少しで岩陰です」
俺は荷馬車に合わせて後ろへ歩き、次の射線へ瞬壁を置いた。
二発目がぶつかる。
腕が、じんと痺れた。
長く続けるのは、得策ではない。
だが、荷馬車は大岩の張り出しを回り込みつつあった。
「後ろ、抜けた!」
セリカの声。
最後の車輪が岩陰に入った。
俺もその後ろへ下がる。
三発目の石弾が、張り出した岩にぶつかった。
頭上から、細かな砂が落ちてくる。
ダンは馬を止め、助手がすぐに口元へ寄った。
「荷は?」
「崩れてない。馬も無事だ」
「ここで待っていてください。俺たちが戻るまで」
石弾を防いだのは、二度だけ。
残りは、地形が引き受けてくれる。
これなら、攻めるための魔力を残せる。
岩の向こうで、硬い爪が地面を掻く音がした。
セリカが剣を抜く。
「道から一頭、寄ってくる。小さいけど速い」
砲撃していた三頭とは、別の個体だった。
低く構えた身体が、岩の陰から見え隠れする。
「こっちは私が。上をお願い」
「任せる」
俺は、崖の中腹へ視線を戻した。
*
岩を叩く音が、間を置いて続いていた。
俺は発射の音を数え、途切れたところで岩の端から口元を確かめた。
口の前に、石が集まる。
固める。
その後ろに、射出するための魔力を溜める。
撃つ。
青い線を追うと、手順がはっきり見えた。
術式は、獣の口の外で組まれている。
石を集め、形を保ち、飛ばすための輪。
人の手元にも、その輪は作れる。
《岩弾砲――解析完了》。
《上位再現可能》。
ただ、同じ大きさの弾を作る気はなかった。
獣は、頭ほどの石を丸く固めるところに時間を使っている。
車輪を砕くには、それが有効なのだろう。
俺が狙う場所は、もっと小さい。
足元から、小石を三つ拾い上げた。
必要な形へ、削る。
細く、長く。
固める魔力を、先端へ集める。
丸い塊を作るときより、ずっと短い時間で形が整った。
《上位再現――穿岩針》。
小指ほどの石の針が、手元に浮く。
それを、三本。
射出する輪を三つ並べ、解放する合図だけを一つにつなぐ。
三連光矢で使った組み方だ。
魔力が、指先から抜けていく。
俺は呼吸を整え、岩の端へ足を進めた。
横から、爪が岩を削る音が響いた。
セリカの剣に、風が巻いている。
小型の岩砲獣が体当たりしてきたところを、斜めに流していた。
そのまま剣を返す。
風の刃が前脚の継ぎ目へ走り、獣の踏ん張りを崩した。
セリカが位置を変え、甲殻の薄い脇へ剣を突き入れる。
岩砲獣が、横倒しになった。
「こっちは終わり。馬車、守れるよ」
俺は、うなずいた。
もう一度、砲撃の音を待つ。
一発。二発。
三発目が岩にぶつかった瞬間、俺は外へ踏み出した。
崖の二頭も、道の奥の一頭も、砲口が空になっている。
三頭の頭が、こちらを向いた。
小石が浮き上がり、口元へ集まっていく。
再装填。
こちらは、もう終わっている。
前世、発射そのものが速い相手でも、弾を用意している間には攻撃できなかった。
なら、そこで勝負を決めればいい。
俺は、三頭の口元を狙った。
石弾を作るために、甲殻が左右へ開いている。
今だけ、硬い鎧に守られていない場所だ。
「次は、俺の番だ」
指を開く。
三本の針が、走った。
細い風切り音。
崖の一頭が、大きく頭を跳ね上げた。
口元に集まっていた石が、ばらばらと落ちる。
右の一頭も、腹を岩棚へ落とした。
道の奥では、三本目の針が開いた砲口を貫いた。
巨体が傾き、地面へ崩れる。
三頭とも、次の砲撃を俺に向けて放つことはなかった。
しばらく、崖から転がる小石の音だけが続いた。
俺は、残った魔力を確かめた。
まだ、壁は出せる。
帰り道で何かあっても、戦える。
上出来だった。
*
「終わった、のか?」
岩陰から、ダンの声がした。
「見えていた四頭は倒しました。周りを確かめてきます」
俺はセリカと一緒に、道の先を調べた。
崖へ続く獣道。
岩の隙間。
さっきまで射撃に使われていた場所にも、動くものはない。
セリカが、地面の跡を見て顔を上げた。
「ほかの足跡は古い。今は、進めそう」
俺たちは馬車へ戻った。
「ゆっくり行きましょう」
ダンは車輪を一周見てから、馬を撫でた。
助手が荷台の縄を確かめ、親指を立てる。
俺も、そこでようやくコメントの表示を戻した。
『石で撃ち返した?』『あっちは一発作る間に、三発もらってたぞ』という文字が流れていた。
続いて、『馬車、無事?』と届く。
俺は映写球を下げ、車輪と荷台を映した。
「無事です。ここから、町まで運びます」
『荷台そのままだ』『二回しか壁を出してないのに』と、コメントが続く。
「ダンさんたちが、止まらずに岩陰まで動かしてくれたので」
俺が言うと、ダンは首を振った。
「あんたが最初の石を止めてくれたからだ。前は、あれで何もできなくなった」
「一発目さえ抜ければ、次までに動けましたね」
「ああ。次がいつ来るか、言ってくれたのも助かった」
ダンの手が、落ち着いて手綱を握り直す。
馬が歩き出した。
俺たちも、元の位置へ戻る。
「今の石の針、いつ覚えたの?」
セリカが、後ろから聞いた。
「あの獣が、弾を作っているところを見て」
「口から撃たなくてもよかったんだね」
「そこは、真似しなくて済んだ」
『口から石を吐く先生は見たくなかった』という文字が流れた。
俺も、それには同意する。
「弾を小さくして、細くしました。大きな鎧を壊すより、開いている場所へ通す方が、少ない魔力で済むので」
「それで、三本まとめて」
「うん。何度も撃ち合わずに終わらせたかった」
荷台で、木箱が小さく揺れた。
中の瓶は、布に包まれている。
あれが割れる機会を、増やしたくなかった。
セリカが、馬車の後ろを確かめてから言った。
「私も、前より早く倒せた。返した風で脚を崩せたから、甲殻の横へ入れたよ」
「見てた。おかげで、上だけに集中できた」
視界の端に、『灰狼のときの二人だ』『相手が変わっても、役割が崩れないんだな』と流れる。
俺は映写球を少し上げた。
先を歩く俺。
馬車を動かす二人。
後ろを守るセリカ。
全員が入る位置へ。
*
ベルカの門が見えたのは、日が傾き始めた頃だった。
馬の歩みに合わせて進んだので、予定より少し遅くなった。
それでも、空はまだ明るい。
門番が、荷台の商会旗を見て身を乗り出した。
「ミラ商会の荷か!」
ダンが、片手を上げる。
「薬も食料も、全部ある!」
門の内側から、何人かが走ってきた。
荷馬車を広場へ入れると、町の薬師だという女性が、木箱の封を確かめた。
蓋が開く。
詰めた布が、一枚ずつ取り出される。
青い布を巻いた薬瓶が、彼女の手に収まった。
割れていない。
口の封も、そのままだ。
薬師は瓶を光へかざして、それから胸の前で持ち直した。
「届いた……」
小さな声だった。
だが、俺には門番の呼び声より、はっきり聞こえた。
包帯の箱も開けられる。
食料の袋は、集まってきた人たちが順に運んでいった。
俺は馬車の脇を離れ、道を空けた。
ここから先は、この町の人たちの仕事だ。
助手が空になった荷台を見て、長く息を吐いた。
「本当に、全部下ろせた」
ダンも、馬の首を撫でながら笑っていた。
受取人の署名が入った紙を、俺とセリカで確かめる。
薬。包帯。食料。
全て、受領。
俺はそこで初めて、肩の力を抜いた。
『最初の瓶、そのまま届いた』『これで依頼完了か』というコメントが流れる。
「はい」
俺はうなずいた。
「これで、依頼完了です」
討伐した瞬間とは、違う嬉しさがあった。
俺が覚えた壁は、ちゃんと荷物を守れた。
新しい石の針は、その壁を出し続けなくて済む時間を作ってくれた。
そして、セリカが後ろを受け持ってくれたから、俺は前を見ていられた。
見習い魔術師から、『守る場所を、先に決めておくんですね』と届く。
「そうです。全部を一人で守ろうとすると、間に合わなくなるので」
俺は、荷台の縄を片づけているダンたちを見た。
「誰が何をするか決めておくのも、守り方の一つです」
薬師がこちらへ戻ってきた。
「皆さんの食事と、休む場所を用意しています。馬にも、水と飼葉を」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのは、こちらです」
彼女は俺たちの顔を見てから、少し笑った。
「昨日まで、次の荷がいつ来るか分からなかったんです」
俺は、さっきまで箱が積まれていた荷台を見た。
今は、何もない。
壊されて、なくなったのではない。
待っていた人たちのところへ、全部届いた。
「今日は、ここで配信を終わります」
映写球を呼び戻す。
「見てくれて、ありがとうございました。帰りも、全員で戻ります」
『飯食って休め』『御者さんたちもお疲れさま』という文字が流れた。
その中に、『こういう無傷の勝ち方、好きだ』というコメントがあった。
俺は、思わず笑った。
「俺もです」
配信を切ると、セリカが空の荷台へ軽く手を置いた。
「来るときより、ずいぶん軽そう」
「帰りは楽になるな」
そう言ったところで、ダンが戻ってきた。
手には、何通かの封筒がある。
「町の人から頼まれた。商会と、向こうにいる家族へ。荷が届いたって、知らせたいそうだ」
俺は封筒を受け取った。
先ほどまで剣を握っていた手に、薄い紙の感触があった。
「分かりました。持って帰ります」
セリカが、隣でうなずいた。
空になった馬車にも、帰りに守るものができた。




