第115話 任せられる戦場
ガルムが北西拠点へ到着したことで、白陣営にとって最も厄介だった問題が1つ増えた一方、エイルにとっては、自分が処理しなければならないものが初めて明確に1つ減った。
第7席ハルドの射撃は、ここまで何度も青側の前進を止め、指揮官や旗周辺の兵士を狙い、エイル自身にも大量の矢を落とさせてきた。放っておけば占領判定をひっくり返されるだけの影響力があるため、少し前のエイルならアルベルトを振り切ってでも止めに向かうことを考えていただろう。
しかし今は、第9席ガルムがいる。
相手が遠距離戦を得意とする第7席だからといって、必ずしもエイルが処理しなければならない理由はない。
エイルはアルベルトの長剣を受け流しながら、《振動感知》の中でガルムとハルドの位置だけを薄く残し、意識の大半を目の前と旗周辺へ戻した。
「行かないんだな」
アルベルトが剣を返しながら訊く。
「ガルムさんがいますから」
「少し前なら、君も向かっていただろう」
「多分。でも、今ここから離れたらアルベルトさんも旗へ戻れますよね」
「理解が早くなった」
騎士の斬撃が浅く入る。
エイルはそれを受け止めるのではなく、接触した刀身を僅かに外へ滑らせながら、自分の立ち位置を占領圏から遠い側へ保った。
アルベルトを倒す必要はない。
ここへ留めればいい。
それだけで旗周辺から白側の最大戦力1人を外せるのだから、自分まで占領圏の外にいる代償を払っても、青側の人数差としては得になる。
アルベルトも当然その意図を理解しているため、単純にエイルを倒そうとはせず、剣を使って少しずつ旗側へ戻ろうとしていた。
だからこそ、今の攻防は先ほどまでの純粋な剣の競い合いとは少し違う。
有効打を取ることより、相手をどこへ立たせるか。
どちらが次の場所を選ぶか。
その争いになっている。
◇
拠点外縁では、ハルドが最初の矢を放った。
狙われたのはガルム本人ではない。
巨大な身体へ直接撃っても、大斧と重装を持つ第9席を一撃で止められないと判断したらしく、矢はガルムの右前方にある地面へ突き刺さった。
続けて2本目。
左。
3本目は少し後ろ。
ガルムの進路を限定するように、矢が次々と置かれていく。
「《連環射》」
複数の矢を繋ぐように魔力が走り、白い光の線がガルムの正面へ広がった。
無理に踏み込めば演習判定を受けるだけの威力がある。
ガルムは止まった。
「ほらな」
ハルドが距離を保ったまま笑う。
「的が大きい奴は、撃つ必要すらない。歩ける場所を消せばいい」
「そうか」
ガルムは大斧を両手で持ち直した。
「なら、道を作る」
巨大な戦斧が振り下ろされる。
狙いはハルドではない。
地面。
刃が土へ食い込んだ瞬間、ガルムは腰と肩を使って斧を強引に引き抜き、大量の土と石を正面へ跳ね上げた。
魔力線を繋いでいた矢のうち2本が土ごと押し倒され、配置が崩れたことで《連環射》の一部が途切れる。
「雑だな!」
「通れればいい」
「そういうところ嫌いだぞ!」
ハルドが次の矢を番えるより先に、ガルムは空いた場所へ踏み込んだ。
《歩法》の技能が特別高いわけではない。
敏捷特化でもない。
ただし、一歩が大きい。
鍛え抜かれた身体と《身体強化》に加え、相手が作った障害を避けるのではなく壊して進むため、ハルドが予想したより距離の詰まり方が速かった。
それでも第7席は慌てない。
1本。
2本。
3本。
今度はガルム本人へ。
最初の矢を斧の腹で弾き、2本目は身体を僅かに傾けて肩鎧へ掠らせ、3本目だけは脇腹へ向かっているため柄で外す。
巨体に似合わず、必要な場所しか動かしていない。
エイルはアルベルトと剣を交えながら、その振動と僅かに見える動きを拾っていた。
「ガルムさん、避けるの上手いですね」
「第9席だぞ。力だけであそこまで上がったと思っていたのか?」
「思ってはないですけど、見た目がすごく力なので」
「本人に言うなよ」
アルベルトが僅かに笑いながら斬り込んでくる。
エイルはその剣を受け流し、ハルド側へ意識を戻さなかった。
見たい。
ガルムがどのように第7席の射撃を処理するのか興味はある。
しかし今は、自分が見ることより任せる方が重要だった。
◇
「青占領進行、9割!」
旗周辺から声が響く。
残り時間は9分を切っている。
白側は人数を戻そうとするものの、北門の外では青兵5人が増援を足止めし、さらにガルムが到着したことでハルドも自由に旗へ射撃できなくなった。
アルベルトがここへいる間に、青側が押し切れる可能性は高い。
白側もそれを理解している。
「副長、戻ってください!」
旗周辺から声が飛んだ。
アルベルトの目が一瞬だけそちらへ動く。
エイルも動く。
騎士が旗へ戻るための最短経路へ、自分の剣を先に置いた。
「早いな」
「戻りたいですよね」
「当然だ」
アルベルトはエイルの剣を正面から排除しようとせず、一度左へ身体を寄せることで回り込むように見せた。
エイルも左へ対応する。
その瞬間、騎士は右足を軸に身体を反転させ、逆方向へ抜けようとする。
予測を外された。
しかし、エイルは左へ大きく追わなかったため、中央へ残していた剣をそのまま右へ繋げることができた。
アルベルトの長剣とぶつかる。
「本当に追わなくなったな」
「外れる前提にした方が楽なので」
「素直すぎて教え甲斐がない」
「それ褒めてます?」
「半分はな」
アルベルトは少しだけ距離を取る。
ここまでならエイルが対応できる。
では。
違う方法。
騎士が突然、剣を低く構えた。
エイルは警戒する。
斬撃ではない。
アルベルトは地面を強く蹴り、エイルではなく、そのすぐ右を抜けようとした。
純粋な移動。
エイルが剣で止めに入れば、アルベルトは刀身へ自分の剣を当て、力の方向を利用してさらに外へ滑る。
上手い。
剣で道を塞ぐほど、その接触さえ移動へ使われる。
「だったら」
エイルは次の一歩で剣を出さなかった。
身体。
アルベルトが抜けようとしている場所へ、自分自身を置く。
騎士が一瞬だけ目を見開く。
肩と肩。
接触。
ここでは技量より。
純粋な身体能力差。
エイルは《身体強化》を維持したまま、脚部の《高密度強化》を一瞬だけ腰へも広げ、アルベルトの進路を身体ごと押し返した。
騎士は真正面から競わず、すぐ横へ力を逃がしたものの、旗へ向かう進路からはさらに外れる。
「剣で止められないなら身体か」
「使えるものは使った方がいいって、ローディンさん見て思ったので」
「第15席からまで盗んできたのか」
「少しだけ」
「君と戦った連中、全員損してないか?」
エイルは返事の代わりに少し笑った。
◇
その時、旗周辺で大きな鐘が鳴った。
監視役の声が続く。
「北西拠点――青陣営が占領!」
青側から一斉に歓声が上がった。
白の旗が消え、代わりに青い光が監視櫓の上へ立ち上がる。
残り8分台。
青は中央に加えて北西まで確保した。
「取った!」
「維持しろ! まだ終わってないぞ!」
青の指揮官が歓声を抑えながら指示を飛ばす。
白側もすぐに奪還へ切り替える。
占領されたからといって、演習終了まで保持されると決まったわけではない。
アルベルトも旗の色が変わった瞬間、エイルとの攻防を切った。
追うべきか。
エイルは一瞬考え。
追わなかった。
アルベルトは白側へ戻る。
それでいい。
占領後は、相手を旗から遠ざけ続けることより、青側の防衛線を作る方が重要になる。
「青、南入口を閉めてください! 北門は白の増援がまだいます!」
自然に声が出た。
青側の指揮官が即座に拾う。
「聞いたな! 盾6、南入口! 槍4は北へ! 残りは旗へ固まるな、外周へ散れ!」
エイルは命令を出す立場ではない。
それでも、感知した情報を声にすれば、指揮官が判断へ使ってくれる。
今はそれで十分だった。
◇
ハルドとガルムの戦いも、旗の占領によって形を変えた。
白側だったハルドは旗を取り返すため前へ出たい。
青側のガルムは、それを止めればいい。
攻守が逆転する。
ハルドが大きく横へ回りながら矢を3本放った。
ガルムへ2本。
残る1本は、その横を抜けて北西拠点の旗側へ向かう。
ガルムは自分へ向かう2本のうち1本を避け、もう1本を斧で弾いたが、旗へ向かう最後の矢には手が届かない。
エイルの《警戒圏》が反応する。
自分なら。
間に入れる。
脚へ高密度魔力を集めかけたところで。
「右から矢!」
別の青兵が叫んだ。
旗の近くにいた盾兵がすぐに反応し、矢を防ぐ。
エイルは踏み出しかけた足を止めた。
「……今の、僕いらなかったな」
隣にいた青兵が聞く。
「何が?」
「矢。誰かが先に気づきました」
「お前が散々教えたからだろ」
エイルは少し考える。
確かに。
ここまで何度もハルドの射線を知らせ、地面から援護し、自分でも矢を落としてきた。
その結果。
青兵たち自身が、遠距離射撃へ注意を向けるようになっている。
自分が全ての矢を落とさなくても。
戦場が変わっている。
それは思っていたより。
かなり嬉しかった。
◇
残り7分。
青が北西を保持したことで、白側は無理にでも奪い返す必要が生まれた。
北門から入ったアルベルトを中心に、白兵が再編される。
ハルドもガルムとの距離を一度大きく取り、射撃で旗周辺へ圧力を掛けようとしている。
対する青は、旗周辺へ過剰に固まらず、入口と外周へ戦力を散らしていた。
エイルは南寄り。
ガルムは北東。
青の指揮官は旗より少し後ろ。
各自が役割を持ち始めている。
そこで、《振動感知》へ中央方面から速い反応が入った。
1人。
こちらへ向かっている。
「また誰か来ます」
近くの兵士が嫌そうな顔をした。
「今度は誰だよ」
「速いですけど、アルベルトさんとは違います」
足音が軽い。
しかしハルドほど静かではない。
それ以上に。
魔力反応。
かなり大きい。
「魔術師かな」
エイルが呟いた直後、森の向こうで青白い光が瞬いた。
見覚えがある。
第11席。
雷魔術剣士。
ただし。
赤陣営。
「何で赤まで来るんだ!?」
青兵が叫ぶ。
第11席は森を抜けると、北西拠点の少し離れた場所で足を止めた。
「安心しろ! 青を助けに来たわけじゃない!」
「じゃあ帰ってください!」
エイルが返す。
「そうしたいが、白にここ取られると赤が暫定3位なんだよ!」
なるほど。
赤としては青に北西を保持されるのも困る。
しかし白が奪い返せば、もっと困る。
三つ巴。
最後まで面倒な関係が続くらしい。
第11席は雷球を3つ浮かべる。
狙いは。
白。
北門の増援。
「お前らが北西持ってる間だけ、白を止める!」
青兵が困惑する。
「敵だよな!?」
「敵だ!」
「じゃあ何で援護してる!」
「順位表見ろ!」
エイルは少し笑った。
「集団戦って面白いですね」
近くの盾兵が呆れたように見る。
「お前、今日ずっと楽しそうだな」
◇
白側は、さらに厳しくなった。
旗を奪い返すには青を突破しなければならないが、その背後から赤の第11席が雷魔術で圧力を掛けてくる。
ただし赤も青を守り切るつもりはなく、白が押されすぎれば次は自分たちが旗へ入る可能性がある。
青としても完全には信用できない。
エイルはその複雑な位置関係を《振動感知》と《魔力感知》で追いながら、目の前へ戻ってきた白兵2人の攻撃を剣で流した。
1人目の剣を根元から外し、その軌道を利用して2人目の槍へ刀身を繋げる。槍兵が引こうとしたところへ無理に追撃せず、相手が次に踏み込みたい場所へ自分の切っ先を置くことで進路を変えさせ、そのまま横にいた青兵が使える空間を作った。
「今です!」
「分かってる!」
青兵が踏み込み、白側を1人後退させる。
以前なら、自分で倒していたかもしれない。
今は。
自分の剣で作った場所を。
味方が使う。
その方が速い。
【《剣術 Lv.78 → Lv.79》】
表示が浮かんだ。
ついにアルベルトの公開値を1つ上回る。
しかしエイルは、少し前と同じように数字だけでは判断しなかった。
アルベルトより《剣術》のLvが1高い。
だから剣士として上。
そんな単純な話ではない。
今のLv79には、アルベルトから見た技術、ハルドの矢を落とし続けて得た軌道処理、ローディンの全身を使った接近戦、複数人相手の位置取りなど、短期間に吸収したものが大量に混じっている。
それに対してアルベルトの78には、何十年も実戦で失敗しながら積み上げた判断がある。
同じ尺度だけでは測れない。
ただし。
エイル自身の剣が。
確実に以前とは違う場所へ来ていることだけは分かった。
◇
残り5分。
青の北西拠点保持は続いている。
中央もまだ青。
このままなら。
勝てる可能性が高い。
しかし。
本部監視所で得点盤を見ていた評価官たちは、別の場所へ注目していた。
「対象エイル、北西到着後の関与記録を更新」
「まだ増えるのか」
「第9席到着後、第7席への対応を自分から切っています。その後はクライゼン副長を占領圏外へ誘導し、北西占領成立へ関与。現在は周辺兵と連携しながら防衛中」
「第11席が来たな」
「赤側ですが、現在は白へ攻撃しています」
「順位都合か」
「はい」
軍評価官は、演習開始時の配置図と現在の戦況図を並べて見る。
最初。
エイルは青陣営の遊撃隊に入った。
そこからレオンに止められ。
中央へ戻り。
第11席と戦い。
ハルドの矢を迎撃し。
アルベルトと剣を交え。
南西へ遠隔支援。
西側へ回り込み。
中央へ戻り。
東へ移動して第15席を止め。
さらに北西。
そして今。
青側の兵士たちがエイルの地鳴りや警告を前提に動いている。
「最初は、強いA級を遊撃に入れただけだったんだよな」
騎士団側の評価官が言う。
「ああ」
「今、どう見える?」
軍評価官は少し考えた。
「遊撃というより……戦場の足りない部分へ勝手に入る補修材だな」
「例えが悪い」
「だが近いだろ。前衛が足りなければ前へ入り、射撃が問題なら矢を落とし、索敵が足りなければ広げ、援護が必要なら地面から触る。それで本人を止めようと上位戦力を当てても、その相手をしながら他へ手を出す」
記録担当が小さく付け加える。
「最近は、全部自分でやらずに周囲へやらせ始めました」
「そこが一番まずい」
評価官は戦況盤の中央にあるエイルの反応を見る。
「1人で何人分も動く奴が、味方まで効率よく動かし始めたら、単純な戦闘力だけで評価できなくなる」
◇
残り4分を告げる鐘が鳴った。
白側は最後の突入へ入る。
アルベルトが先頭。
その後ろに盾兵と槍兵。
ハルドもガルムを引き離しながら射線を旗へ戻そうとしている。
赤の第11席は白を止めながらも、少しずつ旗へ近づいているため、青としてはそちらも警戒しなければならない。
エイルは全体を感知した。
全部へ手を出せる。
しかし。
全部へ行かない。
「ガルムさん、第7席お願いします!」
「最初からそのつもりだ!」
「第11席は?」
近くの青兵が訊く。
エイルは雷魔術の位置を読む。
「今は白を撃ってます。旗へ近づいたら教えます!」
「アルベルト副長は?」
「僕が見ます!」
「結局一番重いところお前じゃねえか!」
「剣の練習にもなるので!」
「やっぱり楽しんでるだろ!」
笑い混じりの怒鳴り声が飛ぶ。
エイルは少しだけ笑いながら、前へ出た。
アルベルトもこちらを見る。
「また君か」
「残り4分なので、今度は止めます」
「さっきから止めているだろう」
「もっとちゃんと」
「言うようになったな」
2人の距離が縮まる。
今度は純粋に剣だけを見るわけではない。
旗。
味方。
第11席。
ハルド。
ガルム。
それら全部を薄く残しながら。
目の前のアルベルトへ剣を向ける。
騎士が斬る。
エイルは受け流しながら、その戻り道へ自分の剣を置く。
アルベルトが途中で軌道を変えれば、無理に追わず中央へ戻して次へ備える。
2撃目では騎士が剣ではなく肩から入ってきたため、エイルは一歩だけ下がるのではなく、身体を斜めへ滑らせて相手の進路そのものを旗から外した。
3撃目。
アルベルトがその誘導を読んで逆へ。
エイルも追いすぎない。
互いに相手が何を狙っているか分かっている。
だからこそ。
僅かな位置取りが重要になる。
数値ではない。
技能Lvだけでもない。
経験。
判断。
相手が何を守りたいか。
そこまで含めた戦い。
エイルは。
今までよりずっと。
人間との戦闘が分かるようになっていた。
◇
「残り3分!」
旗は青。
中央も青。
北西も青。
第11席が一歩だけ旗へ近づく。
エイルが感知する。
「赤、旗へ寄ります!」
青側が即座に盾を向ける。
第11席は苦笑して止まった。
「本当に全部見てるな!」
「今は見てます!」
「こっちだって最後に取れるなら取るからな!」
「敵ですもんね!」
「最初からそう言ってる!」
そのやり取りの直後、ハルドの矢が旗へ2本飛ぶが、ガルムがその射線へ大斧を差し込み、1本を弾き、もう1本は青兵が盾で止める。
エイルは動かなかった。
任せる。
その分だけ。
アルベルトへ集中できる。
騎士の剣を受けながら、エイルは僅かに笑った。
「やっと私だけを見たか」
「完全には見てないです」
「台無しだな」
アルベルトも笑う。
残り時間はさらに減る。
青側の誰も、もうエイル1人へ全部を任せてはいない。
矢を見れば盾を上げる。
地鳴りが来れば踏み込む。
警告があれば考えるより先に動く。
ガルムはハルドを止め。
青の指揮官は旗を守り。
兵士たちは自分たちで空いた場所へ入る。
その中でエイルは。
ただ1人分の身体で。
自分にしかできない場所へ立っていた。
それが。
今日一日で得たものの中でも。
かなり大きな変化だった。




