第23話 止まった刃
「さて、続きだ」
松岡の声が落ちる。一歩、踏み込む。悠真は動けなかった。立てない、構えられない、逃げられない。身体が言うことを聞かない。視界の端で、倒れた騎士たちとフェンの姿がぼやける。
(……終わりか)
妙に静かだった。恐怖はない。ただ、受け入れていた。
松岡の手が、ゆっくりと振り上げられる。終わる。
その瞬間――
不意に、記憶が浮かぶ。焼けた匂いではない。血の匂いでもない。もっと前。まだ、すべてが壊れる前の記憶。
「遅れるな、榊原」
訓練場。乾いた土の上。松岡が、同じように立っていた。だが、その目は違った。
「守るってのはな、後からじゃ間に合わない。だから先に動け。考えるな、身体で覚えろ」
拳を受け止められる。投げられる。地面に叩きつけられる。
「立て。まだ終わりじゃない」
手を差し出してくる。その顔は笑っていた。
「お前ならできる」
短い言葉だった。だが、確かにあった。仲間を信じる目。守ることに迷いのない背中。
(……どこいったんだよ)
今、目の前にいる男とは違う。同じ顔で、同じ声で、同じ技で。なのに違う。もう、どこにもいない。
(……そうか)
理解する。戻らない。あの男は、もういない。
だったら――
(……終わりでいい)
力が抜ける。抵抗しない。ただ、受け入れる。
松岡の手が振り下ろされる――その直前、止まった。空気がわずかに歪む。松岡の動きが不自然に止まる。悠真はゆっくりと目を上げる。
松岡はそのまま動かない。目だけがわずかに揺れる。声は聞こえない。だが、何かを“受け取っている”ようだった。
(誰かと……話してる……?)
松岡の表情が変わる。わずかに姿勢が正される。ほんの一瞬だが、確かに戦場のそれではない態度になる。
「……はい」
低い声。短い返答。続けて何かを言いかけるが、止める。言葉を飲み込む。
数秒の沈黙。
そして――
「……仰せのままに」
その一言だけが静かに落ちた。
空気が戻る。松岡の目が再び悠真を捉える。数秒、何も言わない。ただ見ている。
そして――ふっと笑った。
屈託のない、昔と同じ笑顔。
「……命拾いしたな、榊原」
空気が戻る。松岡の目が再び悠真を捉える。
数秒、何も言わない。ただ見ている。
そして――ふっと笑った。
「……命拾いしたな、榊原」
一歩だけ近づく。
「まだ壊れてないな」
その一言は、静かだった。
「その目、まだ死んでない」
わずかに目を細める。
「それなら――今は殺さない」
吐き捨てるように言う。
「壊れるか、使い物になるか……見てからでいい」
そう言い残し、松岡は背を向けた。
吐き捨てるように言う。その笑顔はあまりにも不釣り合いだった。
悠真は何も言えない。
そのまま背を向け歩き出す。
燃え上がる王国の方へ。
炎が遠くで揺れている。その背中は変わらない。だが、振り返らない。
(……なんでだ)
思考が遅れてくる。なぜ殺さなかった。あの距離で、あの状況で、確実に終わらせられたはずだ。(……何を考えてる)理解できない。だが、すぐにどうでもよくなった。
「……フェン」
名前が零れる。次の瞬間、悠真は走り出していた。倒れているフェンのもとへ。
「フェン!」
呼びかける。返事はない。地面に横たわる身体はぴくりとも動かない。人の姿のまま、力なく崩れ落ちている。悠真は膝をつき、その身体を抱き起こす。軽い。思った以上に。
「……っ」
呼吸を探る。かすかにある。胸がわずかに上下している。意識はない。完全に落ちている。それでも――(……生きてる)ひとまず、最悪は回避した。
悠真は小さく息を吐く。知らず、肩の力が抜けていた。
腕の中のフェンを見る。閉じられた瞳。動かない身体。だが確かに温もりがある。
「……無茶しやがって」
呟く。
ふと視線を横へ向ける。リゼル。少し離れた場所で座り込んでいる。剣は手から離れ、地面に落ちていた。身体が小刻みに震えている。顔は俯いたまま。完全に戦意を失っていた。
悠真はフェンを抱えたまま立ち上がり、そのままゆっくりとリゼルへ歩み寄る。
「……リゼル」
声をかける。反応はない。視線すら上がらない。目の前まで来ても、まるで存在に気づいていないかのようだった。
悠真は一瞬、言葉を失う。
……仕方がない。守るべき主君を守れなかった。その事実。そして、目の前で自分を慕っていた者たちが一瞬で理不尽に命を奪われた。あの光景を直視させられた。折れるな、という方が無理だ。
悠真は何も言わず、ただリゼルを見下ろす。腕の中のフェンの体温だけが現実を繋ぎ止めていた。
――そのとき、遠くから荒い蹄の音が響いた。
悠真の視線が上がる。王都の方角。一直線に、こちらへ向かってくる。
「……っ」
反射的に身を引き締める。
次の瞬間、視界の奥から飛び出してきたのは二頭の馬と、その後ろに続く大きな荷馬車だった。異様な速度で一直線に突っ込んでくる。回避する様子はない。そのままこの場を轢き潰す勢いで。
「チッ……!」
悠真は即座に動く。フェンを抱えたままでは間に合わない。リゼルの側へフェンを寝かせる。
「……待っていろ」
短く言い残し、前へ出る。右手に黒い球体を生み出す。魔力を集束する。防ぐ、止める、そのための形を――だが。
「……な…に?」
球体が歪む。形を成す前に輪郭が崩れ、靄のようにほどけて消えた。悠真の視界がかすれる。焦点が合わない。距離がわずかにズレる。
(……魔力が……)上手く形にできない。
時間がない。
「……クソッ」
舌打ちし、足元に落ちていたリゼルの剣を拾い上げる。構える。正面。馬車は減速しない。そのまま突っ込んでくる。距離が一気に詰まる。
「……止まれ!」
叫ぶ。届かない。
そのまま――御者と目が合った。
一瞬。確かに合った。
耳が長い。人間よりも明らかに。
顔立ちは若い。二十代前半ほどに見える男。
だが、その目は落ち着きすぎている。
戦いを知っている視線。
手綱を握る手に、迷いはない。
動きに無駄がない。
服装は簡素だが、どこか不自然に整っている。
動きやすさを優先した軽装。
だが、腰の革帯は擦り切れており、
袖や裾には細かな補修の跡がいくつも残っている。
使い込まれた装備の名残。
ただの御者ではない。
その瞳が悠真を捉える。だが止まらない。そのまま駆け抜けようとする。
――が。
御者の視線が横へ流れる。
リゼル。その姿を捉えた瞬間、目が見開かれた。
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