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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

狭間の者

作者: 鶴山こなん
掲載日:2026/04/07

 昨日まで、この樹海は戦場だった。

 今となっては後の祭り。何処と何処の国が戦っていたかなんて、もはや目の前に広がる人間の死体の山を見れば、誰でもどうでも良くなるだろう。

 

 そんな血みどろの凄惨な現場の端に、一人のエルフの幼女がいた。名はフロース。この樹海にあったエルフの集落、その数少ない生き残りだ。


 フロースは血の染み込んだ地面を掘る。涙はとうに枯れ果て、手からは血が滲む。その血が自分のものなのか、その辺の死体のものなのかも分からなくなった。少女は、ただひたすらに死体を葬るために土を掘る。


 掘らなきゃ……埋めなきゃ……。

 でないと……この土地が死んでしまう。


 辺りには烏の声と、土が掘られる小さな物音。それ以外で音を出す存在がいないから、彼女の大きな耳には余計に目立って聴こえていた事だろう。

 そんな最中、雨が降った。雨で土が柔らかくなった事を好機と捉えたフロースは、疲労も忘れて掘り進めた。

 

 だが、彼女は土を掘るのに夢中になり過ぎた。


 土の音、雨音が邪魔して魔獣の足音が近付いてくることに気付けなかった。木の影から姿を見せたのは犬型の魔獣の群れ。赤い瞳が映すは魔力が豊富で生きた小娘。この場に散らばる死体の匂いに引き寄せられ、偶然見つけてしまった珍味。この機を逃すほど連中は馬鹿ではない。


 群れで一番大柄な個体が少女に牙を向けた、次の刹那。


 キィーンッ……!


 真上から一閃。稲妻のような閃光が魔獣の脳を一瞬で焼き潰した。魔獣は己の頭から脳が消失したことにも気付かぬまま、重量のある身を地に伏した。他の魔獣はこの一撃を目の当たりにして、恐れ慄き走り去って行った。


「え……えっ?」


 一瞬の出来事に、悲鳴を上げる事すら忘れていた。

 黒い土ばかり見て暗闇に慣れてしまった幼い瞳に、突如乱入した眩い光。その暴力的でありながら、切実に魔獣の頭のみを焼き消した光は、彼女の精神を強制的に正常へと戻した。


 目を見開き放心していた少女の目の前に、大きな影が舞い降りる。見上げれば、そこには背に大きな漆黒の翼を揺らす長身の男がいた。男は七色に輝く瞳に、縮こまる幼女を映す。


「おや、こんな所に幼子が。其方、すぐ近くにあった集落の者か?」

「えっ、は、はい……」

「そうか……」


 男は、掠れた少女の返答に少し目を伏せて頷く。彼の反応を見て少女は感じ取った。この人は、集落がどうして戦火に巻き込まれたのかを知っている。そして、同情されている。

 フロースは村で一番のお転婆娘だった。それ故に心も強い。だからこそ彼女は男からの憐れみの気持ちが、少し腹立たしく思えた。


「こんな所で何をしている?」

「穴を、掘ってる」

「なぜ?」


 この時、少女は気付いた。どうして男からの言葉に苛立ちを覚えてしまうのか。それは、聞こえる言葉が全て他人事のように思えてしまったからだ。フロースは男からの純粋な疑問に、ぶっきらぼうに答える。


「なぜって……死体を埋めるためよ。(とと)様が言ってた。他の生き物と違って、人間の魂は重い。だから早く葬ってあげなきゃ、死んだ体に魂が戻ろうとするんだって。それから死霊になって、悪い物を呼び寄せて、最後にはその土地がダメになるんだって」

「なるほど、其方の父上は博識だったのだな。だが全て埋めるつもりか?樹海の外まで死体が溢れかえっている。少なくとも二千はあったぞ?それに、ここは地下で木々の根が入り組み合っているから、人一人埋められるほど、深くは掘れない」


 それを聞いた少女の手が止まる。だが、聞いた所で他にやれる事も思い付かない。彼女はただ、この土地が瘴気に蝕まれないよう、守りたいだけなのだ。幼い故に知識も魔力の使い方も、何も分からぬフロースには、これが精一杯なのである。


「でも……私はこの土地を守りたい。父様、母様、他の皆との思い出の詰まったこの樹海が、私に残された唯一の宝物だから!」


 視界が涙で歪む。震えた小さな手が血と土に塗れた服を無意識に掴んだ。彼女の震えた手と、悲嘆に染まった夕日の瞳を見た男は、顔色一つ変える事なく、周囲の状態を分析するように瞳を虹色に光らせながら淡々と話す。


「そうだな、この土地に瘴気を発生させてはならない。地形の関係上、ここは空気が溜まりやすい。一度ダメになれば、人の手で浄化するのには相当な時間を要するだろう。人里も遠いし、最悪放置されてもおかしくはない」

「そ、そんな……」


 こんな幼い少女相手になんと容赦のない。

 というか、この男は一体何者?

 

 無慈悲な言葉の数々に絶望しつつ、フロースはようやく目の前の男にほんの僅かながら興味が湧いた。彼女は、恐る恐る彼に尋ねる。


「あなたは、一体……?」


 彼女の声に、男が振り返る。


「知りたいか、よかろう。私の名はヴァルフ。人でも神でもない、世界樹の意を汲み代理する――狭間の者だ」

「狭間の、者……」


 ヴァルフは凛とした面持ちを崩す事なく、暗い雨雲を見て不満そうにぼやいた。


「この雨邪魔だな、晴らすか」

「へ?」


 彼女の尖った耳にはしっかり聞こえていたはずなのに、たった今ヴァルフから発せられた言葉に耳を疑った。側で目を丸くしたフロースの感情を置き去りに、彼は空へ手をかざし、何やら力を込めて呟く。


台風オクルス・の目(テュポーニス)

「わぁっ!?」


 次の瞬間、暴風が吹き荒れ、少女は反射的に飛ばされぬよう彼の腰にしがみ付く。徐々に風は弱まり、恐る恐る目を開ければ、頭上には一面の夜空が広がっていた。

 俄かに信じられぬ魅惑的な光景に、フロースの目は釘付けになる。瞬きを忘れていたからか、はたまた多くを失った悲しみなのか、理由も分からぬ彼女の目からは止めどなく涙が溢れる。言葉に出来ぬ感情が、フロースの心を支配した。


 すると、体に抱きつく少女の頭に、大きな手がそっと乗せられる。


「泣きたければいくらでも泣け。今其方がやるべき事は、死体を処理する事ではなく、前へ進むために泣いて強くなる事だ。エルフである其方には人間よりも遥かに長い時間が待っている。こんな所で無駄に手を傷つける事はない」

「……ス」

「ん?」

「私はフロース」


 久々に人肌に触れてしまった事で、押し殺していた感情の蓋に亀裂が走った。今にもその場に座り込んで泣き喚きたい気分だが、私はお姉さん。我慢するのだ。なけなしのプライドを保つためだけに、特に意味も無く名乗った。

 そんな意味不明な彼女の反応にも、ヴァルフという大人は少女と目線を合わせるため、静かにその場で膝をつき、指先でフロースの目に浮かぶ涙を優しく拭う。


「フロース、心配する事はない。後の事はこの私に任せておけば良い」

「ほんとう……?」

「そうだとも。私はこの状況を改善させるため、この地に来た」


 自信に満ち溢れた彼の瞳を正面から受け取ったは良いものの、天候すら変えて見せたこの者が、今から何をしでかすのか想像も出来ないフロースには、どう反応して良いのか分からず、ただ困惑の目で首を傾げた。


 そんな少女の感情などお構いなしに立ち上がったヴァルフは、少し開けた場所にある大きな岩の上へ、軽々跳び乗る。いつの間にか、彼の手にはどこから取り出したかも分からぬ、古風で不気味な雰囲気を醸しだす分厚い本が抱えられていた。


「それ、魔導書(グリモワール)?」


 彼女は知っている。あれは魔導書(グリモワール)という、特別な力が込められた魔法の本だ。(かか)様が一冊持っているのを見たことがある。……あんなに禍々しくはなかったが。


「ただの魔導書ではないぞ?細かくは言えんがな。まぁ、待て」


 そう言うと彼は岩の上に直立し、魔導書を開く。手を添えると、本は勝手にページを捲る。風がめくっているのではない。独りでなのが分かるからこそ、本が開かれた途端、彼女は鳥肌が立つ感覚に襲われた。目的のページで動きが止まると、ヴァルフは虚空を手招くように軽く手を引いた。


「万象の時空統べる根源の座よ、我が座するは死気と停滞に沈みし不浄の地なり。今ここに根管一つ、新たに新生する事を願う……来たれ」


根源の座より(アルケー・フォン)界脈(・フィストゥラ)()延伸せし(ポルレクトゥス)


 彼がそう唱えた次の瞬間、遥か遠くに見える星が一瞬光った。気のせいかと目を擦り再度目を細めてみれば、天に煌めく天の川が歪み、動いたような気がした。それどころか天の川が、螺旋を描いてこちらに向かって伸びて来ている様にすら思える。

 その美しくも衝撃的な光景を前に、目を見開いて硬直しているフロースの様子に気が付いたヴァルフは、意外にも驚いた顔をした。


「き、キラキラが……こっちに来る!」

「フロース、其方あれが見えるのか?」


 このような僅かなやり取りをしている間にも、煌めく何かは間近に迫っている。考えるまでもなく少女にはアレがどの様なものなのか分からない。無知も相まって得体の知れない何かに対し、内心恐怖が膨れ上がり、フロースは本能的にこの場で最も安全であろう、ヴァルフの後ろに隠れた。


 震えた少女が背に触れた事など気にも留めず、彼はその得体の知れない動く天の川がこの場に降りて来る様子を見ていた。それから暫くすると、温度のない風がフワッと少女の肌を撫でる。


「フロース、そこまで怖がる事はない。何故なら、これは世界樹の根なのだからな」

「せかい、じゅ……」


 彼の話を聞きつつ、フロースはヴァルフの後ろから顔を覗かせ、空を見上げる。先程から迫って来ていた煌めく何かは、いつの間にかこの樹海まで来て止まっている。周囲を見渡すが、特に悪い影響は感じない。


「あれは世界樹の根。今、私がここまで伸びるよう操作した。あの根一本あれば、わざわざ死体を葬る必要もない。この土地の瘴気や霊魂ごと全て吸い取ってくれるぞ」

「は、……え?」


 彼の誇らしげな解説を聞いても、幼い少女の頭では処理しきれない。彼の話の中からフロースの頭に残った単語は、「世界樹」だけだった。

 世界樹はただの巨木ではない。雲より高く、空に浮く世界の軸とも考えられている、神様と同じくらい神聖で、生きとし生けるもの全ての者に、温かい風と恵みを届けてくれる、とてもありがたい存在。というくらいの認識だ。

 

「もう、穴掘って埋めなくてもいいの……?」

「うむ」

「もう、この土地はダメにならない……?」

「あぁ。少なくとも今後500年は心配いらない。遺体は誰かに回収されるか、食物連鎖の中で自然に帰るか、いずれにせよ、この地で死霊が跋扈する事はないだろう」

「そう……」


 それを聞いた少女の体から力が抜ける。その場でへたり込むフロースの体を、彼はそっと支えた。今まで感じていなかった疲労が、ヴァルフという強者に身を守られ、安心した事でどっと押し寄せてきたのだ。


「こんな小さな体で、よく頑張った」

「……私、この先どうしたら……」

「この地を離れ、人里を目指せ。フロース、其方には活気ある土地で生きる権利がある。ここで見た事など忘れ、穏やかにこの先の未来を進め」


 睡魔が襲って来た。意識が朦朧としてきた彼女の顔を彼は愛おしそうにそっと撫でる。すると、徐に少女の小さな体が、何かの上にそっと乗せられた。獣だ。冷えた体にじんわりと伝わる確かな体温。穏やかな息遣い、心音。


「ドヴァリン、この子を人里の近くまで乗せて行ってくれ。……フロース、達者でな」

「ヴァ、ル……」


 ヴァルフの手がフロースの手から離れたその時、彼女は深い眠りに落ちた。






 獣の蹄が地面を踏み締め、体の揺れに気が付いたフロースは目を覚ました。鳥の囀り、小川のせせらぎ、葉が風に揺れる音、そして全身を明るく照らすは穏やかな木漏れ日。意識が覚醒した彼女は、己の今の状況を把握し、自分を乗せてくれている獣の背を撫でた。


「あなた、もしかしてドヴァリン……?まさか伝説の聖獣に乗せられていたなんて」


 伝説の牡鹿の聖獣、ドヴァリン。半獣半霊の体は透き通り、膨大な量の魔力が全身を構成していると、母様の本に載っていた。

 

 伝説の聖獣に子供一人を運ばせるようお願いできるとは、ヴァルフは本当にすごい男だ。そう思いながら、少女は目を閉じる。

 昨日の光景が瞼の裏に焼きついて離れない。彼の虹色に煌めく瞳、声、姿。彼が使った魔法。天の川が螺旋を描きながら迫ってくる様子に気圧され、夢では無いかと我が目を疑った。


 「あそこで見たことなど忘れ、未来を進め……か。無理、忘れられる訳がないよ」


 私は、あの時の光景、出来事を忘れない。でも、彼の事を言いふらしたりもしない。昨日の出来事は、私とヴァルフ。二人だけの特別な記憶であり、一生の宝物だ。

 彼の姿を思い出しながら、フロースは胸に手を当てた。


 その後、しばらく森の中を進むと、小さな村が見えてきた。ドヴァリンはここまでのようだ。少女は、感謝と慈しみの思いを込めて優しく撫でると、ドヴァリンは風の様に森の中へと消えていった。


 森から脱出し、少し歩いて村の入り口に立つ。

 村にいた少年が少女に気が付き、声をかける。


「見かけない顔だね、お名前は?」

「私、フロース」

 ご一読いただき、ありがとうございました。

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