第8章 零層(ぜろそう)──奈落の門
金属の螺旋がゆっくりと開いていく。
第1層の床が裂け、深く、底の見えない闇がその口を開いた。
冷たい上昇気流が、014の頬を掠めていく。
リンはその場に立ち尽くし、声を震わせた。
「ま、待って……本当に、下があるなんて……!」
だがVE-01は淡々と言った。
「記録には残さない。それが“ゼロ層”の条件だ。」
青い双眸が014を捉える。
その光は静かで、そしてどこか優しさすら滲ませていた。
「行くのだろう、014。」
014は闇を見下ろしたまま、小さく息を吐いた。
そこから漂ってくる空気は、十一年前と同じ匂いがした。
──焼けた金属。
──医療用薬品。
──そして、“消えた少女”の残滓。
「……ああ。行く。」
リンが叫ぶ。
「だめ! 単独で降りるなんて――!」
言い終える前に、VE-01が彼女の前に立ちはだかった。
わずかに腕を伸ばし、彼女の進路を塞ぐ。
「彼は行かなくてはならない。
これは十一年前に決まったことだ。」
「十一年前って……!」
リンは叫び返す。
「そのとき014はまだ子供よ!? 誰がそんな――」
「“彼女”だ。」
リンは息を呑んだ。
VE-01は続ける。
静かな声で、しかし確信に満ちて。
「白髪の少女は、014の未来を見ていた。
そして、彼だけに“ゼロ層を開ける資格”を託した。」
014の胸がひどく痛む。
視界の端に、
白い髪の少女が微笑む記憶がまた浮かぶ。
──『ねぇ……もし私がいなくなったら……
あなたが迎えに来てくれるでしょう?』
それは約束。
忘れたはずの、しかし心が覚えていた唯一のもの。
014は口を開いた。
「VE-01。
……お前には、彼女の何が見える?」
VE-01は胸に手を当てた。
「“願い”だ。
彼女はこのゼロ層に、自分の全てを残した。
消えた肉体も、断片化した意志も。
そして――」
青い目が震えた。
「……君への想いも。」
014の喉が詰まる。
リンが絞り出すように言う。
「戻ってきてよ……014……
こんなところで、また誰かを失うなんてもう嫌なんだ……!」
014は振り向かない。
ただ、静かに答えた。
「大丈夫だ、リン。
俺は……失ったものを見捨てるために行くんじゃない。」
握り締めた拳が、微かに震える。
「取り戻すために行く。」
その声は、とても静かで、とても強かった。
VE-01が操作を開始すると、
螺旋の底から巨大な昇降機がせり上がった。
淡い青の光が床面を照らし、
まるで“死者の国への船”のような静寂が漂う。
VE-01は014に向き直る。
「降りた先は、十一年前の全てだ。
出会いも、喪失も、真実も。
そして――彼女の最期も。」
014はゆっくりと昇降機に乗り込む。
心臓が重く鳴る。
「014。」
VE-01が名を呼んだ。
「下で君を待つ“彼女”は……
もう、あの日の彼女とは違うかもしれない。」
014は振り返る。
「わかっている。」
「それでも会うのか?」
短い沈黙。
そして――
「……会う。」
014の声は震えていなかった。
「たとえ姿が変わっても、魂が壊れても……
たとえ俺のことを忘れていても。」
昇降機がゆっくりと下降を始める。
014は最後に、低く呟いた。
「彼女が“約束を覚えていない”としても……
俺が覚えている。」
闇が迫る。
音が消える。
世界は、ゆっくりと“地底”へ沈んでいく。
VE-01が小さく微笑んだ。
「──ようこそ、014。
ゼロ層へ。」
蒼い光が完全に消えたとき、
昇降機は闇に呑まれ、
014はついに足を踏み入れた。
この物語の、真の出発点へ。




