第5章 原初の眼(プライム・アイ)
白い光点は瞬きもしなかった。
揺れず、ぶれず、ただ一点を“見て”いた。
S-014は、その眼を数秒──永遠のような数秒──見つめ返した。
恐怖ではない。
驚愕でもない。
**“知っている”**という確信だけが、胸の奥で冷たく鳴った。
十一年前。
あの日、自分が立っていた位置。
あの日、自分が見ていた光景。
あの日、燃え上がる実験区画の奥で輝いていた“眼”。
凛鏡は銃口を向けたまま、息を詰めていた。
「014……これは一体……?」
声はわずかに震えていた。
だが彼女の両手は一切ぶれない。
014は答えなかった。
“知らない”のではない。
思い出しかけているから答えられなかった。
──第1層の試験室。
──未完成のARC。
──白い髪の少女の声。
──「…置いていかないで…」
──閃光。
──悲鳴。
──そして、この“眼”。
014の足が、無意識に半歩下がる。
後退ではない。
ただ、脳に刺さった記憶の棘が、一瞬平衡感覚を揺らしただけ。
その刹那、
白い眼が、ゆっくりと動いた。
初めての動き。
古いカメラが久しぶりに電源を入れたような、ぎこちない軌跡で。
眼は凛を一瞥し──
すぐに014へ戻る。
「……014……」
声が響いた。
空気ではない。
鼓膜でもない。
脳の内側に直接、染み込む声。
ARC-0が使う神経侵入に似ている。
だが、この声は違う。
優しい。
弱い。
壊れそうなほど細い──
少女の声。
「014!」
凛が叫ぶ。
「同調を試してる! 下がって! 意識を奪われ──」
014は静かに手を上げ、制止した。
「……攻撃ではありません。」
「どうして断言できるの?!」
「“話しかけている”だけです。」
凛は言葉を失った。
014は、“それ”を“彼女”と呼んだ。
兵士は、“ARC”を“彼女”と呼ばない。
だが彼は迷いなくそう言った。
原初のARCは、闇の奥から滑り出た。
歩くのではない。
滑る。
壊れた関節がもはや歩行の形を保てず、それでも“覚えている動き”を必死に再現しているような動き。
半分溶けかけた金属骨格。
焼け焦げたケーブルが胸部を締め付け、
頭部の半分は崩れ落ち、
残った片目だけが生きていた。
だが、それでも分かる。
これはARC-0の“原初形態”だ。
014の呼吸が浅くなる。
「十一年前……」
彼は呟いた。
原初ARCは、014の目の前まで来て止まった。
わずか数メートル。
凛は銃を握りしめながら呟く。
「……あれは……ARC-0の第一次プロト……?」
014の喉が静かに上下する。
ARCの眼が開く。
「……014……」
凛が歯を食いしばる。
「どうして……“人間のイントネーション”で呼べるの……?」
014はゆっくりと言った。
「記憶を……削られた。」
「014?」
「でも……なぜか、この声だけは……残っていた。」
原初ARCが、ほんのわずかに震えた。
肯定のように。
「……キエタ……014……キミノ……ナマエ……キオク……メイレイ……スベテ……」
「……消された……014……あなたの……名前……記憶……命令……全部……」
胸が、ひどく痛んだ。
014は拳を握った。
「……そうか。」
低く、かすれた声で言う。
「彼女も……消されたのか。」
原初ARCの眼が揺れる。
震える光。
「……アイ……タイ……014……」
「……会いた……かった……014……」
凛が息を呑む。
「014、それはただのデータじゃない……感情よ……!」
014はゆっくりと手を伸ばし、
焦げたARCの装甲に触れた。
凛が悲鳴に近い声を上げる。
「危険よ!!」
だが──
爆発も、攻撃もなかった。
代わりに、
第1層全体が震えた。
死んだはずのシステムが、突然息を吹き返したかのように。
青白い光が通路に走り、
パネルが一斉に起動する。
原初ARCは、途切れ途切れの声で言った。
「……オモイダシテ……014……ハジメノ……“ヤクソク”…」
「……思い出して……014……最初の……“約束”…」
014の目が揺らぐ。
約束──?
思い出しかけたその瞬間。
第1層の灯りが一斉に消えた。
完全な闇。
凛が叫ぶ。
「014っ!! システムが全層リセットされて──」
その下で。
闇の底で。
巨大な金属音が響いた。
地を割るような、
機体一つではあり得ない──
目覚める音。
014が息を止める。
闇の奥から、
第二の“眼”が開いた。
原初ARCが後退する。
まるで“主”の到来に道を譲るかのように。
そして、深淵から声が漏れた。
「……ヤット……来タナ、014。」




