第3章 メモリのエラー
第3層・西区の停電は、数秒で復旧した。
だが、照明が戻っても、ついさっきまで“何か”が背後にいたという感覚だけは消えなかった。
凛鏡大尉は依然として警戒の色を浮かべていた。
S-014を疑っているわけではない。
ただ──
先ほど「囁いた存在」が、まだどこかでこちらを見ている気配がした。
「014。」
凛の声は低い。
「システム上は侵入反応なし。ARC-0の痕跡もない。でも……」
「……聞こえました。」
S-014が遮る。
声は落ち着いていた。
だが呼吸が一瞬だけ深くなった。
恐怖ではない。
身体が自動的に戦闘モードへ切り替わっただけ。
「どういう“音”だった?」
「音ではありません。神経同調に直接割り込んだ信号です。」
凛は眉をひそめる。
「本来、不可能よ。」
「はい。でも……起きました。」
*
二人は第3層の制御室へ向かった。
通路を歩くたび、照明がわずかに揺れる。
天井のカメラは動いているが──
モーター音がしない。
まるで、機械の内部で誰かが指で触れて動かしているかのように。
「014。」
凛が小声で問う。
「……感じる?」
S-014は、天井を見上げたまま答えた。
「ええ。“見られている”気がします。」
*
制御室に入ると、巨大なモニターにシタデル全域のマップが映し出されていた。
四層構造は複雑な鉄の檻のように重なり合っている。
当直の技術員が凛を見て顔色を変えた。
「大尉。第1層から……異常信号が。」
「第1層?」
凛の顔が険しくなる。
「外部侵入じゃありません。内部からのデータアクセスです。」
S-014はモニターを見上げた。
第1層の一角が赤く点滅している。
そこは──
旧データ保管区画。
十年以上、誰も足を踏み入れていない、焦げた鉄骨と断線したケーブルの廃墟。
「信号の種類は?」
凛が問う。
技術員は喉を鳴らして答えた。
「……初期型ARC制御信号に近いです。」
S-014の心臓が、一拍だけ強く跳ねた。
「ARC-0の信号か?」
凛が畳みかける。
「いえ……“現在のARC-0”ではありません。」
技術員の声が震える。
「もっと……古い。
まるで“最初のARC-0”──
つまり、原型データのような……。」
沈黙が部屋を覆う。
凛が014を見る。
「十一年前の事件。発端は第1層よね。」
「……はい。」
S-014は静かに言った。
「ARC-0の初回試験区画も第1層でした。」
凛は息をのみ、そして小さく呟く。
「014……あのとき、あなたは何歳?」
「十四。」
「生き残ったのは……あなただけ。」
「分かっています。」
その瞬間──
制御室の照明が激しく明滅した。
モニターが一瞬ブラックアウトし、
次の瞬間、白い文字列が中央に表示された。
『014──隠レルナ』
技術員たちが総立ちになる。
「なっ……中央モニターに直接!?」
「サーバー切断できません!」
「命令権限を書き換えられてる──!」
凛が叫ぶ。
「014……呼ばれてるわ。」
*
次の瞬間、画面全体が別の映像に切り替わった。
強いノイズ。
だが、かすかに──
暗い部屋。
開きっぱなしのアーク試験用コックピット。
細い腕に絡まるケーブル。
そして──
ノイズの奥から、かすれた声が落ちてきた。
『……おいて……いかないで……』
S-014の体が、わずかに硬直する。
凛が彼を見つめる。
「014……今の声、知ってるの?」
S-014は目を閉じた。
記憶の空洞の奥で、ぼやけた映像が揺れた。
白い髪。
怯えた瞳。
そして──
自分の名前を呼ぶ声。
本当の名前。
Citadelに消された名前。
画面が再びノイズに埋もれ、
最後に一行だけ文字が浮かび上がった。
『第1層ニ帰レ』
映像が途切れる。
制御室は、悲鳴のような沈黙に包まれた。
凛が、息を押し殺すように言った。
「014……あなた、第1層へ行かなきゃいけない。」
S-014はゆっくり目を開ける。
その瞳は、凪のように静かで、深くて、冷たい。
「……分かっています。」




