遺書②
中学生になった。
先輩との距離はそのまま話しづらいまま私は陸上部に入部した。
すると、不思議な縁で親曰く幼稚園から私をいじめていたという先輩と同じになった。
私は先輩に自己紹介から目標がそんなんじゃたかが知れていると弄られ先輩主導で同級生からサッカーボールを頭目掛けて投げられたこともあった。楽しくもない日々だった。
田舎生まれだった私は当時流行っていたカードゲームにハマり別のグループの同級生とよく遊んでいた。
先生はやたら私の両親のことで私を揶揄うが私は両親との会話はほとんどなかった。
私の両親は一つ例を挙げるなら私がお笑い番組を見て笑っていた時に
「この番組より笑っているお前を見る方が面白えや」
と笑う父とひたすら
「勉強しろ」
と説教をしてくる母だったから否定されるのが怖かったのである。
母の印象的なエピソードといえば石チョコである。
当時石に似た形のチョコレートが流行っていて私はよく食べていた。
そのためか皿になったチョコレートが石なのか本物なのかわからなかった。
「食えば分かる」
そう言った母に従い口に入れ噛んだ……石だった。
幼少期歯磨きを嫌がった私はひたすら歯医者に通っていたのだが、この時の痛みを超える者はなく母は
「石とチョコの見分けもつかないのか」
と呆れていた。
そんな両親だったが私が内向的に育ったからか妹が出来た際には丸くなり甘やかした結果妹はドンドン増長していった。
話が脱線したカードゲームのことである。
当時東京が遠い私は県内(と言っても片道3時間である)のイベントに参加したいと申し出た。
その時出された条件がテストの総合点で学年25位を取ること。
私は勉強はてんでダメだったため努力はした。結果26位で連れて行って貰えなかった。
だが、ゲーム禁止令は解かれ貯めていたお金でニンテンドーDSライトを購入し、私はゲームに没頭した。
中学3年生になった。
私はアニメイナ○マイレブンにハマりサッカーを始めた。とはいえ中学でのスタートな上授業中に突然謎の筋トレを始めると言った奇行により浮いていたため皆と仲良くサッカーをしていたのではなく一人でのボールを蹴っていた。何度練習してもリフティングは20が最高、ヒールリフトもできずただただボールを蹴っているのが楽しかった。
この年だっただろうかクリスマスプレゼントに妹が任天堂DSIを貰いあの金を貯めたのは何だったのかと思った。