遺書①
警部は浜辺にあったと言う瓶の中から出た紙を見た。
最初に記しておくとこれは発達障害として生まれた人もどきである私の現実端であり何の面白味のない物語である。
まずはどこから話そうか。
物心ついたのは小学一年生の時、私はトイレで用を足していた。当時の私は風習である集団登下校のため先輩に友達が多かったと思う。物心知らないというべきかブレーキのない発達障害者特有のコミュニケーションで他人を笑いものにしつつ自分も笑っていた陽の障害だった。
それ故かクラスでは浮いた存在であるとともに体毛が濃かったため毛ゴリラなどと言うあだ名をつけられたのを覚えている。
それが嫌だった私はカミソリを手に取りひたすら体毛を剃ると共に眉毛も剃った結果、共働きでいつも帰りの遅い両親がヤケに慌てて眉毛を書き足し翌日同級生どころか先生からも注意されたのを覚えている。
両親は共に教員でいつも帰りが遅かった。夜9時の誕生日会は今でも覚えているが小学生の私にはその時間まで起きているのがしんどくもあり寂しくもあった。
そんななかでの私の救いはゲームだった。
集団下校の際に知り合った先輩はゲームが好きで色んなゲームをやっていた。
ウチはゲーム禁止令を出されていたのもありその人の家に入り浸ってゲームをしていた。
しかしその人は先輩であるためその人が中学に進学したのをきっかけに壁ができたように疎遠になっていった。
ドライブ中親の前で祝電を間違えて香典と言いひたすら怒られた時もありました。