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先に口を開いたのは、テオドールだった。


「……噂を聞いてな」


「噂、というと?」


「皇帝に側室ができたこと。そして、その側室が懐妊したことも――それから、お前の誕生日の宴で、側室が倒れた件だ」


空気が、わずかに張りつめる。

エミリアが息を詰めたのが分かった。


テオドールは続ける。


「離れたところにいても、帝都での話は耳に入ってくる。特に、皇帝や皇后に関わる騒ぎならなおさらだ」


「……そうよね……。この短い間にいろんなことが起こって――私もいまだに混乱しているわ。お兄様にとっては、私たちは四年前のあの頃のままなのに……。でも……まさか、帝国騎士団の耳にまで入っているなんて思わなかったわ」


ルシェルは苦笑し、ため息をつく。


「帝国騎士団だからだろう。俺たちは、この国の盾であり剣だからな。それに、この噂は“皇后が側室を毒殺しようとした”という形で広がっている」


その言葉に、エミリアが顔色を変える。


「そんな……!」


だがルシェルは、ただ目を伏せただけだった。


「……ええ。そう言われても仕方のない状況ね。ユリアナは私が採用した子だもの」


その態度に、テオドールの眉がわずかに動く。


「仕方がないで済ませるな」


珍しく、声が強くなる。


「お前がやるはずがないことくらい、分かっている」


ルシェルは、少しだけ驚いたように目を上げた。


兄は続ける。


「だが、噂は事実かどうかで広がるわけじゃない。面白いかどうかで広がるんだ」


テオドールは冷静なように見えたが、ルシェルには彼が怒りを抑えているのが分かった。


「だから、確かめに来た」


「……私を?」


「違う」


即答だった。


「お前が置かれている状況をだ」


「お兄様……」


ルシェルは、涙を堪えた。


「……でも……よかったわ。ノアが私を疑ったことまでは伝わっていないのね」


その言葉に、テオドールの表情が凍りついた。


「……今、なんと言った?」


しまった、とルシェルは思った。

だが、もう遅い。


「陛下が……お前を?」


「……あの時、ノアは混乱していたから……」


言葉を濁す。

だがテオドールは一歩踏み出した。


「四年前、お前を皇后にすると決まった時、あの男は何と言った」


ルシェルは目を伏せる。


――必ず守る、と。

――誰よりもルシェルを愛している、と。


幼い約束のように、真っ直ぐな声で。

テオドールは吐き捨てるように言った。


「それが今は――側室を取り、それだけでは飽き足らず……お前を疑うのか?」


「お兄様――」


氷の貴公子であるテオドールが、珍しく感情を露わにした。


「俺が帝都を離れている間に、何が起きていた?」


ルシェルは答えられない。


代わりに藍が、静かに口を開いた。


「外から見ると、皇后陛下は孤立しているように見えます」


ルシェルが顔を上げる。


「私が使節団として滞在していた間も、イザベル様はまるで自分が皇后であるかのように振る舞っていました」


「……」


冷たい空気が流れる。

そのとき、テオドールがふと口を開いた。


「……父上から連絡は?」


ルシェルの肩がわずかに揺れる。


「あったわ……」


「……そうか。父上はなんと?」


「……そうね……《感情に心を支配されるな。婚姻は名誉だ。この国で一番権威のある女性であることを忘れるな》だったかしら……」


テオドールは頭を抱え、ため息をついた。


「それが……悩んでいる娘にかける言葉なのか? 父上も本当に昔から変わらないな」


「……そうね。お父様らしいと思ったわ……」


四年前、皇后としてこの宮殿に入ったときの自分なら、父の言葉を誇らしく思っただろう。

だが今は違う。


「……お父様は、いつだって正しいのよ」


小さく、そう呟く。


「感情で動けば、足元をすくわれる。皇后は弱みを見せてはいけない。――全部、その通りだもの」


だが、と続ける代わりに、言葉は途切れた。


その沈黙の意味を、テオドールは察した。


「……だが、それでも人間だ」


短く言う。


「お前は、皇后である前に、俺の妹だ」


ルシェルは目を伏せる。

胸の奥に、じわりと熱が広がった。


その空気を和らげるように、先ほどまで黙っていた藍が静かに口を開く。


「私の場合は、少し事情が異なります」


二人の視線が彼に向く。


藍は穏やかな笑みを浮かべたまま言う。


「貴国で起きた騒動に関する情報は、貴国とは貿易の最中ですから、当然ながら我が国にも届きます。ただ――」


藍の視線が、わずかに鋭くなる。


「今回の件で使われた可能性がある“薬草”の話を耳にしました」


ルシェルの表情が変わる。


「薬草……?」


「ええ。イザベル様は毒ではなく、薬草による中毒の可能性が高い、と考えられます」


「……まだ正式な発表は出ていないはずよ」


「ええ。ですが、情報は漏れるものです」


外交官らしい、遠回しな言い方だった。


藍は続ける。


「その薬草が、もし璃州経由で入ったものだとすればーー」


静かに言葉を置く。


「我が国にも責任の一端が生じる可能性があります」


エミリアが息を呑む。


「それに……友人が困っていると聞いたら、黙って見ているわけにはいきませんので」


藍は少し恥ずかしそうなそぶりを見せながら、小さな声で言った。


「……ありがとう、藍様」


テオドールは二人を黙って見ていたが、やがて低く言った。


「いずれにせよ、この件は皇帝陛下の判断が重要になってくる。このまま侍女の仕業だと決まってしまえば、お前にとって状況はさらに悪化するだろうからな」


「……そうね」


ルシェルは頷く。


「お二人とも、陛下にご挨拶に行く必要があるのでしょう?」


「そうだな」


テオドールは答える。


本来なら、皇后である妹の元ではなく、真っ先に皇帝の元に行くべきだろうが、

テオドールはルシェルの元に駆けつけてくれた。

ルシェルにはそのことがとても嬉しかった。


「私も、しばらく滞在する予定なので、形式上の挨拶は必要ですね」


藍も続ける。


「では、私も同行するわ」


エミリアが驚く。


「皇后陛下……」


「ちょうどいいでしょう。私も……陛下と話さなければならないことがあるもの」


ルシェルは、心のどこかで、まだ期待していた。

会えば、きっと先日の件を謝罪して、犯人を探してくれるのではないかと。

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