表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/53

045


二人が大広間に入ると、楽師たちの演奏が一段と高まり、従者が高らかに声を上げる。


「ヴェルディア帝国 皇帝陛下、並びに皇后陛下、ご入場!」


扉が開かれた瞬間、まばゆい光が雪崩れ込んだ。


無数の燭台とシャンデリアが煌めき、色とりどりのドレスと軍服が波打つ。

貴族たちは一斉に頭を垂れ、ざわめきが一瞬にして静寂へと変わる。


ルシェルはノアと並んで歩みを進めた。

石床に響く踵の音が、妙に大きく聞こえる。


「ご機嫌麗しゅうございます、皇后陛下」

「陛下におかれましては、益々ご健勝のことと……」


道の両側で貴族たちが次々に恭しく頭を下げる。

その中には、以前ルシェルの地位を陰で揶揄していた者たちの姿もあった。


(……そうよね。今日は、私が皇后としての地位を、見せつける日でもあるのだから)


高位貴族の老侯爵が、厚い声で祝辞を述べる。


「この度の御生誕を祝し、帝国のさらなる繁栄と、皇后陛下のご健勝を心よりお祈り申し上げます」


「ありがとう。皆様のおかげで、こうして日々務めを果たせています。今後とも、どうか力をお貸しください」


ルシェルは柔らかな笑みを浮かべ、丁寧に答えた。

その一つ一つのやり取りを、ノアは横目で見つめている。


「今日、この国の皇后であり、我が愛しき妻ルシェルの誕生日を、皆と共に祝えることを嬉しく思う。彼女は幼い頃から宮廷を支え、今もなお、この帝国の光であり続けている。――どうか、その未来が穏やかであるよう、皆の変わらぬ支えを願いたい」


祝声が渦を巻き、杯が一斉に掲げられる。

琥珀色の酒が揺れ、光を弾いた。


「皇后陛下に、祝福を!」

「ヴェルディア帝国に、栄光を!」


ルシェルも杯を口に運び、喉を潤す。

程よい甘さと鋭さが舌に残る。


音楽がゆるやかな舞曲へと変わり、舞踏の時間が始まった。


「ルシェル、踊ってくれるか?」


ノアが手を差し出す。

その表情には、少しだけ昔の少年の面影が宿っていた。


「ええ」


ルシェルは頷き、彼の手を取る。

二人は輪の中心へと進み、静かに踊り出した。


ノアの腕が腰に回り、もう一方の手が彼女の手を包む。

動きは自然で、長年身体が覚えた形が勝手に再現される。


幼い頃はよくノアの足を踏んで困らせたものだ。

ルシェルはまるで走馬灯でもみているかのように、ノアとのこれまでの日々を思い返していた。


旋律に合わせて、二人は静かに舞い始める。

ドレスの裾が弧を描き、ルシェルの銀髪が光を掬う。周囲から、感嘆の吐息が漏れた。


「やはり、お似合いだ……」


「これでこそ、ヴェルディアの皇帝陛下、皇后陛下だ……」


そんな声が遠くに聞こえる。


「……窮屈じゃないか?」


不意にノアが口を開く。


「何が?」


「……全て俺の自己満足に過ぎない気がしてな」


ルシェルは一瞬目を見開き、そしてゆっくりと首を振った。


「……ノアが私のために考えてくれたことだもの。もちろん、嬉しいわ。……あなたの気持ちは、伝わったからーー」


ノアの胸に、少しだけ救いが灯る。


「……そうか、そう言ってもらえてよかった」


だが胸の奥には、別の影が静かに揺れていた。


(もし、今ゼノン様がここにいたなら、彼はどんな顔で微笑んでくれたかしら)


ふと、視界の端で何かがきらりと光った。

高い窓の隙間から、一匹の銀色の蝶が舞い込んでくる。


(……え?)


蝶は騒めきに怯えることもなく、ゆっくりと円を描きながら、まるで誰かを探すように視線の高さを変えた。

やがて、天蓋の上で一度だけ翅を強くふるわせ、光を散らす。

その光が、一瞬だけルシェルの頬を照らした。


胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。


(あの子……やっと来てくれたのね。でも、今までは夜の庭園にしか現れなかったのに…どうしてこんなところにいるのかしら?)


ルシェルは、いつからかあの蝶は、ゼノン様の精霊なのではないかと思い始めていた。

なぜいつもあの蝶を見ると、彼を思い出すからーー。

近頃、よく夢に出てきたのも確か銀色の蝶だった。


(あの蝶は一体……)


手は確かにノアの手を握っているのに、心だけが違う場所に引き寄せられていく。


ノアの視線が、一瞬だけ彼女を凝視した。

ルシェルの瞳がかすかに揺れるのを、彼は見逃さなかった。


「……ルシェル?」


「なに?」


「……いや。なんでもない」


心配そうに覗き込もうとする彼から、ルシェルはふっと視線を逸らした。

その仕草に、自分でもわずかな罪悪感を覚える。


銀の蝶は、天井近くで輪を描き、やがて音もなくどこかへ消えた。

今ここでゼノンのことを考えるのは、何かが決定的に変わってしまう気がして、ルシェルは唇を噛んだ。


ルシェルの視線がふと背後に向かう。

彼女の目は、会場の少し離れた場所で控える女の姿を捉えた。

視線の先にいたのはイザベルだ。


彼女は淡い色のドレスに身を包み、腹部の膨らみをゆるやかな布で覆っている。

彼女のそばにはユリアナが付き添い、時おり水差しを受け取って杯に注いでいる。

イザベルは無理に笑顔を作ってみせているが、その頬はややこけ、目の下にはうっすらと影がある。


(あんなに無邪気で明るかった子が…やっぱりノアに何か言われたのね…)


ルシェルの胸に、小さな痛みが走る。


ルシェルは、イザベルを憎んでいるわけではない。

どうしようもない怒りや嫉妬が渦巻いた時期もあったが、それ以上にイザベルの不安そうな瞳は、いつも”弱かった頃の自分”を映しているように思えていた。


(あの子も……誰かに必要とされたかっただけなのかもしれない……)


過去の自分とイザベルのことを考えていたルシェルは、不意に足が滑り、体のバランスを崩した。

咄嗟にノアが彼女の体を支える。その手はとても力強かった。


「大丈夫か?」


ノアが少し驚いたようにルシェルを見つめた。


「ええ……大丈夫。ちょっと、足がもつれただけよ」


ルシェルはノアの手をそっと払いのけ、いつものように微笑んだ――少なくとも、そう見えただろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ