030 謝罪
夜がふけ、長かった光華祭も無事が幕を下ろした。
宮殿の回廊には二人の影。
「皇后陛下に謝罪してください」
ゼノンの怒りを抑えたような冷たい声に、藍は喉を詰まらせた。
闇の中に浮かぶゼノンの眼差しは、氷より冷たい。
「……何を謝れというのです?」
「とぼけないでください」
低く響く声ーーその奥底には鋭い刃が潜んでいる。
「先ほどの件ですよ。伝承を口実に、あなたは我が国とヴェルディア帝国の皇后陛下を辱めた。…これがどれほどの罪か、わかっていますか?」
藍 は思わず後ずさった。
だがゼノンは追うように一歩踏み出す。
「アンダルシアの古の伝承を、面白半分に引き合いに出し、ヴェルディア帝国の皇后陛下まで愚弄したのです。まさか……璃州国は、アンダルシアとヴェルディアの両国を敵に回す気ですか?一介の使節に過ぎないあなたが、このような外交問題を起こしても果たして許されるのかーー実に見ものですね?」
「……っ」
藍 の唇が震えた。
ゼノンはふと声を低め、今度は囁きのように告げる。
「それとも……二度とあなたがその口で余計なことを口走らないように、舌を引き抜いてさしあげましょうか?」
ぞっとするような冷たい響き。
(彼は本気だ…)
藍 は頭から血の気が引いていくのを感じた。
「……わかりました…。……皇后陛下に謝罪……いたします」
「そうですか。それは実に賢明な判断です」
ゼノンは口元に皮肉な笑みを浮かべ、藍の肩を軽く叩いた。
「どうぞ謝罪は今夜のうちに。皇后陛下はとてもお優しい方です。あなたが謝罪すれば、きっと許してくださるでしょう。ですが…‥決して、気を抜かぬように。あなたががまた同じようなことをすれば、必ずその報いを受けることになるでしょう」
藍 は胸を押さえ、震える足で皇后の部屋へ向かった。
月明かりが細い影を伸ばす中、彼の心臓は不規則に跳ね続けている。
(あの王子…聞いていた印象と全く違う…。ただの遊び人だと侮っていた…)
「殿下…やりすぎですよ…」
隠れて二人の様子をみていたレイセルが、呆れたように言う。
「なぜだ?あいつは、俺と彼女を愚弄したんだ」
ゼノンは譲らない。
「殿下は、皇后陛下のことになると周りが見えなくなりすぎます……。他国の使節にあのような態度を取れば、今後どうなるか…。元はと言えば、殿下が皇后陛下にあのような意味のある贈り物などするからですよ?だから気をつけるようにと……」
「もういい、わかっている」
「殿下がどれほど腹黒く冷酷であるか……皇后陛下にも是非見せてさしあげたいものです」
「残念ながら、彼女にこんな姿を見せることはないだろうな」
ゼノンが悪戯に微笑むと、レイセルは身震いしながら大きなため息をついた。
***
ーー皇后の寝所にて。
「皇后陛下、璃州国の藍 様がお越しになっていますが…」
(なぜ、彼がここに…?)
「……何かしら?いいわ、お通ししてちょうだい」
エミリアが扉を開くと、藍 がどこか沈んだ様子で入ってきた。
先ほどの威勢はどこにもなかった。
「……藍 永燈です……皇后陛下にご挨拶を……。このような時間に、突然の訪問をどうかお許しください」
「構いませんが、藍 永燈様…。何か私にご用でしょうか?」
藍 は少し迷った後、膝を折り、床に深く頭を垂れた。
「……皇后陛下に、謝罪させていただきたく…参りました」
「……藍様、何をなさっているのですか…!」
ルシェルは藍の手を引き、立ち上がらせた。
「……ひとまず、そちらにお掛けになって下さい。ハーブティーでよろしですか?」
「……はい、ありがとうございます」
「エミリア、いつものハーブティーを入れてくれるかしら?」
「はい、皇后陛下」
エミリアは手際よくハーブティーを入れ、二人に出した。
このハーブティーは、ルシェルが眠れない時に心を落ち着かせるため、
普段からよく口にしているものだ。
「……これは……璃州国のものですね…」
藍が少し驚いたようにルシェルを見る。
「ええ、よくお分かりになりましたね。さすがです」とルシェルは優しく微笑む。
「昔から、寝付けない時や、冷静になりたい時によく飲んでいるものです。他にも、紅茶やジャスミンティーもよく飲んでいますよ。璃州国のお茶は本当にいいものばかりですので、私が侍女に頼んで直接仕入れているのです」
「そうでしたか……。そのように言っていただけて、とても嬉しく思います。今度、私のよく飲んでいるお茶もお持ちいたします」
藍は表情にはあまり出していないが、嬉しそうに見えた。
ーーしばしの沈黙の後、藍が重い口を開いた。
「……先ほどの、宴の席でのことを……謝罪したいのです…。それから、以前の宴の際もあなたに失礼なことをしました」
(あぁ、あの時の…)
藍 は唇を噛み、意を決したように顔を上げた。
そして、ルシェルの隣に立っているエミリアを見てから、再びルシェルに視線を戻す。
「……恐れながら、皇后陛下。しばし、お人払いをお願いできないでしょうか?」
エミリアが怪訝そうな顔をする。
「エミリア、それから……そこのあなた。少し外してくれるかしら?」
「ですが……皇后陛下!」
「大丈夫よ。お願い」
「わかりました……何かあったら呼んでくださいね!」
「ええ。わかったわ」
エミリアは藍をしっかりと睨みつけ、そばで待機していた護衛と共に、渋々部屋を出ていった。
「ありがとうございます……」
「いえ……。ですが、どうして人払いを?」
「……ただ謝罪するだけでは足りないと思ったのです……。なので……」
そう言うと、彼女は外套の留め具を外し、胸元をはだけた。
「ちょっと……何をなさっているのです……!」




