027 武闘大会
豊穣の行進が終わると、広場にはしばしの穏やかな時間が訪れた。
花びらの絨毯の上にはまだ赤や白、金の残りが舞い散り、
観客たちはゆっくりと拍手をやめ、歓声が和らいでいく。
民衆の笑い声や酒の香りが混ざり合い、子どもたちの駆け回る姿が祭の余韻を彩った。
使節団一行は、広場で歓談している。
ルクレル将軍は豪快に笑いながら、同行の親衛軍一行と剣術の話を交わしている。
「この光景も悪くないな。剣の腕試しも楽しみだ」
ルクレルの言葉に親衛軍一行も頷く。
藍は冷静に状況を観察しているようだ。
セリスは柔らかい微笑を浮かべる。
「民の顔を見るだけで、この祭の意味が分かるようですね」
他の祭司たちも頷く。
「ヴェルディアは本当に平和な国のようです」
「ええ、本当に。民が笑顔で過ごせることが何よりです」
ゼノンは、人々の視線に気を配りながらも、少し離れた場所からルシェルを静かに見守っていた。
祭の余興としての舞踊や音楽が再開され、酒や果物が振る舞われる。
笑い声と歓声に包まれながらも、広場には次第に緊張感の予感が漂い始める――やがて始まるのは、光華祭のもう一つの目玉、武闘大会である。
「殿下……本当に参加されるおつもりで?」
レイセルが不安げな表情でゼノンに囁く。
「ああ、面白そうだろう」
ゼノンは不敵な笑みを浮かべる。
「はぁ……くれぐれもお気をつけて…」
「心配してくれるのか、優しいな」
「まさか……殿下の心配ではないですよ。対戦相手の心配をしているのです……」
「なんだ、そんなことか。案ずるな。きっと私が力を発揮できる相手は、ルクレル将軍だけだろうからな」
レイセルは呆れた表情でため息をついた。
***
先ほどの豊穣の行進の優雅さとは打って変わって、広場は熱気に包まれていた。
武闘大会――光華祭の正式な一幕。
戦士たちの鎧が光を反射し、剣が交わるたびに鋭い音が跳ね返る。
観衆の声が渦となり、ルシェルの胸もざわつく。
闘技場の門が開き、出場者が列を成す。
観客の視線が一斉に動く。
ざわめきが広がり、私は思わず息を呑んだ――ゼノン、南方アンダルシアの王子だ。
鎧は簡素だが、剣の握り方や姿勢に至っては戦士そのもので、観衆が湧くのも無理はない。
「彼がなぜ……」
小さく漏らした言葉に、自分でも驚いた。
心の奥がざわつく。
ノアは私を見ず、冷たく背を向けたまま、低い声で言う。
「皇后、表情が固いぞ」
ルシェルは無理に息を整え、視線を闘技場に戻す。
ーー試合が始まる。
最初の出場者たちが砂の上に足を踏み入れる。
鎧の金属音が鋭く反響し、観客席のざわめきが一瞬で高まる。
屈強な戦士たちの試合が続き、小さな一閃で攻防が交わされ、観客は息を飲む。
「皇后陛下、あの戦士たち、すごく動きが早いですね。体もすごく逞しいです!」
エミリアがルシェルの耳元でそっと囁く。
彼女もワクワクしているようだ。
ーーその後、北方グレヴァル王国のルクレル将軍の登場で状況は一変した。
豪放で重厚な武人の姿そのままに、鎧を身に纏い、闘技場へ足を踏み入れる。
観客席のざわめきが一段と高まり、彼の存在感に息を呑む者も多い。
ルクレルは腕を軽く振り、剣先で砂を軽く蹴る。
その動作ひとつひとつに、長年の経験と戦場で鍛え上げた体の重みが滲み出る。
試合が始まってすぐに、ルクレルはその大きな体を使い、相手に重みのある一撃を与えた。
相手の戦士は、避けるまもなくその豪快な一撃に倒れてしまった。
ルクレルの戦士としての矜持と、戦場での経験がその一瞬に凝縮され、闘技場は緊張感に包まれる。
「なんだ、もう終わりか?あっけないな。早く次の相手を頼む」
観客のざわめきが一気に高まり、私の胸も自然と高鳴った――そして、彼の独壇場で大会は進んで行った。
ゼノンもまた次々と勝ち星を重ね、その歩みを止める者はいなかった。
そしてーーついに訪れる、ルクレルとの一戦。
一国の王族同士の対峙――観客の熱気は、もはや頂点に達していた。
「まさか、アンダルシアの王子とグレヴァルの王弟が……」
「滅多に見られるものじゃないぞ!」
「どちらが勝つか賭けようじゃないか!」
「俺はグレヴァル将軍だ!」
「私は王子殿下に!」
広場のあちこちで声が飛び交い、人々の胸は高鳴る。
息を呑む者、拳を握りしめる者、ただ祈るように手を組む者――その視線のすべてが、二人の戦士へと注がれていた。
(彼が武術の達人だなんて聞いたことがないけれど……大丈夫なのかしら……)
ルシェルは気が気でなかった。
闘技場の砂を踏みしめ、ルクレルとゼノンは互いに向き合った。
周囲の歓声やざわめきが遠くなるほど、二人の間に張り詰めた空気が漂う。
ルクレルは肩幅の広い体を揺らし、低く笑った。
「まさかそなたが相手とはな……!なかなかやるようだが、ここまでだ。覚悟はできているか?」
ゼノンは剣先を軽く振り、柔らかく、しかし確かな声音で答える。
「ええ。グレヴァル王国一の戦士であるあなたがお相手をしてくださるとは…光栄です」
ルクレルが大きく肩を揺らし、踏み込みとともに重い一撃を放つ。
ゼノンはわずかに身をかわし、剣先を合わせて受け流す。
刹那の衝撃が砂を跳ね上げ、観客席から歓声が上がった。
「……なるほど、腕は確かだ。そなたとは本当に良い友人になれそうだ!」
ルクレルが低く唸る。
だがその顔には、どこか楽しげな輝きがある。
「それはどうも」
ゼノンは微かに口元を緩め、反撃の一閃を放つ。
重力と体重の移動を巧みに利用した一撃が、ルクレルの刃を弾き、わずかな隙間を突く。
観客席は息を呑み、私は思わず掌を握りしめた。
ゼノンは力任せで攻めない。
相手の動きを読み、体の重心を巧みに変え、剣を最小の動きで正確に突き入れる。
大振りも華美もないが、一撃一撃に重みがある。
ルシェルは自然と前のめりになる。
胸が高鳴り、手が膝の上で震えている。
「皇后陛下、大丈夫ですか?王子殿下…すごいですね…」
侍女エミリアの声が耳元で囁く。
「ええ…」
ゼノンの眼差しは冷静だった。
ルクレルの重みのある踏み込みに対して、彼は腰を低く落とし、膝で地を確かめるようにして間合いを詰めたり開いたりした。
ルクレルの一振りは砂を厚く蹴り上げるほど強烈だが、その重さには反応の機敏さが必要だった。
ゼノンは力で張り合わず、相手の身体の線を読み、重心を一瞬だけ先に動かして攻撃の軌道をずらす。
ルクレルが剛腕で振り下ろした刃の勢いを、ゼノンは剣先で正確に受け止め、刃の角度を返して外側へそらす。
その受け流しに続いて、彼は踏み込む――ただし直線的な突進ではなく、体軸を半歩ねじることで相手の重心を不意にずらした。
ゼノンの戦い方はまるで舞を待っているかのようだった。観客の目はゼノンに集中していた。
ルクレルはそのひねりに一瞬バランスを崩す。
豪腕を利して押し戻そうとしたが、ゼノンは即座に距離を詰め、低い位置から素早い横斬りで相手の膝の前側をかすめるように斬りつけた。
重心を奪い、脚を使えなくするための確実な術だ。
ルクレルの足が微かに流れ、彼の体は一拍遅れて反応した。
その瞬間、ゼノンはためらわず一閃。
間合いを詰めた短い突きが、ルクレルの腹部に深く刺さるように見えたが、それは致命ではなく決定打を示す演出として映った。
ルクレルは大きく息を吐き、膝を折る。
砂が顔を洗うように舞い上がり、闘技場は刃が止まった静寂に包まれる。
歓声は一瞬の沈黙の後、大爆発のように広場を満たした。
「……やるな、アンダルシアの王子」
ルクレルは低く呟き、剣をゆっくりと下ろす。
体を揺らしながらも、肩幅の広い姿勢は崩れず、戦士としての誇りを保ったまま勝敗を認める。
「おおっ、すごいぞ!」
「王子殿下が勝ったぞ!」
「アンダルシアの王子は武術にも長けているのか!」
「なんて素敵なのかしら!」
観客のざわめきが聞こえてくる。
ルクレルはゆっくりと上体を起こし、顔にわずかな苦笑を浮かべた。
誇り高き武人の顔だ。
その瞳は悔しさを映しているが、次いで深い敬意へと変わる。
「そなたは実に素晴らしい…良い戦いであった、我が友よ!」
彼は唇を割って低く笑い、粗い声で最後に言いながらゼノンに手を差し出した。
「ええ、私のほうこそ光栄でした将軍」
ゼノンは微笑んで答え、ルクレルの手を取り固く握手を交わした。
場内からはまた小さな喝采が沸き起こる。
ルシェルはそのやり取りを見て、胸の奥に暖かいものが広がるのを感じた。
(彼が怪我をしなくて本当に良かった……それにしても、一国の王子がここまで武術に長けているなんて……すごく努力してきたのね……)
ルシェルはそっと胸を撫で下ろした。
波乱の武闘大会はこうして幕を閉じた。




