023 北の魔女
ーー夜の宮殿、使節団との晩餐の場。
広間には各国の使節団が揃い、煌びやかな装飾と食卓が華やかに並んでいる。
雅楽の調べが柔らかく流れ、和やかな雰囲気が漂うが、どこか張り詰めた緊張も見え隠れした。
アンダルシア王国の使節団をはじめ、聖月国や璃州国の者たちが席を同じくした。
歓談の輪が広がる中、グレヴァル王国の若き使節団の一員が、さりげなく話題を振った。
「ところで、イザベル様は本当に……独特の雰囲気をお持ちですなぁ。ーーまるで我が国の古の伝承に出てくる”魔女”のようにお美しくていらっしゃる」
そう言いながら、彼は微笑を浮かべた。
すると、隣に座っていた璃州国の使節がすぐに続ける。
「……そういえばーーかつて、グレヴァル王国のある地に”魔女”だけが住む集落があったという話がございますよね。彼らは皆、漆黒の長い髪に、紅の瞳を持つのが特徴だとか。それでいて、妖艶で不思議な空気を纏っていたと……」
「ええ、まさしくその通りです。まあ、最終的に、その集落の全員が”魔女”として断罪され、集落ごと焼き尽くされてしまったそうで……なので、まあ今となっては過去の存在ですがね」
グレヴァルの使節団の一員が答える。
その言葉は軽いものだったが、空気は一変した
周囲の者たちの目がイザベルに向けられ、さざめきが広がる。
イザベルの唇がわずかに震えた。
「我が側室を軽率な伝承に重ねて語るとはーーそなたたちは礼を欠いているのではないか?」
ノアのその言葉に、使節団の者たちはようやく表情を引き締める。
璃州国の若者も顔色を変えた。
「これは……申し訳ありません、皇帝陛下。決して悪意があったわけではないのです……ただ、イザベル様のお美しさを魔女に喩えただけでして……」
「……ええ、その通りです!我々はあくまで、イザベル様の容姿を称えただけで……」
「そうか?明らかに、我が側室を貶めるような発言であったようだがーー。違うのであれば、今後は軽率な言葉は謹んでいくれ。不愉快だ」
ノアの金の瞳が鋭く光り、誰も口を挟むことができなかった。
晩餐は、その後も形式的には続けられたが、空気は完全には戻らなかった。
***
宴の後、静まり返った宮殿の廊下を、イザベルは一人で歩いていた。
誰にも見られぬよう、足音を忍ばせて、ただ夜の静けさの中を歩いた。
部屋へ戻ると、扉を背にして崩れ落ちる。
胸の奥がズキズキと痛む。
(どうして……今頃になって……)
遠い昔、追われ、焼かれ、血に濡れた夜を命からがら逃げ延びてきた記憶。
燃え上がる集落の中で、家族と引き裂かれたあの光景。
家族を置いて逃げ延び、一人で生き残ってしまったという罪悪感。
これからは名を、血を、すべてを偽って生きるんだーー
それが、生き延びる唯一の方法だった。
そして今、幸運にも皇帝の寵愛を受け、側室としてこの国に自分だけの居場所を
得ることができたと思っていた。
「……陛下にだけは……知られたくなかったのに……もし何か聞かれたらーー」
顔を両手で覆い、静かに嗚咽が漏れた。
ーー同じ時、ノアは回廊を歩いていた。
宴の後、誰にも告げず、誰も連れずにノアの向かう先は、側室イザベルの私室である。
その歩みは、どこか確信のない、けれど止めることのできないものだった。
あの場で見た、イザベルの怯えるような表情。
冷たい微笑みの裏で、明らかに怯えていた。
それは、ただの不快感などではない気がする。
(…ただの伝承に過ぎないのに、なぜあれほど怯えていたのだろうか?)
思考が巡るよりも先に、ノアは扉の前で立ち止まった。
ノックの音に応える声はなかった。
だが、扉は内側からゆっくりと開いた。
「……陛下?」
イザベルがいた。
薄い常夜灯のもと、金の刺繍が施された上衣を脱いで、寝間着に着替えたばかりの姿。
「すまない。もう眠っていたか?」
「……いいえ、大丈夫です。なんだか眠れそうになくて……」
彼女は部屋の中へと身を引き、ノアを招き入れる。
焚かれていた香が、鼻をついた。
「香が強いな」
「……この香りが……落ち着くんです」
「……そうか。あの場でのことだがーー」
言いかけて、言葉を選ぶ。
イザベルは視線を伏せたまま、小さく頷いた。
「……陛下、申し訳ありません。私の容姿のせいで、陛下にまで嫌な思いをさせて……」
「お前は何も悪くないだろう。悪いのは、礼を欠いたあの者たちだ。二度とあのような事がないように言い聞かせておくから、どうか機嫌を直してくれ。な?」
「……陛下」
「なんだ?」
「……何も…‥聞かれないのですか……?」
「……何か言いたいことがあるのか?」
「……」
イザベルは黙って俯く。
ノアは、何かを決断するように視線を逸らし、立ち上がった。
「いい。そなたが言いたくないのなら、今は何も聞かぬ。今夜のことは、すべて忘れろ」
「………」
ノアはイザベルをそっと抱き寄せ、優しく彼女の髪を撫でた。
そして、イザベルはノアを力強く抱き返した。
ただ、夜の帳だけが深く静かに降りていた。




