9.新たなる舞台
貴族の馬車による度は、快適そのものだった。
まず、自分で歩かなくていいし。
ご飯もちゃんとしたものが、使用人たちによって作られて渡される。
保存食なんて味気ないものじゃなく、パンと温かいスープが出てきて、最初は驚いた。
天候も穏やかな日が続き、五日を過ぎる頃、遠くに王都の街並みが見えた。
高い城壁に囲まれた都市が、私たちが来るのを待ち構えているかのようだった。
ミュルナー子爵が私に告げる。
「あれが王都、君が滞在することになる町だ。
滞在先は私の別邸になるが、文句はないね?」
「それはまぁ、宿代が浮くので助かりますけど……」
宿を借りていると、毎日なんとかして宿代を稼がないといけない。
こんな大きな町で今まで通り稼げるのか、自信はなかった。
それなら最初だけでも、ミュルナー子爵にお世話になった方が良い気がする。
ちらりとアドレンガーさんを見ると、不満気に眉をひそめてはいたけど、文句を口にする様子もない。
……二人とも、何を隠してるんだろう?
カーリンは楽しそうに王都を眺め、ヴィントは外の景色に飽きたのか、腕を組んで居眠りをしていた。
私はなんだか居心地が悪くて、黙って外の景色を視界に納めていた。
****
翌日の昼に王都に到着すると、馬車が王都の城門をくぐっていく。
……本当に通行料を払わなくていいのか。羨ましいぞ、貴族!
庶民の旅人にとって、通行料は悩みの種なのに。
やがて馬車は町の綺麗な区画に入り込み、一軒のお屋敷の前で止まった。
ミュルナー子爵が私に告げる。
「小さい家だが、部屋数はある。一人一部屋を割り当てるから、それで我慢して欲しい」
私は呆気に取られて話を聞いていた。
小さいって……子爵邸ほどじゃないけど、庶民の家とは比べ物にならない。
二階建てのお屋敷は、充分な広さがあるように見える。
あっちに見えるのは、パーティ用のホールかな。
ミュルナー子爵、アドレンガーさんが馬車から降りて、ヴィント、カーリンが続いて行く。
私はアドレンガーさんの手を借りて馬車を降りると、みんなで屋敷の中に入るミュルナー子爵の背中を追った。
別邸とかいう割に、使用人たちはきちんと家を整えている。
頭を下げる彼らの前を通り過ぎ、ドアをくぐると赤い絨毯が敷かれたエントランスが広がっていた。
天上からぶら下がるシャンデリアを眺める私に、ミュルナー子爵が告げる。
「二階の部屋を使うといい。今、案内させる」
ミュルナー子爵が近くの侍女に指示を出すと、彼女が私たちに頭を下げてから「こちらへどうぞ」とエントランス近くの階段を上り始めた。
私たちは柔らかい階段を踏みしめながら、二階へ向かった。
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アドレンガーさん、ヴィント、カーリンが次々の部屋に案内されて行く。
部屋は質素で、それでも宿屋の部屋よりはゆったりとして広い部屋みたいだ。
最後に私が部屋に通され――広くない?!
大きな天蓋付きのベッド、ゆったりとしたリラックススペースはローテーブル周りにソファが置かれ、六人ぐらいが座れるようなソファが置いてある。
ちょっとした食事もできそうなダイニングテーブルも置いてあり、私の部屋だけ明らかに格が違った。
中に案内しようとする侍女を思わず呼び止め、私が告げる。
「部屋を間違えてませんか?!」
「いえ、こちらが指示のあったお部屋ですが……御不満、でしたか? 狭かったでしょうか」
「不満っていうか、狭い方じゃなくて広すぎるよ?!」
侍女がクスクスと笑みをこぼして応える。
「それでしたら、すぐに慣れてしまわれますよ」
ほんとかなぁ?! うーん、なんでみんなと同じような部屋じゃないんだ?
ひとまず部屋の中に入ったけど、なんだか落ち着かない。
ソファに腰かけてみてもふかふかで、未だに貴族の家のソファには慣れないなぁと思う。
何故か壁際で佇んでいる侍女に私は尋ねる。
「そこで何をしてるんですか?」
「お傍に控えるようにと仰せつかっています。ご用命があればお気軽にお申し付けください」
侍女付き?! どういうこと?!
「ちょっと待って?! 他のみんなにも、当然同じように侍女が付いてくれるんだよね?!」
「いえ、リベルティーナ様に侍るよう仰せつかってはおりますが、他の方には特に何も」
「なんで私だけ特別扱いなの?!」
「私共に聞かれましても、お応えできかねます。旦那様に伺ってみては?」
よし、それじゃあ聞きに行ってやろう。
「案内して!」
「畏まりました」
私はドスドスと足音を鳴らしながら、静かに歩く侍女の後ろをついて行った。
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侍女が案内してくれたのは別棟のパーティホール。
ミュルナー子爵は、ホールの中であれこれと使用人に指示を出しているようだった。
「旦那様、リベルティーナ様がお見えです」
こちらを振り向いたミュルナー子爵が私に笑顔で告げる。
「どうしたんだい? こんなところまで来て」
私は半分怒りながらミュルナー子爵に応える。
「ちょっとミュルナー子爵! あの扱いはどういうことですか!」
「扱い? ……もしかして、待遇に不満があったのか?
だがあれより上位の客間は別邸にはない。あれで我慢をして欲しい」
だーもう! そっちじゃない!
「違いますよ! 豪華すぎるんです!
なんで私だけみんなより豪華なんですか!」
きょとんとした顔のミュルナー子爵が、クスクスと笑いだして応える。
「そうか、みんなと違う待遇が気になるのか。
――君の身分に相応の部屋を用意させてもらった。
だが他の人間を同じような部屋に泊めたくても、部屋がない。
結果として君だけが特別扱いに見えることになったが、他意はないよ」
「……身分って、どういう意味ですか」
ミュルナー子爵はニコリと微笑んで応える。
「それは今夜の夜会で分かるさ――私も準備で忙しい。
君もそろそろ、支度をする時間だ。
部屋に戻って着替えてきなさい」
そう言うとミュルナー子爵は、再び使用人たちに指示を出し始めた。
――到着したら夜会を開くとは聞いてたけど、到着当日に?!
何を考えてるんだろう、この人は。
私はなんだか疲れてしまって、元来た道をとぼとぼと戻っていった。
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侍女に手伝ってもらいながら入浴後、シルクのドレスを身にまとい、化粧を施されて行く。
別にお化粧なんて要らないと思うんだけど。今までだって、お化粧なんてしてこなかったし。
ぶーぶーと文句を言っていたら、侍女が私に告げる。
「夜会は明かりが乏しいですから、少しお顔を強調する必要があるんですよ」
さっき見た感じ、天井が高いホールにいくつものシャンデリアが付いていた。
そこから蝋燭で照らされるだけだから、暗くなるのはわかるんだけど。でも夜の酒場も大概暗いよ?
身なりの準備が整う頃、軽食を食べてエネルギーを補充する。
大声で歌うのだから、空腹じゃお話にならない。
私にとって、仕事前の食事はごく当たり前のウォーミングアップだ。
「そろそろ移動をお願いいたします」
私は頷いて残ったパンを頬張り、よく噛んでから飲み込んだ。
よっしゃ! と気合を入れて立ち上がり、改めて侍女を伴ってホールに向かった。
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私たち楽団員が案内されたのは、ホールの中にある控室。
カーリンも赤いツーピースの服を身にまとって、準備万端だ。
ヴィントは少し神経質になって、リュートの調整をしていた。
アドレンガーさんがいつもの声で告げる。
「初めての夜会だが、いつも通りやろう。
貴族が相手でも気負うことはない。
我々らしい興行を見せるだけだ」
私たちが頷き、心を決める――貴族たちにリーゼル楽団の力、見せてやろうじゃない!
間もなく侍女が私たちを呼びに来た。
「お時間です。ホールへの移動をお願いします」
アドレンガーさんが頬を両手で叩いて気合を入れた。
「よし! 行くぞ! リーゼル楽団!」
私たちも気勢を上げて、アドレンガーさんの後に続いた。