6.片鱗
朝食の席でパンを食べているアドレンガーさんに尋ねる。
「滞在に応じるんですか?」
「王都まで馬車を用意してくれるらしい。
路銀の心配もしなくて済むし、ティナたちの服も用意してくれるという。
貰えるものなら貰っておけばいいさ」
ええ……服なんて、普通に服屋で見繕えばいいじゃん。今まで通りにさー。
私はため息をついて告げる。
「団長が言うことなら従うけどさー。大袈裟すぎないかなぁ?」
アドレンガーさんがニヤリと微笑んだ。
「王都に入るにも通行料が必要だ。それを稼ぐことを考えれば、大して違いはないさ」
大きな町に入る時には、相応のお金を払う必要がある。
王都なら結構な高額を要求されるのも、想像はできるけども。四人分だしなぁ。
「じゃあ、私たちの通行料はミュルナー子爵が払うってこと?」
横からミュルナー子爵が楽しそうな声で私に告げる。
「ハハハ! 私が乗る馬車に通行料はかからないよ!」
ああ、そういうものなのか。貴族って、お得だなぁ。
根菜のスープにパンをひたして食べながら、私は視線を感じ続けていた。
……ゴットフリート君、今朝も私を見てる? 見られるのは慣れてるけど、理由もなく見られるのは慣れてないな。
視線を向けると、彼は慌てて目を逸らしていた。顔が赤いのは、私を意識してるから? ちょっとおませな子だな。
私たちは黙々と朝食を済ませると、食後の紅茶を飲みながら一息ついていた。
ミュルナー子爵が立ち上がって告げる。
「では私は仕事に戻る。細かいことは侍女たちに指示を出してあるから、彼女らに従って欲しい」
立ち去る背中を見ながら、私はぽつりと告げる。
「あの人、何を考えてるんだろう?」
ヴィントが静かに紅茶を飲みながら私に応える。
「貴族の考えることなんて、僕らにはわからないよ」
「そりゃそうだけどさー」
紅茶を飲み終わったゴットフリート君が私に告げる。
「では母上の下に案内しよう。また一曲、お願いできるだろうか」
私はニコリと微笑んで立ち上がる。
「ええ、いいわよ。朝一番の歌声、お母さんに届けてあげる」
破顔したゴットフリート君が歩きだし、私とカーリン、それにヴィントやアドレンガーさんで彼の背中を負った。
****
屋敷の奥まった場所に子爵夫人の寝室があった。
ゴットフリート君がドアをノックして告げる。
「母上、ご起床しておられますか」
少ししてドアが開かれ、年配の侍女が顔を出した。
「本日もお加減があまり優れません。長居はなさらないように」
頷いたゴットフリート君が中に入り、私たちも後に続いて行く。
部屋の中は店外付きのベッドがあって、女性が一人、寝ているようだった。
手入れをされているからなのか、病人にしては艶やかな黒髪をした女性が侍女の助けで体を起こし、ゴットフリート君に告げる。
「どうしたの? 朝から顔を出すなんて」
「母上、昨晩お話した歌姫を連れてまいりました」
女性――子爵夫人が私たちを視界に納めたあと、少し驚いたような顔で私の顔を見つめた。
「……そう、あなたがフロリアンの言っていた子なのね」
ミュルナー子爵が? 何を言ってたんだろう。
私はいつもの笑顔で子爵夫人に告げる。
「リベルティーナです。お加減はいかがですか?」
子爵夫人が弱々しく微笑んだ。
「こんな姿でごめんなさいね。少し話すぐらいなら大丈夫よ」
声も弱々しい。本当は起き上がるのも辛そうだ。
ゴットフリート君が眉をひそめ、私を見て告げる。
「母上のために、元気が出る歌を頼めるだろうか」
「いいわよ? 元気が出る歌ね!」
私は大きく息を吸い込んで、鉱夫の間に伝わる歌を喉から奏でだす。
俺たちゃ元気が取り柄だぞー!
頑健じゃなきゃ、始まらない!
病魔も跨いで避けて行く!
俺たちゃ今日も、飯が美味い!
魔力を込めて歌いあげる鉱夫の歌を聞いて、子爵夫人が驚いたように目を見開いていた。
「……不思議な歌ね。それはなんの歌なのかしら」
私はニコリと微笑んで応える。
「エルツベルク地方に伝わる、鉱夫たちの鼻歌ですよ。
彼らはこの歌を歌いながら仕事をしているそうです」
歌を聞き終えた子爵夫人は、目をつぶって余韻にひたっているみたいだ。
さっきより血色の良くなった顔で、子爵夫人が告げる。
「なんだか、聞いてるだけで元気が出てくる歌ね。
――ありがとう、とても気分が楽になったわ」
私はニコッと微笑んで応える。
「奥様には、元気になってもらいたくて!
……貴族女性には、少しふさわしくなかったですかね?」
子爵夫人が首を横に振って私に微笑んだ。
「いいえ、とても素敵な歌よ。なんだかお腹が空いてきてしまったわ。歌のおかげかしら」
「お力になれたなら、歌姫冥利に尽きるというものです!」
その後、侍女が用意したフルーツの盛り合わせを食べながら、子爵夫人は私たちの旅の話に耳を傾けていた。
旅の途中で仕入れた噂話を交えながら、私たちは他愛ない話に花を咲かせた。
****
子爵夫人の寝室から出たゴットフリート君が、私に笑顔で告げる。
「あれほど元気な母上を見るのは久しぶりだ。
また明日も、歌ってもらえるだろうか」
「お安いご用よ! 滞在していて暇だし、このくらいはしてあげるわ」
ゴットフリート君が頷いて私に告げる。
「そうして欲しい――私はこれから勉強があるので、これで失礼するよ」
「え?! これから?!」
だって、まだ朝の九時だよ?!
私が驚いていると、ゴットフリート君は顔を引き締めて応える。
「私は父上の跡を継ぎ、良い領主にならなければならない。
そのためにも、覚えることはとても多いからね」
私たちをその場に残し、ゴットフリート君は自分の部屋へ戻ってしまった。
カーリンが私を見て告げる。
「どうします? ティナ姉様」
「だらだらしていても仕方がないし、庭に出て興行の練習でもしましょうか」
カーリンとヴィントが頷くと、アドレンガーさんが私に告げる。
「では私はちょっと外に出てくる。夕方までには戻る」
「何をしに行くんですか?」
ニカッと笑ったアドレンガーさんは「それは秘密さ」とだけ告げ、私たちに背を向けて行ってしまった。
ヴィントがぽつりと呟く。
「ここに来てから、ちょっとアドレンガーさんが何考えてるのかわからないな」
カーリンがふぅ、と小さく息をついた。
「大人の考えることなんて、私たちが考えてもわかるわけないわ」
いや、一応は私もヴィントも十五歳。成人してるんだけど。
でもどうしたんだろう? 行先も言わないなんて、珍しい。
とはいえ、時間がもったいない!
「さぁ、準備をして庭に移動しましょう!」
私の一言で、ヴィントが部屋にリュートを取りに戻った。
私とカーリンは一足先に、良く晴れた庭に向かって歩きだした。
****
執務室で執務を行うミュルナー子爵の耳に、力強く艶っぽい歌声が聞こえてきた。
椅子から立ち上がり窓辺に寄ると、眼下で歌うリベルティーナと、歌に合わせて踊るカーリンの姿が見える。
静かなリュートの音もうっすら聞こえてきて、ミュルナー子爵はしばらく耳を傾けていた。
「見事なものだな。イネス様にはまだ及ばないが、『久遠の歌姫』を名乗っても恥ずかしくない力量だ」
『久遠の歌姫』――かつて、リベルティーナの母親に与えられた異名だ。
その歌声は悠久の時を超え、人々の記憶に残り語り継がれて行くだろうという賛辞。
リベルティーナの歌声は、未熟なれどその名を名乗ってもおかしくない力を秘めているように聞こえる。
透き通った美声、力強い声色、聞く者の心を掴んで離さない魔性の歌声。
果たして彼女が王都に行ったときに何が起こるのか。
彼女を見つけた国王が何を考え、どう動くのか。
読めない事は多いが、それでも差し伸べられる手は差し伸べなければならない。
満足して深く息をついたミュルナー子爵は、再び執務机に向かって書類にペンを走らせた。