3.運命の交差点
私たちは早朝に、朝市で食料を仕入れてから町を出発した。
食料はほとんど一頭のラバに乗せて移動している。
尤も、自分の寝具なんかは自分が持ってるので、ラバに乗せる荷物は炊事道具くらいだ。
てくてくとラバを中心にして四人で歩きながら、次の町を目指す。
最終目的地は王都なので、ここから北東へ向かわなければいけない。
けれど道はまっすぐ伸びてはくれない。
王都までの間にラウシュ・ギッフェルが横たわるからだ。
小さな山脈を迂回するため、私たちは街道を東へ向かって歩いていた。
日が高くなり、そろそろお昼にしようか――そう言いだそうと思った頃。
道の向こうで、立ち往生をしている馬車が見えた。
どうやらぬかるみに車輪がはまってしまい、立ち往生しているらしい。
御者が一人で頑張っているけど、動かせないでいるみたいだ。
アドレンガーさんが遠くを見て告げる。
「……ヴィント、一緒に来い。手伝いに行くぞ」
「ええ?! 俺もですか?!」
「つべこべ言わずに走れ!」
アドレンガーさんはヴィントの腕を引っ張るように走っていき、御者の手伝いを始めた。
私とカーリンがラバを連れて馬車に辿り着く頃になっても、車輪は穴から抜け出せていなかった。
「中の人間は手伝わないのか?!」
「旦那様のお手を煩わせる訳には参りません!」
アドレンガーさんの悲鳴のような疑問は、御者の矜持を持った強い言葉で否定されてしまった。
……正直、中に乗ってる人が降りれば、それだけ早く抜け出せると思うんだけど。なんで降りないのかな?
私は小さな声で『馬車は綿のように軽くなり~』と魔力を込めて口ずさんだ――途端、馬車ががたんと勢いよく動き出し、ぬかるみから脱出していた。
中で誰かが転げたような音が聞こえたけど、この際だから無視してしまおう。
ちゃんと外に出て手伝って居れば、転ばずに済んだんだし。自業自得だ。うんうん。
御者が慌てて馬車の扉を開け、中に声をかける。
「大丈夫でございますか! 旦那様! 坊ちゃま!」
……二人も乗ってたの? 貴族かな。貴族って何を考えてるんだろう。
御者を押しのけるように、中から一人の壮年の男性と一人の少年が降りてきた。
険しい目ととんがった顎は、なんだか神経質そうだ。
おでこにたんこぶができているので、きっとさっきぶつけたのだろう。
壮年の男性が私たちに告げる。
「最後に強く押したのは誰だ」
御者が恐る恐る手を挙げた。
「私でございます……」
壮年の男性の眉がぴくりと高く上がった。
「お前が最後に? あれほど押しても引いても動かせなかったお前が、あれほど大きく動かせたと?」
御者も困惑しながら応える。
「はぁ、それが何故か、最後の一押しをした時は羽のように軽く感じまして……」
額にたんこぶを作った少年が私たちを見て、口を開く。
「父上、見慣れぬ者たちが居ます。彼らの仕業では?」
壮年の男性が私とカーリンを見て告げる。
「では、お前たちのどちらかが何かをやった――間違いないか」
うーん、これはどう返事をしたらいいのかな。
「私もカーリンも、馬車には指一本触れてませんよ?」
しばらく壮年の男性と私の睨み合いが続いた――やがて、男性が諦めたように口を開く。
「叱りつけようと思っているのではない。礼を言おうと思っているだけだ。
お前たち、我が屋敷に来るがいい。今夜の夕食を馳走してやる」
アドレンガーさんが、ニヤリと微笑んで応える。
「そういうことなら応じてやるさ。屋敷の場所はどこだ?」
「この道をまっすぐ行けば、門が見える」
「オーケー、了解した。夜までにはあんたらの屋敷に辿り着こう」
頷いた壮年男性が、口を開く。
「私はフロリアン・ミュルナー。子爵位を賜っている。
もし迷ったら、ミュルナー子爵邸への道を聞くがいい」
それだけ言い残し、ミュルナー子爵とミュルナー子爵令息は、馬車に乗りこんでしまった。
御者が扉を閉め、御者席に急いで飛び乗ると、手綱を操って馬車を走らせていった。
馬車を見送りながら、ヴィントが告げる。
「あの坊主、ティナの顔に見惚れてたな」
「え? そうなの? 全然気が付かなかったけど」
だいたい十二歳くらいの少年だった気がする。三歳年上の私じゃ、見惚れるにしても年上過ぎないかな?
アドレンガーさんが元気に告げる。
「まぁいいじゃないか。晩飯で肉にありつけるぞ! 巧く行けば寝床もだ! さぁ、サクサクと進もう!」
私とカーリンは元気に、ヴィントは疲れた声で声を出し、再び前に歩きだした。
****
夕日が森の向こうに沈み始める頃。私たちはミュルナー子爵邸らしき場所に辿り着いた。
アドレンガーさんが門を守る衛兵に尋ねる。
「ここがミュルナー子爵邸であってるかい? さっき馬車を助けた者なんだが」
衛兵がジロリとアドレンガーさんをねめつけて応える。
「お前は何者だ? 名を名乗れ」
アドレンガーさんがニヤリと微笑んで告げる。
「私はアドレンガー。リーゼル楽団の団長をしている」
衛兵たちはアドレンガーさんに槍を突き付け、しばらく見定めているようだった。
「……いいだろう。取り次いでやる」
もう一人の衛兵が屋敷に向かって走っていき、使用人に何かを話しているようだった。
使用人が屋敷の中に駆け込んでしばらくすると、再び顔を出して衛兵たちに頷いた。
「……旦那様がお呼びだ。付いて来い」
私たちは、衛兵たちに続いてミュルナー子爵邸に足を踏み入れた。
****
ラバを屋敷の使用人に預け、私たち四人は屋敷の廊下を歩いていた。
衛兵に前後を挟まれながら、ふと思う。
「今この瞬間、門はガラ空きなんじゃない? 大丈夫なの? 防犯上」
衛兵が鬱陶しそうに私に応える。
「ええい、代わりの者くらい居る! お前たちに心配されるようなことじゃない!」
「そう? ならいいんだけど」
衛兵たちに案内されたのは、応接間だった。
子爵様のお家の応接間は、無駄に広くて四人くらいは余裕で入れる。
中に居るミュルナー子爵がソファから立ち上がり、私たちに告げる。
「よく来たな。お前たちの名を聞いておいても良いか」
「アドレンガー。楽団の団長をしている」
「ヴィルヴェルヴィント・ノウバウアー。リュート奏者だ」
「カーリン・ノウバウアー。踊り子よ」
私はコホンと咳払いをしてから、笑顔で告げる。
「リベルティーナ・エルデンフェルン。ただの歌姫よ」
ミュルナー子爵が私の顔をまじまじと見つめ、尋ねてくる。
「リベルティーナ、お前の親もそのような髪色や瞳の色をしていたのか」
突然なんの話だろう?
「いえ? 両親は別の色ですね。祖父母までは聞いてないので知りませんけど」
「では……昼間の馬車を動かした技。あれは君がやったのかね?」
私はドキッとしながらも平静を装い、応える。
「なんのことでしょう? 私たちは馬車には指一本触れてませんよ?」
ミュルナー子爵が楽しそうに微笑みながら口を開く。
「――歌声に魔力を込められる、そんな一族が辺境に居るという」
心臓が掴み取られるかと思うほど収縮し、私の顔から表情が抜け落ちたのがわかった。
それは、今まで誰にも口外しなかったこと。お母さんから『誰にも言わないように』と教わった秘密。
私の表情を観察したミュルナー子爵が、クスリと微笑んで私に告げる。
「……そんな話を、昔聞いたことがあるだけだよ。
君らは私の恩人だ。今日は夕食を振る舞うから、ゆっくり泊っていって欲しい」
私が強張った顔で頷くと、女性が「お部屋へご案内します」と告げた。
私たちは彼女に案内されるまま、客間へと向かった。