23.歌姫
慌ただしかった秋が過ぎ去り、社交シーズンが終わりを告げた。
これからは少し、のんびりできるはずだ。
今朝の食卓には、昨日戻ってきたミュルナー子爵の姿。
そして久しぶりに会う子爵夫人ジュリアさんと、子爵令息のゴットフリート君も居る。
「お二人とまた朝食を食べる日が来るなんて、嬉しいですね!」
ジュリアさんがふんわりと微笑んで私に応える。
「あなたに歌を歌ってもらってから、すっかり病気が治ったみたいなの。
おかげでこうして王都のタウンハウスにまで来ることが出来たわ。
まだ無理はできないけど、これでも随分健康になった気がするの」
私はニコリと笑って応える。
「それは良かったです! やっぱり健康が一番ですからね!」
ふと視線を感じてそちらに目を向けると、ゴットフリート君がひょいと顔を逸らしていた。
ゴットフリート君はなんだか、以前よりも私の顔を見ようとしない。なんでかな?
ミュルナー子爵は嬉しそうにワインを傾けていた。
「社交シーズンは終わりだが、君の特別称号と領地の賜与式が待っている。
君の誕生日に合わせているから、半月後だね」
ああそうか、私は貴族の仲間入りをするんだっけ。
ここから馬車で十日ぐらいの位置にある小さな王家の領地を分けてもらうことになったけど、往復で二十日かかる。
さすがに毎月視察は無理だから、半年に一回の視察ってことに落ち着いた。
もちろん運営を委任する役人には、毎月領地の視察をしてもらうことにもなってるし、報告書は毎月届けてもらうけど。
ヴィントが憂鬱そうにため息をついた。
「あーあ、ティナが貴族か。王様の子供ってだけじゃなくて、本当に平民の僕とは身分が変わっちゃうじゃないか」
カーリンがヴィントをからかうように笑った。
「あらどうしたの? ティナ姉様を諦めきれないの?」
「そ、そういうことじゃなくて!」
「じゃあどういうことなの?」
ヴィントは真っ赤になって黙り込んでいた。
この兄妹は、いつも仲が良いなぁ。隙があればじゃれてる気がする。
アドレンガーさんがニヤリと微笑んだ。
「ティナは来月で十七歳。
貴族ともなれば、未婚はあまり立場が良くない。
婚姻相手は見つけられそうなのか?」
ヴィントとゴットフリート君が、慌てたように私を見つめた。
私はきょとんとアドレンガーさんを見る。
「結婚相手ってこと? 居るわけないじゃない、そんなの」
「では、恋愛相手はどうだ?」
「居ないわよ? 居なきゃいけないの?」
ヴィントとゴットフリート君は、あからさまに胸をなでおろしていた。何を心配してたんだろ?
アドレンガーさんがフッと微笑んだ。
「……なるほど、だからティナの恋愛歌では、あの程度の力しかないのか。
むしろ恋愛を知らずにあれだけの歌が歌えるのも、才能かもしれないがな」
あいかわらず、よく意味がわからない。
「ねぇ、それってつまり、恋愛をした方が歌唱力が上がるってこと?」
アドレンガーさんがワインを揺らしながら、楽しそうに微笑んだ。
「恋愛に限らず、人生経験は歌声を豊かにする。
若い時にしか出せない声もあるが、経験を重ねるほど歌声に艶と深みが出るんだ。
ティナがイネス様に勝てない理由の一つが、その人生経験だろう」
私はテーブルの上のオムレツを見つめながら呟く。
「そっか、歌のためになるなら、積極的に恋愛相手を探してみようかな……」
ミュルナー子爵がクスリと笑みをこぼした。
「リベルティーナの場合、まずは陛下がお認めにならなければ、相手を処刑してしまいかねない。
恋愛相手を探すのは大変だとおもうがね。
夜会の中で相応の相手の中から探す――おそらく、そんなスタイルになるだろう」
えー、夜会の間に探すの? なんだかめんどくさそうだなぁ。
でも貴族になったら平民の奥さんになるのは難しいだろうから、貴族の中から探すしかないのか。
思わずため息が漏れる。
「ふぅ、大変そうだなぁ。私の恋愛」
今までお母さんを探すことしか考えてこなかったけど、ここにきて結婚を考えないといけないのか。
歌姫としてお母さんに追いつき追い越すためにも、経験はしておいた方が良いと思う――けど、相手が居ての話だもんなぁ。
思わずため息を漏らしながら告げる。
「はぁ。どこかに丁度いい年齢で私に好意を持ってる程よい身分の男の子とか、居ないかなぁ」
ゴットフリート君が、やたら挙動不審になって私を見ていた気がする。
今朝の彼はなんだかおかしい。どうしたんだろう?
****
エリザベートは社交シーズンの間、ローゼン・シュラーク楽団を休止させて自己鍛錬に励んでいた。
今までの技巧を高める鍛錬ではない。アドレンガーに言われた『音楽を楽しみ、心を届ける』鍛錬だ。
だが周囲に居る講師たちは、そういったスタイルに否定的だった。
彼ら講師には暇を出し、新しい教師を探しつつ、今朝も一人、野外音楽堂で歌を歌っていた。
どうしたら心を届けられるのだろう。
音楽を楽しむって、どうしたらいいの?
リベルティーナに並ぶためには、どうしたら?
答えの出ない迷いがエリザベートの声を曇らせる。
そんな彼女に、いつの間にか観客席に居た黒いローブの女性が声をかける。
「あらあら、お嬢さん。そんな心で歌っては駄目よ。もっと楽しいことを考えて」
エリザベートは驚いて歌を中断し、女性を見つめた。
頭からフードを被り、顔はヴェールで覆い隠している。目元だけが露出していて、赤みがかった琥珀の瞳がエリザベートを捉えていた。
「……誰よ、あなた」
警戒しながらエリザベートが告げた言葉に、女性はステージに上りながら応える。
「そうね……旅の音楽講師、なんてどうかしら?
あなた素質はあるし技術もしっかりしてるけど、歌で一番大切なことができてないわ。
私がそれを教えてあげる――と言ったらどうする?」
エリザベートは眉をひそめて女性を見つめた。
「あからさまに姿を隠した怪しい女に、そんなものを頼むと思うの?」
ローブの女性がクスリと笑みをこぼした。
「私はちょっと、今は身を隠しているの。
だから姿を見せることも、名前を知らせることもできれば避けたい。
だけどそうね……『ディーヴァ』とでも呼んで頂戴」
ディーヴァ――自ら『歌姫』と名乗る女性に、エリザベートの警戒心が増していた。
だが、いま彼女が欲している講師、それが目の前に居るという実感もなぜか持っていた。
『歌で一番大切なこと』を教えてくれるというのなら、是非教えを請いたい。
だが余りにも不審で、それを言い出す気にもなれなかった。
ディーヴァが再びクスリと笑みをこぼす。
「信用できない? それじゃあこれならどうかしら――」
ディーヴァはステージから観客席に向かって歌声を響かせていった。
わずかな時間の短い歌。だがその曲は――
歌い終わったディーヴァに、愕然とするエリザベートが告げる。
「あなた……何者なの? その声、その歌唱力、まるであの子のよう」
いや、エリザベートが今感じたインパクトは、あの日の夜会を超えていた。
彼女以上の歌姫が存在するなど、にわかには信じられない。だが目の前に確かに存在している。
ディーヴァが目を細めて微笑んだ。
「ふふ、あの子に会いに来たのだけれど、あなたもなかなかの逸材よ。
どうせ再会するのなら、ドラマティックな方が素敵じゃない?」
エリザベートは唾を飲み、意を固めた。
――この人の教えの下なら、私はあの子を越えられる!
エリザベートが差し出した右手を、ディーヴァは笑顔で握り返した。




