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高校の時の英語のワーク内にあった「彼に金をやるくらいなら捨てた方がましだよ」という和訳から勢いで作った短編です。
「彼に金をやるくらいなら、捨てた方がましだよ.....」
友人の大手お菓子メーカーの社長の嘲笑の中、呟く男が一人。愚かな人間。本当に愚かな。この僕に金を預けた自分が悪いんだ。とことん欲望だな、特に人間は。
僕の名前はイーター。欲望を食らう者。一種の悪魔のようなものだ。人間から欲を引き出し、食らい、転落人生を送らせる。一部では、僕をマネーイーターと呼ぶ人間もいるらしい。金に絡んだ欲望は非情な程過大で転落しやすい。そしてそれが美味なのだ。湧き出るその欲望はあまりに美味なのだ。静かに呟いたこの男もまた、脚色されて広まった僕の噂を信じ、縋って転落した者の一人。たしか七十七人目の。
こいつは大手飲料メーカーの代表取締役だった。開発チームに所属するお気に入りの女の子の却下されてしまった案を何としても通したい。そう僕に依頼してきたのだ。もちろんこの時この男は僕をイーターという悪魔だとは思っていない。金を積めば積むほど、戻る金を増やす「仕事」をしている人間と思われているようで、過去にはギャンブル感覚で金を預けに来る富豪も少なくなかった。その成功率と称した、僕が金を返してやる確率は気まぐれだ。たまに返してやって、成功体験を語らせなければ僕のもとにやってくる人間が減るから。僕はこの男の前の三人を連続して成功に導いてやった。男は今しかないと思って来たのだろう。これをきっかけに女の子に好意を持たれたいという欲がだだ漏れていた。試しに一滴指に垂らして舐めてみると、粉っぽさが口に残るようなドロドロした食感で、何とも表しにくいねちっこく喉にへばりつくような味がした。一言にするなら不味い。舐めてみようと思った自分を責めた。だが仕方ない。これが純愛だったなら、甘酸っぱく、でも爽やかに喉に溶けてゆくスイーツのような上品な味がしたはずだから。僕はこの味も好きだ。僅かな希望にかけてみたのだ。案の定だったが。僕に金を預ける経緯を語り切った男は、いよいよ車から怪しげな黒い鞄を持ち出し、僕の前で開けて見せた。
「三千万入ってる、少なくとも十倍にして返せ」
男は言った。預金が多くなればなるほどリスクは高くなることを説明し、了承を得ようとしても、男はただ必ず返せの一点張りだった。そして僕は気付く。滲み出してきた鼻を抜けるいい香りに。大切な金を預けて返ってこないなんて、人間にとっちゃ有り得ない話だもんな。時に人間の権利や地位までも決めてしまう欲望の塊である紙切れに一抹の不安を抱いたのか、男からどんどんお目当ての欲望が滴り落ちてゆく。思わず生唾を飲んだ。しかしまだダメだと自分をセーブする。この欲は時を経る毎にその味わいを深く濃くしてゆく。滴る欲が固まるまで、ゆっくりじっくり待つことがこの欲をより美味しくいただくためのちょっとした下ごしらえというわけだ。そして何よりこの男は非常に多額の金を積んだ。今回は端から成功を与えるつもりはない。久しぶりに御馳走がいただけるかもしれない。
一週間ほどして、男から連絡が入った。
『遅い、早くしろ。あと二週間以内に何とかしろ』
字面から焦りが窺える。ただのメール画面でさえ香るほどだ。
『まだ一週間しか経っていないですよ。ただでさえ大金なんです。なぜそうまでして急ぐのですか?』
丁寧に問うと笑える返事が返ってきた。
『大金だからこそだ。お前が失敗したら預けた金も戻らないという話しは聞いてる。それに彼女の開発案が通る可能性があるのは今月中までだ。二週間と少ししかない。どんな手を使ってもいい。とにかく早くするんだ』
僕は口元を緩めて、
『最善を尽くします』
と送った。
その二日後の夜。もう頃合いだろうと僕は鏡の前で目を瞑り、息を吸い込む。目を開けると鏡には依頼者の男の姿。これから銀行に向かう。盗みを働くのだ。この姿で。高セキュリティの銀行でさえ僕にかかれば楽勝だ。音を立てずに窓ガラスを割ることも、防犯カメラやPCに依頼者からのハッキング痕を残すことも、巨大金庫の厳重な鍵を開けてしまうことも、総額三億円を移動手段なしに依頼者指定の場所へ運ぶ事も。僕の持つ能力で全て事足りる。あとは、
『三億円、無事にお届けしました』
とメールするだけ。これで依頼はコンプリートだ。
『よくやった。確認しに行く』
休日生活を満喫していたであろう男は、真夜中にも関わらず、すぐに返信をよこした。それを確認した僕も指定の場所へ向かった。欲望塊の回収のためだ。
繁華街から外れた古い商店街の路地裏に、まだ使うことのできるコインロッカーがある。男の指定した場所だ。僕は能力で姿を消し、ロッカーのすぐ横で男の到着を待った。程なくして現れた男は、器用な手つきでロッカーを開ける。中には大きめの箱型バッグが三つ並んで置いてあり、男はその内の一つを取り、開けて中を確認する。男は何度か目を瞬いてから、口角を上げ、不気味に笑い出した。幾度も見た顔だ。その金の量に若干の恐怖を感じながらも、これで自分の願望を何でも叶えられると。皆同じ顔をした。すると、カラランと軽快な音を立て、男から何かが落ちた。金の欲望塊だ。黄金で歪な形の塊。僕はそれを拾い上げ、持参したタオルで丁寧に拭いて、懐にしまい、帰路につく。男はバッグを抱え、こそこそと帰っていった。
家に帰り早速キッチンへ向かう。金の欲望塊を分厚く切って、ステーキのように焼いて食べるのが僕のお気に入りだ。油を引くことも味を付けることもしなくていい。ただ切って焼くだけで金の欲望塊は御馳走になる。出来上がったそれを綺麗に盛り付け、席に座り、「仕事」をしたあたりの系列の電波を探し、手掴みで繋げて、テレビをつける。銀行から三億円を持ち出したとして、例の男が容疑にかけられている。数日のうちに男は懲役判決で収容された。
そして今、収容所で面会に訪れたお菓子メーカーの社長が
「俺もやってみようかな」
と嘲ながら言うのに対して、男は
「彼に金をやるくらいなら、捨てた方がましだよ.....」
と呟く。そんな男を尻目に、僕は男から溢れた自由への欲望をデザートとして頬張っている。