作曲好きの女の子の評価
みずがめさんの作品『ポイントってすごい! 不良くんが私の手のひらで転がされている(意訳)』とのコラボ作になりますが、この短編のみでもお読みいただけます。
今日はお客様の来店が少なかったので、私は倉庫整理をしようとお店の奥の扉を開いた。
私の職場は楽器店なので、倉庫にはいろいろな楽器やケースが積まれており、たまに整理しないとどこに何があるのかわからなくなってしまう。
ロングスカートの裾を気にしながら、まずは手前のキーボードを型番ごとに並べようと手をかけると、倉庫の突き当たりから何やら声が聞こえてきた。
「……売り上げが……!」
倉庫の突き当たりにはギターケースの棚があり、そこから悲痛な叫びが聞こえてきて、私は不思議に思い目を向けた。誰か先に倉庫整理をしているのだろうか。
そっとギターケースの棚を覗くと、店長の丘崎さんがしゃがみこんで頭を抱えていた。丘崎さんは男性店長で二十九歳の働き盛り。厳しいけど、いつもスタッフのことを気にかけてくれて、気持ちよく接客ができるように売り場を工夫している。
「どうかしたんですか?」
「……あれ? 北条さん?」
私が近くに寄るまで気づかなかったらしく、丘崎店長は少し驚いた表情を浮かべた。しかし、次の瞬間がっくりとうなだれてしまう。
「北条さんも知っているだろ……。最近の売り上げのことで悩んでいるんだよ」
「ああ……」
私が頷くといっそう気落ちしたように溜息をつく丘崎店長。こらこら、せっかく格好良いのに台無しになってしまいますよ。
丘崎店長の言うとおり、最近売り上げが下降傾向であることは事実だ。スタッフ全員でのミーティングも行っているが、なかなか良い提案もない。私ももう一度、お気に入りの楽器キーホルダーをいじりながら考えてみる。
楽器……楽器。えっと、そうだ! 丘崎店長の端正な顔を眺めていて閃いた。
「あの、もうすぐショッピングモールの一階で楽器演奏会がありますよね?」
「そうだな。うちの楽器をアピールする催しだから大切なイベントだ」
「その曲目ってもう決まっています?」
疑問を呈すると、彼は腕組みして首を傾げた。
「……まだ決まっていないな。何かいい曲があるのか?」
私がいじっていたのはサックスのキーホルダーで。この楽器店のスタッフは、全員楽器を演奏できることを知っている。
「店長はサックスが得意でしたよね?」
「ああ、学生時代からずっと吹いているな」
「いい曲があります。私がジャズアレンジしますから、サックスで演奏してください。きっと聴いてくれたみなさん、喜んでくれると思いますよ」
にっこり笑ってそう言うと、丘崎店長は腑に落ちない表情を見せながらも了承してくれた。
♦ ♦ ♦
数日後のミーティングで、スタッフ全員に私は楽譜を配った。丘崎店長が話を通していて、みんなは興味深そうに楽譜を見つめる。今、流行の曲のジャズアレンジは全員気に入った様子だった。
「北条さん、ジャズアレンジできたんだ。すごいなー。私も久しぶりにドラム頑張るよ!」
「俺もベース張り切って演奏する!」
「あれ、店長はテナーサックス? それで北条さんがピアノ?」
丘崎店長のテナーサックスは、先に曲を聴いてもらった彼から言い出したのだ。この曲を演奏するなら、絶対テナーで吹きたいと。
個人的にはアルトサックスでアレンジしようと思っていたのだが、サックス奏者が言うのなら間違いはないだろう。閉店後に何回かスタジオで合同練習することを伝えて、ミーティングは解散となった。
♦ ♦ ♦
そうしてやってきた楽器演奏会当日。休日のショッピングモールは、お客様の熱気が充満していた。
セットした舞台で私たち奏者は演奏準備を整える。曲目はあらかじめショッピングモールのホームページで発表されていて、たくさんのお客様が流行の曲の演奏を楽しみにしているようだった。
私がグランドピアノからチラリと視線を向けると、若いカップルが最前列で手をつなぎながら熱心にこちらを見つめていた。金髪の男の子と小柄な女の子のカップルは可愛らしくも初々しくて、つい小さく笑ってしまう。
「どうしたの、北条さん。緊張しているの?」
自分のテナーサックスを抱えて、丘崎店長は心配そうに声をかけてくれる。そんな気遣いが嬉しくて、微笑みながら返事をした。
「私は緊張していませんけれど。店長のサックスが目立つアレンジですから、店長のほうが緊張しているんじゃないですか?」
「生意気だな。俺の腕前を信じていろ」
不敵な笑みを浮かべながら、配置につく丘崎店長。やがて照明が薄暗くなり、お客様も自然と静まり返っていく。
次の瞬間、静寂を切り裂いて鳴り響くテナーサックスの音色。それは低音が色気に満ちていて表現力も非常に豊かで、私が意図したアレンジよりもさらに魅惑的に主旋律を奏でていた。
スポットライトに照らされたテナーサックスは、リードを固定するピンクゴールドのリガチャーが光を反射して美しく煌めく。クラリネットやベースがサックスのセクシーな音を追いかけていき、私も夢中になって鍵盤に指を走らせる。
久しぶりのみんなとの合奏はとても楽しくて嬉しくて。音が跳ね回り、聴衆が魅了されているのと同時に、私も音楽の楽しさを改めて実感する。最前列のカップルがきらきらした眼差しで聴き入っている様子が、さらに私の気分を高揚させた。
最後に掠れたサックスの音色が、流れ星のように尾を引いて余韻を残しながら消えていった。一拍後、曲が終わったのだと聴き手が我に返り、盛大な拍手が私たちを包み込んだ。
「すごいっ! 楽しかったよー!」
「この曲がジャズになると、こんなにカッコいいんだ!」
「あれ? あの女の子、なんか泣いてない?」
気がついたら、私は鍵盤の上に涙をこぼしていた。慌てたように、最前列のカップルが駆け寄ってくる。
「どこか痛いのか!?」
「どうしたんですか、北条さん!?」
心配そうに顔を覗き込む男の子と女の子──門脇くんと高橋さん。あなたたちが目立ってはいけないでしょう……。
いつの間にか近くにいた丘崎店長が、ハンカチを差し出しながら不思議そうな顔をする。
「北条さんの知り合いの方ですか?」
「あ、えっと……」
「はい、知り合いです!」
店長が尋ねると、門脇くんは歯切れ悪く、高橋さんは元気よく答える。高橋さんは小動物っぽい外見だけど、度胸があるところがチャームポイントだ。
丘崎店長は小さく頷くと、彼らを舞台裏に導いていった。私も受け取ったハンカチで涙を拭い、お客様に一礼してから、みんなと一緒に舞台裏に引き上げる。
「え、小説家の方と漫画家さんですか!?」
予想したとおり、驚いたような声が聞こえてきて、私は口元に笑みを刻んでハンカチを握りしめた。
♦ ♦ ♦
「あの曲は北条さんが作曲したんだね……」
まだ信じられないように丘崎店長が呟く。私はあの演奏会の日に感極まって泣いてしまったことが恥ずかしかったけど、それ以上に売り上げが伸びたことが嬉しくてたまらなかった。
「趣味の作曲が売り上げに結びついてよかったです」
そう言って、私はスマホ画面を彼に向ける。その画面に映っているのは「作家になろう」という小説投稿サイトで、門脇くんの書いた小説が掲載されていた。
私の趣味は作曲だけではなく、時間があればネットの小説投稿サイトの小説も読んでいる。気に入った小説があれば、評価もするし、感想を書くこともある。
門脇くんは投稿したファンタジー小説で評価を得て、読者の支持も得て書籍化を果たした。のみならず、門脇くんの彼女の高橋さんは絵が上手で、コミカライズを担当しているという素敵なカップル。
私はそんな彼らの小説のファンで、読んだ感動をそのままに、作曲したイメージソングを送りつけてしまった。幸運なことに、その曲を彼らは気に入ってくれて、アニメ化した作品の主題歌として使ってくれたのだ。
今、流行のアニメ主題歌をジャズアレンジした演奏会は大好評を博し、SNSの動画再生数もうなぎのぼり。うちの楽器店に問い合わせが殺到し、楽器や楽譜が飛ぶように売れている。
でも、そんな大騒ぎのきっかけは、ほんの些細なことで。丘崎店長ににっこりともう一度「作家になろう」サイトの小説を見せる。
「私が今、とっても面白くて目が離せない小説はこれなんです。まだ評価が少なくて、この先どうなるかわかりませんけれど……。評価をクリックすれば、きっと作者さんも『評価が増えた!』って、やる気が出ると思うんですよね。それでもっと面白くなって、書籍化、コミカライズ化、アニメ化なんかしちゃったりして」
そうして面白くなった小説に、私はまたイメージソングを作りたい。そう丘崎店長に同意を求めると、彼は綺麗に微笑んだ。
「そんな世界があるなんて知らなかったけど。だけど、北条さんの言うとおり、ちょっとしたことが人の原動力になると思うよ。小説の評価でも、音楽の評価でも」
私の頭を撫でてくれる温かい手はとても優しい。
あの日、私が泣いたのは、素晴らしい演奏を披露してくれた丘崎店長のサックスの虜になってしまったから。そのあと告白した私を受け容れてくれた彼とは、今は結婚前提のお付き合いをしている。
「あとで北条さんの好きな小説のアドレスを教えてよ。面白かったら俺も評価したい」
「はい。でも、えっと……」
背の高い彼を見上げると、言いたいことを察してくれたのかやや赤面してから、私の名前を口にしてくれた。
「そうだったね。……好きだよ、綾歌」
「私も大好きです、道成さん」
道成さんの部屋で身を寄せ合いながら、小説を読んで評価ボタンを押す。きっとこの小説ももっと面白い展開になっていくだろう。
楽しい恋愛小説はハッピーエンドだといいな。どちらからともなく顔を近づけ、私と道成さんは触れるだけの優しいキスを交わした。