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上村松園展の感想

作者: シューハ

友人と上村松園の展覧会に行った。開催場所は京都市京セラ美術館である。私は高校生の頃から上村松園の絵が好きであって、初めて見たのは「焔」であった。高校生の私は、その絵に描かれた女性が六条御息所の生霊であるとは知らなかったが、それでも一目見ただけで気に入ったのである。上村松篁、淳之の展覧会に行ったことはあるが、松園の絵を何枚もじっくりと鑑賞したことは今までないので、私にとっては念願の上村松園展であった。

私は展覧会の入口を過ぎると、胸を踊らせながら一枚、一枚と絵を見て回った。絵はどれも良かったが、立ち止まってじっくりと見たいと思うことはなく、まるで散歩をするように館内を歩いて回る。すると思わずはっと声を上げてしまいそうなほど素敵な絵を見つけた。その絵の名前は確か「ものおもい」で、縁側に立っている女性が、片手を頬につけどこか遠いところを見やってものおもいに耽っている。もう片方の手は書物を持っていたはずであるが、その女性は一体、どのようなものおもいに耽っているのであろうか。私はこの絵を見て、とても素敵であると感じた。そしてその隣の絵が、女性が手鏡を持って、それに写り込んだ自らの顔を覗き込んでいる絵であったが、私はこれにも先程と同じような感動を抱いたのである。恐らくこの2枚の絵から私が感じ取ったものは、女性として生きてきた上村松園だからこそ描くことのできた、女性の美ではなかろうか。上村松園の絵に描かれた女性は余りにも美しいので、どこか日本人形を鑑賞しているような気持ちで、その描かれた人間の心を読み取ることがどこか難しく感じられた。だが先程に述べた2枚の絵に関しては、描かれた女性の心持ちをはっきりと想像することができたのである。そして私は男性画家にあのような女性心理をあれ程に自然と描くことが可能な、画家の目を持つことは難しいであろうと思われた。やはり私があのような感動を抱くことができたのは、やはり上村松園が女性として生きてきた目で、自らと同じ女性の心を発見して描いたからであろう。そのようなことを考えながら歩いていると、私は一枚の絵の前で立ち止まった。そして私は涙で目が濡れたかと思うほどの感動を抱いて、しばらくその絵の前で立ち尽くしてしまった。その絵の名前は「人生の花」であったと思う。絵を見て泣きそうなほどに感動したのは、恐らく横山大観の「屈原」を見たとき以来ではないだろうか。私はその場を離れてからも、また少し歩いた後に再びその絵の前に戻ってきたのだった。

人生の花と言う絵は、婚礼衣装である黒い振り袖を着た花嫁と、その娘を先導する母親が描かれた絵である。私はこの花嫁を見て、何とも言えないような感情を抱いた。それは絵に描かれた花嫁の心を想像しようと努めた結果であろうが、私の想像力は言葉にできない程に曖昧なものを捉えたのだが、それは絵に描かれた花嫁が余りにも大きなものを心に抱いていたからに違いない。恥ずかしそうに俯いている花嫁は、きっと大きな希望や期待、それとは裏腹に未知なるものに対する不安など、対照的なものがいとも自然に混じっているような、不自然の自然とも言えるような逆説を胸に宿していたはずである。そして娘を先導する母の心持ちもそれと同様に違いない。私はこの絵を見て非常に感動したのだが、これこそ上村松園が一人の女性として、女性に見出した美しさ、感動というものであろう。私はこの絵を見て、これ程までに女性の心をはっきりと描いた絵を今まで見たことがあろうかと考えた。私は上村松園の他の絵を見ているときなどは、例えば風景画を眺めるときのように見て回っていたのだが、「人生の花」などの何枚かの絵は、自らの胸が震えるほどに描かれた人物の心を汲み取ることができた。それはまるで描かれた女性の心の声が漏れているようであった。私は上村松園のそのような絵が非常に自分の好みであると感じた。その中でもやはり「人生の花」と言う絵は格別で素晴らしいものである。


私は京都市京セラ美術館を出た後、平安神宮などに寄ったりして友人とふらふらしていたのだが、美術館を出たのが午後3時で暑さが最も厳しいときであろう時刻だったので、言うまでもなく全身から汗を流していた。そして平安神宮を見終えた後は三条駅に向かったのだが、上村松園の描いた美しい女性を見た後の私であるが、暑さのために展覧会で見た絵のことも忘れてしまって、夏の太陽にぷつぶつと文句を垂れながら三条駅まで歩いた。三条駅に到着したときには、言うまでもなくくたびれてしまっていた。

私は8月生まれだが暑いのは嫌いだ。やはり冬が好きである。冬は暑さを感じる日が全くない。だが冬になれば夏が好きだと言わない保証はどこにもない。私はいつだってないものに憧れる性分であるのだから。

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