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08. おとな未満

 何かあれば携帯に連絡する約束で、私たちは一旦家に戻った。

 室内は昨日のままだったので、壊れたものは簡易にゴミ袋に放り込む。既に母は仕事に向かっているから、書き置きを残すか迷ったが、結局何もしなかった。

 着替えを数枚詰めただけの軽いボストンバッグを持って、駅に向かう。くじらくんが来ないのでやや心配になったけれど、それから三十分ほどして無事に再会することができた。


「遅れてすみません」

「いや。……何かあった?」


 くじらくんはいいえ、と曖昧に微笑んで首を振る。彼もまた、荷物は小振りなバックパックだけだった。

 色々と調べながらくじらくんと相談した結果、今日は夜行バスを使うことになった。東京までの長時間の移動が気掛かりだけど、乗り継ぎや宿泊の必要がなく、一番お金を使わずに済むからだ。


「時間までどうしましょうか」

「普通に遊べばいいんじゃない。最後かもしれないし」


 ここからは移動続きだし、私たちの性格上、観光もあまりしそうにない。財布の都合もある。

 くじらくんはじっと私を見つめた後、そうですねと頷いた。


 広い駅内や駅ビルを見ていて改めて思ったのが、ふたりとも意見を主張しないということだった。彼は適当にフロアを歩く私の横を、とことこ付いて来るだけだ。見たい場所は無いかと聞くとくじらくんは苦笑する。


「よく言われるんですが、基本的に眺めているだけでよくて。行きたい場所があったら言います。なので、気を遣わなくて大丈夫ですよ」

「うん。疲れたら言いなね」


 結局、彼がどこかに行きたがることはなかったが、言葉通り捉えて良さそうなので気にしないことにした。

 外に出て、太陽に文句をつけながら周辺を散策する。昼時も過ぎたのでカフェチェーンに入るも、夜にはまだまだ遠い。


「何か考えているなら言ってみなよ」


 チョコレートケーキをぼんやり眺めていたくじらくんが、はっと顔を上げる。それから俯く。


「……僕は……昔から自分の考えだとか、伝えるのが得意じゃなくて、」


 フォークを立てて、運んだケーキをゆっくりと咀嚼しながら、彼は頭の中を整理しているらしかった。


千重波(ちえなみ)先輩相手だと、気を遣ったら普通より疲れるので遣いませんけれど」

「そうだね。君から先輩に対する敬意なんて感じたことない。好きなだけ敬ったっていいのに」

「可愛い後輩がこんなに懐いているのに贅沢ですね。先輩特権ですよ」


 可愛くない後輩である。


「――それで、さっきの、見たい場所があればっていうのもそうなんですけれど、……行動する前にまあいいやって面倒になったり、どうせ言っても無駄だって諦めがちで。人に合わせた方が楽なんです。そうして言わないことで溜め込んだ現状が、こうなんだろうなって」

「……。ん? あれでも生徒会って、その逆じゃないの」

「うん、僕の場合は事務担当なのと一年なので、積極的じゃなくてもよくて。でも、そう、生徒会に入った理由は、今までと別のことがしてみたかったんです」


 まあ特に変わりないんですけど、と彼はカフェオレのマグを寄せる。


「中学の時、不登校だったんです。一年間引き篭もりました」


 さらりと言われて、私も飲んでいたミルクティが妙な音で喉を通った。けほん。

 意外ですか?とくじらくんは笑う。意外だよ。君が身の上話をすることだって初めてなのに。


「話長くなりそうですけれど、いいですか」

「どうぞ」

「ありがとうございます。明るい話じゃないので、暇潰し程度に聞き流してください」


 そう前置きして、また悪戯っぽく笑ってみせる。昨日から彼はよく笑った。


「イジメとかじゃないんです。ただ朝起きたら、身体が動きませんでした。どうしても起き上がれなくて、涙ばかり出て。そんな日が続いて、割と良い子やってたので、両親はすごく落胆したり怒りました。世間体が悪いし、学力も下がりますからね」


 ケーキを噛んで、飲み込む姿は事務的だ。


「そうして両親の仲まで険悪にさせてしまって……ん、どうかな、思えば前から危うい要素があった気もしますが、まあキッカケは僕です。そんな僕に水陰(みかげ)さん……幼馴染だったんですが、あの子にもすごく心配をさせたり、両親にも迷惑を掛ける自分がゴミクズで、とにかく一刻も早く死ななければとそればかり考えていました」


 でも、と、くじらくんは昏く陰る瞳をひっそり細める。


「死ねませんでした。死にたいわけじゃなかったんです。そこから現状を何とかしたくて、精神科に掛かりながら勉強の遅れを取り戻して、今の公立を選んで。本来なら僕は、水陰さんと同じ高校を受験するはずでした。教育環境には恵まれていましたが、目指す気はなかったです。私立を望む親には渋られましたけれど、最終的にまた引き篭もるよりはと認めて貰いました。初めて親の望む通りにしなかったんです。それじゃ今までと同じだから」


 くじらくんはメニューを開いてスコーンを追加注文し、ついでに私が先程眺めていた期間限定アイスも頼んだ。僕が払うのでとフレーバーを私に選ばせたので、話を聞く礼、もしくは詫びのつもりなのかもしれない。別に構わないのに。おいしく頂くけれど。


「要するに、変わろうとしたけれど上手くいかなかったんですよね。僕の考え方や性質も、両親の現状も。今更変えられないってやっぱり諦めていたり、もしくは変化した時の環境が不明過ぎて怖がっているのかも。なんでも設計してくれた親の用意した道と、別のルートなんて、分からないです」


 スプーンを持つも、アイスと睨めっこするばかりだ。どんな言葉が最良なのか分からない。そんな私に、くすっとくじらくんが笑みをこぼす。


「……だから、北海道まで旅行、それも僕たちだけで、なんて、僕なら思い付かなかった。……すごく楽しみなんです」


 その笑顔に私も表情筋が緩む。


「それは良かった。神妙に話し出したから、やっぱり旅行はなしだと言われるかと」

「先輩って真面目な話苦手でしょ。照れて誤魔化すタイプ」

「君も食べなよ。溶ける」

「はいはい。……ありがとう 先輩」

「そのまま返すよ」


 時間って待っていると過ぎないよな、とその後もぐだぐだと移動して、街の明かりが太陽の陽射しから電飾の光へと移っていく。

 咽せるほどのアスファルトの熱を残したまま、夜はやって来た。


「天井低いから気を付けて。席、窓際が良い?」

「お好きな方をどうぞ。あ、酔い止めと頭痛薬もあるので、必要でしたら言ってください」


 さすがの用意である。後ろがつかえてしまうので、そのまま窓際に座った。

 安いプランだから車内は公共バスと同じで、見慣れた四列席だ。相席で取れて運が良かったと思う。ちょっとわくわくしてきた。


「二人とも旅行? 大学生?」


 通路を挟んだ隣の席の男性が、くじらくんに尋ねた。スーツ姿なので出張か何かだろうか。


「いえ。高校生です」

「へえ、彼女連れて。青春だねえ、いいねえ学生は気楽で」


 男性は備え付けのモニターからイヤフォンを引っ張り、私たちにそれ以上の興味は示さなかった。

 愛想の良い外向きの笑顔のくじらくんは、そうして静かに息を抜いた。嫌味な響きはなく、単純に気まぐれな男性の気まぐれな関心だったと分かる。

 それでも「学生は気楽」どころか、青春と呼ばれるそれは、最も逃げ道を閉ざされた時間であると私たちは知っている。

 制服という身分証がない今は、なおさら。

 倫理(がっこう)(いえ)の中が全てで、世界だった。すなわち学校にも、家にも、〝子ども〟という役に従い、まだ〝大人〟となれない者たちは。

 居場所がない者には、休むこともままならない。


 席が埋まっていく。水嵩を増すように車内に人が満ちていく。少し息苦しい。

 くじらくんと掌を重ねた。私たちは寄り添い合って、そして瞼を降ろした。

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