02. 制服と死
それからも学校内外を問わず、少年とは奇妙に縁があった。正確には認識できるようになっただけで、今までに擦れ違っていたのかもしれない。
私が〝くじらくん〟と呼ぶ彼は、学校で対面する時と、外で出会う時では印象が違うように思う。眼鏡の有無だけでなく、ちょっとした話し方や仕草にそれは表れた。
何度か話すうちに最初に気付いたことは、くじらくんは案外笑わないということだった。
「片耳くらいは開けた方がいいと思いますよ、先輩」
そして神経質というか、お節介というか、小言でちくっとやってくる。
歩道橋の下を流れて行く車から視線を外すと、やはりくじらくんだった。
「そこまで音量上げてもないんだけどね」
とはいえ愛想は悪くないし、人の話を聞く態度を心得た姿は、上級生にも可愛がられるのが頷ける。取り立てて自己主張はしないが、そこにいると構ってしまうような、金魚みたいな存在だ(学校内では)。
ヘッドフォンを首に下げて、歩き出す。どちらが誘ったわけでもないけれど、くじらくんが歩調を合わせて並ぶことも慣れた。
「ここも、死ぬ場所にはお勧めしません。車の通りもトラックも多いから、原型が無くなります」
「君は死ぬ時でさえ周りの迷惑を考えたり、前日までにはゴミを分別して出して、身辺を整えないと気持ちが悪そうだ」
「否定はしないですけれど」
死とは、私たちが今着ている制服のようなもので、思春期独自の気怠さをもって、肌に纏わり付いている。
ただ着替えることができるか、できないかのそんな違いに過ぎない。
疲れていたらうっかり制服のまま眠ることもあるだろうし、そうなると今度は皺になったソレを見て溜息くらい吐きたくなる。吐きながらも、繰り返されて。
着替えるにも気力が要るのだ。
けれど一番、何が恐ろしいかって、制服を脱ぐ、その裸の状態があることではないか。
「……くじらくん?」
ぽつぽつ途切れて話題を変えながらも、たわいなく続いた会話が、完全に絶えた。
くじらくんの住むマンションの前に車。女の人が運転手と短く話をして、マンションへ入って行く。足を止めたくじらくんは石のように動かないくせに、目玉だけぎょろりと女性の後を追っていた。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
「家入れる?」
「はい」
オートロックのマンションと同じように、くじらくんはもう自分に鍵を掛けたようだ。
彼の背中を見送りながら、堅く握られた両手が震えているように見えたのは、たぶん、気のせいではない。
○ ○ ○
「千重波さんて朝凪君と仲良い?」
ポニーテールを揺らして港さんは尋ねた。彼女が私に話し掛けるなんて珍しい。
アサナギくんって誰だっけと思案して、くじらくんの苗字だと思い出す。アサナギ イサナ。
「会えば話す程度にはね」
「みたいやね、たまに見る。家近いよね?」
「途中までは。それで、何の頼みごとかな?」
読めてきたので単刀直入に聞くと、話が早くて助かると港さんは笑った。
生徒会の連絡事があるそうだが、くじらくんは体調を崩して休んだらしい。
電話番号も部屋番号も知らないと言うと、合わせて教えられた。良いのだろうか。他に用事もないので流れで引き受けることになってしまう。
「んー……」
帰りながら電話を掛けてみるも繋がらない。
二つ折りの携帯を仕舞い、手ぶらも気が引けたのでアイスとスポーツドリンクをコンビニで買った。
マンションのエントランスは、外から見るより広々として明るく、小綺麗なホテルにも見える。
オートロックマンションというもの自体が初めてで、操作盤に戸惑いつつなんとか呼び出すことができた。確かにこのシステム、入り難さがあって人に頼みたくもなる。
「はい、どちら様ですか」
女性の声に用件を告げると、わざわざ降りて来てくれるというので待つことにした。
「お待たせしました」
そしてエレベーターから降りて来た人物に少し驚く。落ち着いた印象だったから、お姉さんかお母さんだと思ったけれど、同じ年頃の女の子だった。制服からして隣街の私立高校、非常に優秀な生徒だろうと立ち姿からもわかる。
「わざわざすみません」
「いえ、こちらこそ。依真は眠ってて……ごめんなさい。必要な物はこれですか?」
「たぶんそうだと思います」
ファイルの入った紙袋をお互いに交換して、ついでに差し入れも預けると「ありがとうございます」と彼女は微笑んだ。人懐こそうな感じのいい女の子だった。
マンションを後にして暫くすると、携帯が鳴る。
届いたメールの差出人はくじらくんだったが、思わず眉根が寄ってしまう。
【届け物とお気遣いありがとうございました。日を改めてまたお礼をさせて頂きます】
どこのビジネスメールだろう。
○ ○ ○
「なんでもどうぞ」
帰り道にて、すっかり復活したくじらくんは言った。
「なにが?」
「お礼は改めてと言ったでしょう」
「……あー、ああー風邪の。そうだったね」
「忘れていたんですね」
「完璧に。綺麗さっぱり。言わなければ良かったのに」
「それはそれで、いいです」
とくじらくんは小さく息をついた。
「君は律儀なやつだなぁくじらくん」
私も笑みがこぼれる。
お礼を返さないと具合が悪いのだろう。
「なんでもいいの?」
「可能な範囲でなら。先輩はそこまで、相手の負担になることは求めそうにないですから、いいですよ」
それはお互いにねと私が笑うと、くじらくんはちょっと嫌そうに眉を顰めた。機嫌を損ねる前に済ませてしまおう。
「前から食べてみたかったんだよね。だけどデカイらしいからさぁ」
甘いもの好きだよねと確認すると頷いたので、ファミレスに連れ込んだ。
お目当ては季節限定のカキ氷。ちょっと時期を先取りな気もするけれど。味はいちご、抹茶、白桃、いちごマンゴーミックスがあって、どれが食べれるかとメニューを広げる。
「デカイですよ。三、四人で丁度良いサイズ」
「……そんなに?」
身構える私に、経験者は温かいスープも追加した。
頼んだいちごマンゴーはなんというか、マウンテンだ。エベレストだ。ミルク味の氷と、たっぷり掛かったシロップと果肉がおいしい。ざくざく二人で開拓する気分で削りつつ、やがてスプーンを持つ手ががくがく暴れ出し、身体が恐ろしい速度で凍えていった。
「おいしかった。また食べたい」
「めちゃくちゃ震えながら言うことですか」
くじらくんは両腕をさすりながら呆れるが、お互いの滑稽な様子に二人して笑った。