A、大富豪
最近クラスでトランプが流行っている。
授業の合間、昼休み、放課後。
暇さえあればどこかで誰かがトランプをしている。もしかしたら、大半のクラスメイトは鞄にトランプを忍ばせているかもしれない。
そんな馬鹿げたことを思ってしまうほどに、このクラスではトランプが流行っていた。
火付け役は当然、赤桐と阿黒の二人だ。
あの赤桐のトランプ捌きはたしかにすごかった。
それに、あんなに楽しそうにトランプで遊んでいるのを見れば誰だって、自分もやってみたいと思ってしまうだろう。
今日もガチ勢に付き合って、阿黒は闇のゲームでもやっているかのような真剣さでトランプをしている。
あいつも付き合いがいいな、と弁当の卵焼きをつまみながら思っていると、毎度のお誘いがやってきた。
「おーい、凛もやろうぜ」
「そうそう、雨夜君がやってくれるとちょうどいい人数なの」
トランプ片手にクラスの奴らが誘ってくる。だが、生憎と俺はトランプに興味はない。
それに、誘ってくるクラスメイトの中心にいるそいつとどう接すればいいか、俺にはまだわからなかった。
「いや、俺はいいよ。そろそろ部室行くし」
見なくても、そいつがじっとこちらを見ているのはわかっている。
だけど、いつものように俺はその視線に気づかないふりをして、弁当をたたんで教室から逃げ出した。
――晴野真昼。
その名前を聞いたときにもしかして、とは思った。
ただ、その容姿は記憶にある姿とは全然違っていて。高校生活初日の自己紹介を聞いても、俺は同姓同名の別人だと思っていた。
「久しぶり、凛!」
だけど、休み時間に話しかけてきた彼女に俺はようやく、目の前の美少女といっていいほど整った容姿のクラスメイトが、かつてはよく遊んでいた幼馴染だと理解した。
あのときは何て返事をしたんだったか。
それすら覚えていないほど俺は緊張していた。
あいつは昔のように俺に近づいてくるのに、俺はどうしても昔と同じように接することができない。
その理由には薄々気づいているけど……その感情は何だか、昔と変わらず話しかけてくれるあいつに対する裏切りのように思えて。余計に俺はあいつの顔を見れなくなってしまう。
「はあ……」
そして、今日も今日とてあんな態度を取ってしまった。
茜差す放課後の教室で、俺は日課となりつつある後悔をしながら頭を抱えていた。
「どうした、雨夜。具合悪いのか?」
「いや、べつに」
「そうか。俺はちょっと職員室に行ってくる。遅かったら先に帰っててくれ」
同じ部活の影山はそう言って、教室を後にした。
身長が高く、表情が薄い影山はぱっと見は怖く見えるが話せばいい奴だ。誰とでも、それこそ女子とも普通に話している。
「あいつみたいに普通に話せればな……」
思い返してみれば、昔の俺は何であんな風に女子と普通に話せていたのだろうか。
昔といっても五年とか片手で数えられるような年数だ。その短い期間でいったい何が変わってしまったというんだか。
俺はもう一度ため息をつきながら立ち上がった。
影山には悪いが、誰かと帰る気分ではなかった。
一人で帰ろうと鞄を持ったとき、がらりと教室の扉が開く音がした。
「早かったな、影……」
そこには影山ではなく、真昼……晴野が立っていた。
「あれ、凛も今帰り? じゃあ、一緒に帰ろうよ」
なんでもないように、晴野は俺にそう言ってくる。
「帰らねえよ」
「いいじゃん。家すぐ近くだし」
「べつに近くだからって、一緒に帰らなくてもいいだろ」
このまま帰ったら、こいつもついてきそうだ。
そう思って、俺は持った鞄を下して再び椅子に座る。そんな俺を不満そうに晴野は見ていた。
「……なんか、凛って冷たくなったよね」
「……仕方ないだろ。影山待ってるんだよ」
ついさっきまで鞄を持っていたくせに。バレバレの言い訳に、晴野の視線が突き刺さる。
教室を痛いくらいの沈黙が包みこむ。遠くで走るどこかの部活のかけ声までやけに大きく聞こえた。
ああ、早く影山は帰ってこないのか。
手のひらを返して、友人の帰りを待ちわびていると、晴野が俺の前の席に座ってきた。
「なんだよ。帰るんじゃないのか?」
「いいでしょ、べつに。それより影山君を待ってるんだったら、ちょっと付き合ってよ」
そう言って、晴野は鞄からトランプを取り出した。
まったく、本当にどいつもこいつもすぐにトランプを出してきやがる。だけど、今は気まずい沈黙よりもトランプの方が幾分ましだった。
「いいけど、影山来たら帰るぞ。で、何やんだ?」
「ん~、大富豪はどう?」
大富豪。
それならルールも知っているし問題はない。でも……
「二人でできんのか?」
大富豪は配られたカードを順番に場に出して、最初に手札がなくなった人が勝ちというゲームだ。
場に出す際は前に相手が出したカードよりも数字が大きくなくてはいけない。
普通のゲームならエース、ようは1が一番大きいことが多いが、大富豪では2が一番大きな数で、3が一番小さな数だ。
順番にカードを出していき、それ以上大きな数のカードを出せなくなると、最後にカードを出した人が親、つまり一番最初にカードを出す人となって、また順番にカードを出していく。これを手札がなくなるまで繰り返すのだ。
つまるところ、このゲームを二人でやると……
「相手が何のカード持ってんのかまるわかりだろ」
トランプを二つに分けるだけなんだから、自分が持ってないカードが相手の手札ということになる。
それはそれで戦略性とかがあるのかもしれないが、普通に考えたら配られた時点で勝敗がほぼ決まっているようなものだ。
「ん~、人はいないけど四つ配るのはどう?」
「四つ手札を作って、そのうち二つで勝負か。まあ、それならいいんじゃね」
「よし、配ってくよー」
にこにこと鼻歌さえ聞こえてきそうな顔で晴野はカードを配っていく。
「んじゃ、これで」
俺は適当にカードの束を一つとって、中身を確認する。
2も二枚あるし、ジョーカーもある。
普通に強い手札だ。これなら負けることはほぼない気がする。
「じゃあ、私はこれ。あ、ダイヤの3ある?」
「は? 何でだよ」
「何でって、ダイヤの3からスタートでしょ。まあ、私たちの手札にないのなら、じゃんけんでもいいけど」
そんなルールあっただろうか。
何か噛み合わない気がしながらも、俺はたまたま手札にあったダイヤの3を、スペードの3と一緒に二枚ペアで場に出した。
「3のツーペア。スぺ三3をもう使うってことは……それなら、私は6のツーペアを出すね」
大富豪は親がペアで出したら、次の人もペアで出さないといけない。
ツーペアならツーペア、スリーペアならスリーペアといったように。
つまり、このまま続ければ、2のツーペアを持っている俺が有利ということだ。
「んじゃ、7のツーペアな」
「あ、待って。私、縛ってるよ」
「は? 縛ってる?」
こいつは何を言っているのか。
俺と同じように、晴野もそう思っていたのか、眉根を寄せて困ったような表情を浮かべている。ちくしょう、かわいい……
「縛りって知らない? 同じトランプのマーク、えーと、スートが連続で出たら、次もそのスートのカードを出さないといけないの」
「まじで? そんなルールあんのか?」
「そっか、凛は縛りとかない中学だったのかあ。じゃあ、縛りはなしね。だけど、7渡しだから、なんか二枚カードちょうだい」
「7渡し?」
またも、聞きなれぬ単語が出てきた。
さっきから俺は首を傾げてしかいない気がする。
「ええっ! 7渡しも知らないの?」
「……知らないな」
「……ちょっとまって。ルールを確認しよう」
「あ、ああ。頼む」
そこから怒涛のルール確認が始まった。
10捨ては――知らないです。
イレブンバックは――聞いたことないです。
スぺ3も――なんですかそれ。
じゃあ5飛び――そんなのあるの。
革命、都落ち、8切りは知っている。
でも、階段、縛り、5飛び、7渡し、10捨て、イレブンバック、スぺ3……とか何だそれは。いつから大富豪にそんな特殊ルールが追加されているんだ。
「大富豪ってローカルルール多いもんね……私のところは激しばとかもあったよ」
「まだあるのか……」
「うん。まだまだいっぱいあるよ。これは違うけど、ミリオンダウトっていう大富豪とダウトを足したようなゲームもあるし。大富豪は日々成長してるんだよ」
「なん……だと……」
軽い思いで大富豪を承諾したことを後悔した。
いつの間にか、晴野と同じように大富豪も俺の知らないものへと変わってしまっていた。
これじゃあ大富豪では遊べないな。そんなことを考えていた俺を、晴野はしょうがないなあと笑っていた。
「じゃあ、8切り、革命だけありで、他の特殊ルールはなしね」
「いいのか?」
「だって、凛。すごく残念そうなんだもん。そういう顔に出るとこは変わらないね」
「べ、べつにそんなこと思ってねえよ」
「それに、色々ルールがあるのが大富豪のいいところだもの。一番、楽しいので遊べばいいんだよ。じゃあ、私はパスね。はい、凛の番」
そういって晴野はゲームを再開した。
ただ、特殊なルールがないなら、強いカードを持っている俺が有利だ。案の定、このゲームはすぐに俺の勝ちで終わってしまう。
「もう、帰る……?」
寂しそうな呟きが鼓膜を震わす。
夕焼けに照らされた目の前の幼馴染の顔は、いつか一緒に帰り道を歩いた女の子の面影があった。
「……大富豪は勝った奴に強いカードを渡すだろ。一回で終わるのかよ」
顔に出るのはどっちの方だか。
そんな言葉一つで真昼の表情は夕日よりも明るくなる。
――ああ、負けだなあ……。
嬉しそうにトランプをシャフルする真昼を見ながら、俺は思う。
大富豪の勝敗はわからない。
でも、この状況はきっと……惚れた方の負けというやつなんだろう。
受け取ったジョーカーは、何だかこんな俺を笑っているような気がして憎たらしかった。
一方、その頃。
「影山君。何をしているんですか。通してください。それとも、これは小さい私に対する当てつけか何かですか」
「待ってくれ、小日向。俺は今、友の青春を守っている」
「はあ……?」
廊下では一人の男が友のために頑張っていた。