パートナーと信頼と
リン子は心の中で悪態をついていた。
(くっそ、アイツが向こう側に行ってしまったから、いつもよりバランスが取りづらい……)
艇に固定されていない少女は、さっきのタックの際にリン子たちが動いた反対側の位置に居る。
風上側に三人が居るときは問題はないものの、少女の位置はいま風下側。この場合、艇の重心がズレている分だけクルーはいつもより外へ荷重をかける必要がある。
「ぐ……きついな」
「艇速、落とすか?」
珍しく弱気のリン子にミキが角度を和らげるかどうかを確認する。
角度を緩やかにすれば傾きは落ち着くがそのぶん想定より距離が延びてしまう。さらに二タックでは済まなくなる可能性もでてくる。
「クロースホールドで。まだいける!」
進行方向を向いたまま悪戦苦闘のリン子を後ろから眺めたミキは口元に笑みを浮かべてから、少し気持ちを落ち着かせてから言った。
「うん。あたしもリン子ならいけるって信じてっから」
「な、何だよ突然」
神妙な顔つきのミキからの突然カミングアウト。リン子が戸惑っているのをお構いなしに続ける。
「リン子が筋トレ、がんばってるの知ってるし、朝ランニングするようにしたって舞ちゃんから聞いた」
「ちょ、やめれやめれ。こちょばい!」
秘密の特訓だと思っていたのに、その秘密がバレバレで最も秘密にしたかったミキから直接聞かされる。これには普段からちょっとくらいでは動揺しないリン子でも恥ずかしい。
しかし、ミキの口は止まらない。
「さっきだって、あたしの言った桟橋から、すぐ航路計画だしてくれた。しかもこの子のためにタック回数まで減らすよう、配慮して」
「それは……普通だって!」
「その普通がちゃんとできて、クルーとして成長してるって言ってんの! だから信じてるの! リン子ならできんの!!」
勢いでもう何を言ってるか分からなくなっているミキだが、その気持ちはリン子にも届いた。
言葉にならない気持ちが、アツく語る熱が、リン子の胸に届いて顔を赤く染めていく。
「ちょ、おまえ……しょしぃって!」
自分が「しょしぃ(恥ずかしい)」だなんて、軟弱なことを言う機会があるとは思わなかった。恥ずかしいこの想いの中に、パートナーに信頼されてアツくたぎる何かが胸に湧いていく。
やってやる。ウチが成長しているなら、ここでやらずにいつやんだ! リン子が腹を括ったその時、浜からの風に乗って声援が聞こえてきた。
「……こー。りーんこーー! ファイトーー!」
何人もの声が重なって聞こえる。あぁ、やっぱり浜にいたのは舞たちだったんだ。
「ふふっ……あははっ! みんなにそこまで言われちゃ、もうやるしかないだろ! 沈はしない。絶対にこいつを舞に……親友に送り届ける!」
強い風に煽られながらもリン子のフルトラピーズで水平まで強引に立て直す。
「おおおぉぉぉぉぉ!」
弱い風にはトラピーズハンドルをガッシリと掴み直して引き寄せる。
157センチとそれほど大柄ではないリン子の上腕筋に力が入る。
ここは先日の筋トレで特に鍛えた部分だ。もうこれ以上ムリなくらいに筋肉に負荷をかけてから更にその限界の先まで鍛えて解放する。翌日の筋肉痛でペンが持てなくてテストで酷い点を取ったっけ。
軽く笑いながらトラピーズハンドルを引き寄せ、膝を軽く曲げて全身の力を使って艇の縁まで戻っていく。
「そろそろタック準備!」
「お、おぅ」
ヨットから少女を救い出すのに往復して、三人乗りの無茶な走行で満身創痍なリン子だが集中力は増していた。自分がやれることに専念して、目の前の役割に没頭する。自分ならできると信じて――。
■エピローグ
ヨットの動きからどこに停まるかを察した舞はその地点へと移動した。手はギュッと胸の前で結ばれている。
艇が近くまで来たところでリン子が投げたロープを舞が受け取り、ゆっくり引っ張って桟橋に近づけた。
ヨットが安定すると、リン子が少女を抱きかかえて舞たちの待つ岸に降りる。「よくがんばったな」その声にアヤチーは笑顔でうなずいた。
*
「……と、まぁそう言う話」
最後の方はリン子も共に語りに参加していた。
「リン子さんカッコイイですね。すいもお姫さま抱っこ、されたいなぁー」
すいはうっとりとしてその光景を想像する。
「そのあと、ヨット片付けるの置いといてカフェ行こうとしてたんだよなぁ、リン子」
「あっ、ミキ!」
ミキはリン子の肩に手を回してグイッと顔を近づけた。
「な、なんだよ盗み聞きかよ!」
「いや。あんたを探してて通りがかっただけ。さぁ、部活行くよ!」
「ちょっと、待って! もうちょっとカッコイイ先輩で居させてよ。もぉ、ねぇっ!」
バタバタするリン子を立たせて校舎に促しながら、
「今日はリン子の好きな陸トレだかんね」
「べつに筋トレ好きじゃねーし!」
ミキと言い合いながらも引っ張られていく。
引きずられながら大きく手を振って「またあしたぁ」と情けない声で別れを告げた。
呆気にとられながらリン子に手を振り返した二人。
「ミキちゃんも強引なんだから……」
見送りが終わって舞がつぶやいたので「リン子さんに用事があったんですか?」とすいが聞いてみたが「ううん、なんでもない」と笑顔を返した。
「ねえ、今日は部活オフの日なんだけど帰りに駅前で甘いもの食べていかない?」
甘いものに目がないすいは、二つ返事で回答する。
「ぜひ、です! あの駅前の喫茶店が気になっているんですよー。あんみつにぃ、かき氷っ!」
「じゃ、そこ行きましょう」
今にもスキップをしてしまいそうにご機嫌なすいの後ろを歩く舞。首だけ振り返って「ありがと、リン子」と声に出さずに口ずさんで前を行くすいに追いつく。
夏の猛暑、由利本荘市の鳥海高校。その校門を後にした二人の姿が陽炎に消えていった。
3/25 21時ごろに番外編をアプします。
あと、活動報告を書く予定です。