表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/19

近所迷惑だから空に叫ばないで

 おはようございます。

 自堕落に過ごせる環境が整うとどうしても自堕落になっていきますね。

 何というか、自分が本当に必要だと思ったこと以外全くモチベーションが湧かない人間ですね。

 もう少し社会に適合する努力をした方が良いのかもしれません。


 さて、今日も今日とて話すことがある訳ではないので、早速話題を適当に出してもらいます。


(乱数生成)


 「幸福」ですか。

 割と難しいやつ来ましたね。


 幸福……というと、やはり定義するのが難しい所ではありますね。

 人それぞれに幸福と感じることは違いますし。


 何かに縛られず自由に過ごすのが幸福だと感じる人もいれば、誰かのために滅私奉公するのが幸福だと考える人もいます。

 私はどちらかと言うと自由に生きたい人間なのですが、まあそういう幸福もあるかなあ。と、いう感じですね。


 というか、私は特に何もしなくても幸福なんですよ。

 まあ、それを言うと少し語弊があるんですが。

 今ある生活を普通にできていれば何の不満もないんですよね。


 私には趣味と言えるほどの趣味はないのですけれど、普通にブログやらネット小説やらを流し読みしたりして時間を潰す日々に不満はないですし、仕事も仕事で楽しんでやっています。

 要するに、これこそが幸福だと自分自身で自信をもって発信できるようなことが特にないんですよね。


 それでも今日は幸福について語るのです。

 幸福になるのです。

 幸福幸福。あー幸福。


 こうも幸福連呼してるとディストピアかよって思いますよね。

 まあ、私SFが特に好きという訳ではないんですが(むしろ何も考えずに読めるようなものの方が好きです)、ディストピアと言えばSFの一大ジャンルで、よくテーマに使われている印象があります。


 機械等の厳しい規律に管理されて生きる世界。

 人たちは自由を求めて蜂起する……

 みたいな。


 やっぱり人間は自分の手で幸福をつかみ取ろうとする生き物なんですよね。

 まあ、私はそんなに努力した覚えもないですけど。


 与えられたものではどこか満足できない所が、人間にはあるのかもしれませんね。

 というか、自分で積み上げた物に価値を感じる。の、方が近いかもしれません。


 こうして考えると、人間の幸福は何かを成せることとみてみるのも良いかもしれませんね。

 私も、今の生活をやめてネット環境も切断だと言われたらあまり乗り気にはなりませんし。


 ただ、その場合反例を考えてみます。

 老人になり、足腰が弱り、しまいには寝たきりになると。

 人はそこでもう幸福ではなくなるのでしょうか。


 私はそうでもないんじゃないかなー。と、思います。

 まあ、願望の部分も大きいですけど。

 今まで自分がやってきたことが確かにあって、それを胸に抱いて穏やかに過ごすのも悪くはなさそうに思えます。

 隣に誰かが寄り添っていてくれたらもっと良いですね。


 そう考えると、やはり何かを成せるだけが人の幸せと言い切ってしまうのは早そうな気もしますね。

 うーん。分からない。


 本当に幸せって何なんでしょう。

 私は自分のことを幸福だと思っていたんですが、本当に私は幸福なんでしょうか。

 普通に暮らせることが幸福なんだという皆の言葉に流されて勘違いしているだけなのでしょうか。


 そもそも幸福っていつ感じたらいいんでしょう。

 感じる時が分からないなら、それは人が起こすバグなんじゃないでしょうか。


 喜びは分かります。

 それは望んでいたことが達成された時に感じることです。


 怒りも分かります。

 それは大方、自分の所有物、財産、尊厳、精神などを傷つけられる若しくは強奪される時に感じることです。


 哀しみも分かります。

 それは自分の力ではどうしようもない不幸に陥った時に感じることです。


 楽しみも分かります。

 それは自分が好きなことを好きなように出来る時や、強い期待感を持った時に感じることです。


 いずれも、どんな時に感じるか、大体わかります。

 他人にせよそれは大体同じだと思います。


 しかし、幸福は定義できるでしょうか。

 幸福は、人が感じることでも、感情ではないのでしょうか。

 感情でもなく、快楽でもなく、痛みでもない。

 そうなると、幸福は人間の欲求に近いものなのでしょうか。


 幸福を欲求に近い存在だと定義すると、それが近いもののように感じます。

 食欲や性欲や睡眠欲と言った欲求を満たしていくとき、人は幸福を感じるのかもしれません。

 すると、幸福は理性よりも本能に近い存在であり、生きるための行為を快感に変換する機能と言えるでしょうか。


 つまり、欲求が強ければ強いほど幸福は得難くなり、欲求が弱ければ弱いほど幸福は得易くなる。

 こう考えると大体のことに説明がつくような気がしてきました。

 これだと、望みなど殆どない私が現状幸福であることも納得がいきますし。


 幸福≒欲求に対する達成度。

 この案を提出して私はこの話題を締めたいと思います。

 お目汚し失礼いたしました(それはいつものことですけどね)。

〇今日のまとめ

・幸せは歩いてこない

・幸福薬しゅごいね

・幸福≒欲求に対する達成度


〇ひとこと

甘しょっぱいものが食べたくなってきました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ