こんな灰色の世界でも、私は生きている
おはようございます。
昔目玉焼きに何をかけて食べるかみたいな話題になった時、本当はケチャップ派だったのに塩とソースと醤油の3択を迫られ、「気分で決めるかなー、拘りないし」と、言ったら全員から顰蹙を買ったことがあります。巽です。
でも、実際ケチャップとマヨネーズさえあれば大体の料理の味付けには困らないと思うんですよ。(個人差があります)
まあ、私自身そんなに積極的に料理をする方ではないので多分参考にはなりませんね。
それで、今日も今日とて話題がない訳です。
たまには何か自分の語りたい事でも話した方が良いと思うのですけど、実際一日をぼんやり過ごしていると何も思いつきませんね。
まあ、その内湯水のごとく話題が出るようになるでしょう。たぶん。
では、今日のお題を出してもらいにいきます。
(乱数生成)
「努力の結末」ですって。
そうですか。そうですか。
ところで努力の結末って何なんですかね。
自分で考えた方がいい? そうですか。そうですか。
いやあ、そうですねえ。
何か前にも努力云々について語った気がしますね。
その時は努力していけば、何らかの結果は出るみたいな感じにまとめたような気がします。
しかし、その後の具体的な結末についてはあまり考えていなかったですね。
それで、まず私の思ったことなんですけど、人生って思ったよりギャンブル的なことだらけなんですよ。
ギャンブルと言うと少し誤解が生まれるかもしれませんが、まあ、簡潔に言うと、人間は大なり小なり自分の操作できない確率を持った事象を選んで生きているという事です。
朝起きた時、体調を絶対に崩さない人間はいるでしょうか。
若しくは、選んだ選択肢で必ず成功する人間でも良いです。
そんな人間、早々いないですよね。
可能性があったとして、確率が絡む以上そう易々と成立しない存在なのです。
多くの人間にとって、朝起きた瞬間体調不良で動けなくなったり、こうすれば大丈夫だと思って行動したことが失敗することは、早々おこらない事です。
しかし、生きている内に遭遇しないという事はそうないでしょう。
当然、それだけ人間の一生は長く、同時に単純な確率を選ぶ機会がそれだけ多いという事です。
私たちは日々確率を考え、確率に左右され、確率を選んで生きています。
人間が何かを準備したり、計画を練ったりすることも、この確率を変動させて自分にとって有利にしようとしているにすぎません。
で、私がそんな話をして何が言いたいのかといいますと、努力もその確率に縛られた行動の延長線上にあるという事です。
つまり、努力と言うのは、自分の望む結果にたどり着く確率を上昇させるための行為だと言いたいわけです。
まあ、そんなことあまりにも当然と言えば当然なのですが、努力の結末を語るに当たって重要なファクターでもあります。
努力というものは、目的を果たすための確率を向上させる行為です。
それでも、どれだけ努力をしようと、確率次第で失敗もします。
世の中0%と100%以外信用出来ませんからね。
そうして、努力した末に、目的を果たせず、目標を見失って途方に暮れる訳です。
もちろん、努力しても必ず失敗するなどという事はそうありません。
努力した結果、低い確率をつかみ取ることもあるでしょう。
しかし、人が人である以上いつかは失敗するものです。
少なくとも、確実な未来が見える存在以外に、失敗しないなどという芸当はほぼ不可能でしょう。
では、努力の結末は何も分からない。とか、成功するか失敗するかの二択なのだ。とか。
そういうことを言いたいわけでは別にありません。
努力の結果が、全く予想できないという部分だけが重要です。
結論をここで述べますと、努力の結末は、次の努力だと思います。
努力して、頑張って、何かを成せた。若しくは成せなかった。
それは喜ばしい事だったり、苦い思い出だったりしますが、それでも多くの場合に言えることがあります。
それは、その人の人生がそれからも続いていくという事です。
一時の成功、一時の失敗。
大切な事ではありますが、重要な事ではありません。
成功したら、次があります。
失敗しても、次があります。
努力と言うのは、一度始めたら終わりの見えないものです。
本人が納得を得られるまで、それは続きます。
結局、成功しても次の課題が出来ますし、失敗してもそれを飲み込んで糧にするしかないのです。
そう考えると、努力の結末など、はじめから見えないものかもしれませんね。
努力が終わるとき。
それは人生が終わるとき。
そんな人間として生きていけたら割と幸せなのかもしれませんね。
自分の目指す場所が見えているって結構良い事だと思いますよ。
そういう訳で、そろそろ語ることもなくなってきましたので、そろそろ締めに入ります。
何かを成そうとする時、諦めたくなるときもあるでしょう。
そういう時は心を落ち着けて何もしないのが一番だと思います。
何もしないというのは、実際とても難しく、特に自分ががむしゃらに頑張っている時は、こんな事をしていていいのかという自責の念に囚われたりもします。
それでも、ゆっくりと心を落ち着け、何もしないフラットな状況を作り出した時、自分の心に向き合う余裕が生まれます。
その時には、自分が何のために努力し、何をしたいと思っているのか自然と分かるはずです。
ちなみに、私はこれで自分が何もしたいと思っていないことに気がついて愕然としました。
人間性が豊かでないと努力には向きませんね。そうですね。
まあ、現代社会だと何もしないのも苦労しますからね。
何もしないために何かをしないといけない訳ですよ。せちがらい。
いやあ、無気力って怖いなあ……
〇今日のまとめ
・人間は確率の世界の中で生きている
・やりたい事があるなら、簡単な努力から始めましょう。それが努力だなんて思う必要はないですから
・最近の若者は落ち着きが足らんよ
〇ひとこと
私にも昔は将来の夢くらいありましたよ。
まあ、結局は自分にとって重大な欠落に気づいて諦めてしまいましたけど。