招かれざる客のやっかいな土産
◆これまでのあらすじ◆
見えざる者が見えてしまう鬼丸透は、その力によって近隣の火災を予言する。妹の結衣は二人の母の祥子に相談し、その邸宅を定点カメラで監視することに。◆透と結衣がジョギングに行っている間に鬼丸家を訪れた客は日付の怪しい高級和菓子を置いていき、孫の家庭教師を探していた。早朝からカメラを設置してきた田中の話によると、すでに引っ越しが始まっているらしい。透は見回りついでに家庭教師を断ってくると家を出たが…。
戸外に出れば朝方の霧はすっかり消え、一転晴れ渡った空に春先にしては強めの太陽が眩しい。間も無く正午になろうかという時刻、太陽は中天を目指し刻々と動いていく。
閑静な住宅街、しかし朝方と違いそれなりに人通りがあった。たまに見かける大型犬の散歩をする老紳士、足早に通り過ぎる訪問販売のサラリーマン。近くにコンビニや小売店のような商業施設が無い為、通行人の種類も限られている。高収入で時間に余裕がある者か、あるいは運転できる家政婦などを雇わないと生活しにくい場所なのである。
通りに面した古風な門から左右を確認すると、この辺りにしては珍しく子供を後部座席に乗せて自転車を漕ぐ女性からチリンと鈴を鳴らされた。
都心の武家屋敷跡などに由来する高級住宅地に比べれば歴史が浅いものの、関東大震災後に端を発して起こった郊外移住ムーブメントで高台に次々に整えられた高級住宅街にもそれなりに歴史がある。この庭園都市が計画された当時の家族の在り方は二世代、三世代が同居する大家族が普通であったのに対し、現代では親と子が別居する核家族が大勢を占めてきた。
かつてスタンダードであった戸建て住宅地は時代と共に活気を失い、住民の高齢化と空き家の増加は加速の一途を辿っている。広大な区画、高過ぎる地価、新築や土地開発に課せられる厳しい条件は景観を守る代わりに時代のニーズに応える柔軟性を失わせる。美しいが、発展性のない街。人が住まなくなった豪華な邸宅が増える度少しずつ、しかし確実に街に陰を落としていた。
背景にその様な情勢があれば、近所に若者が引っ越してくるそれ自体には歓迎すべきものがある。定期的に保守点検されていても、人が絶えた家は遠からず荒れていく。埃がたまり、黴が満ち、柱は内部から朽ちて気がついた時は大抵手遅れだ。近所から空き家が一軒減る。本来なら街の活性化を喜びたいところなのだが…。
(タイミングが良すぎる)
気のせいだと、そう言われればそこまでだ。
しかし、もし自分が在宅であればその場で丁重に断り、そこで話を終わらせていた。祥子が一人でいる時を狙ったかのような不可解な時刻の訪問、記憶にない写真、日付の怪しい高級和菓子。だが何のために、と言われても心当たりがあるわけではない。一つ一つの要素を繋げて考えるから怪しく思えるだけかもしれない。あまり深読みし過ぎると思わぬ所で足元をすくわれる事もある。落とし穴はいつでも予想を裏切る形で口を開けているのだから。
(まずは火元のほうを確認しておくか)
透は路地を一度曲がりそれまでよりは少し道幅の広い道路を歩いていた。両側には整然と住宅が並び、その中に一際大きな庭木が生い茂る洋館を見つけ歩が緩む。
『蔦屋敷』である。
別に『蔦屋敷さん』なる住人がいた訳ではない。洋館を覆う蔦が印象に残るので誰かが言い出して広まったのだろう。
それなりに豪華な邸宅が並ぶこの付近でも蔦屋敷は敷地の広さや邸宅の豪華な様子が抜きん出ていた。
最初の目的地である川口邸は道路を挟んで隣なので、家から向えば自然この屋敷の前を通ることになる。蛇足だが、田中の家は道の対面にあり、既に通り過ぎていた。蔦屋敷には一応後で寄る予定なのだがやはり気になって視線が外せない。
広大な敷地を囲む塀が続き、常ならばその先には欧州風に装飾された鉄格子の門がある筈であった。が、今は先程田中が言っていた通り、敷地に向かって大きく開かれている。
門扉の前まで来ると、何となく足がノロノロと遅くなった。いつもは閉まっているものが開いているとつい、中の方を覗きたくなる心理が働いているのを感じる。何しろここは少し特別だ。
塀と門扉を繋ぐ石柱の上には防犯カメラが設置されている。田中によると、カメラがうじゃうじゃあるらしい。
(300坪…いや400近くはありそうだ。これだけ木があれば死角は幾らでもできる…か)
蔦屋敷は、まるで公園のように多種多様な庭木が植栽されている。年に数回職人の手が入るのだろうが、無人の庭は完璧ではない。過剰に茂った常緑樹と少し伸びた雑草の類いが、其処彼処に死角を生み出していた。恐らく田中もその死角を利用して忍び込んだのだろう。この程度のカメラに映り込むほど間抜けな男ではない。
(こんな場所に若い女性が一人?いやその刀自が一緒に住むのか?)
金が有り余っているようだから、古参の家政婦や使用人が一緒に住むのかもしれないが、防犯上少々難があるのではないか、と少し心配になる。
「スミマセーン!」
その時、突然後方から声を掛けられて、透はハッとなった。集中しすぎて背後にトラックが迫っている事に気付かなかったらしい。急いで振り返るとトラックの運転手が車窓から腕と顔を出して透が気付くのを待っていた。日本語だったが、運転手は明らかに外国人とわかる肌の色だ。
透が会釈をし、急いで道を譲るために塀の方へ移動すると、アルミバンの2トントラックがゆっくりと門に向かって曲がってくる。
引っ越し業者かと思いながらアルミバンの鈍色の腹にさっと目を滑らせ、無意識に業者のロゴを探すが、鈍い銀色の車体は真っさらでただぼんやりと自分の姿が映るばかりだ。
そのまま視線を彷徨わせていると、ひた、と助手席に座っている人と目が合った。
黒の帽子を目深に被っており、顔のほぼ半分が隠れているので口元が僅かに見えるばかりだが、透は確かに目が合った、と思ったその刹那に。
不意にドクドクと心臓が騒ぎだす。
あれ、と思った時には全身に血が勢いよく巡り出して爪の先までカッと熱くなった。ドクドクと全身の脈打つ音が耳の奥で響く。まるで短距離走で全力を出した後のように動悸がした。
(なんだ…これは)
トラックはスローモーションのようにひどくゆっくり動いている。透は心臓の辺りの服をぎゅう、と握りながら視線だけは助手席の人物を追いかけていた。顔はほとんど見えない。けれど、向こうもこちらをじいっと見ているのがわかった。
時間にすれば、ほんの数秒だろうか。
トラックは門の中に吸い込まれるように入っていき、やがて見えなくなった。
ふー、と息を吐く。
知らぬうちに息を止めていたらしい。もう一度深く息を吸って吐いてから開け放たれたままの門を見た。
何故か、先程の光景が脳裏にこびりついて離れないことに戸惑いながら。
つづく。