家庭教師はお断り
◆これまでのあらすじ◆
春休みに朝からジョギングしていた結衣と透。途中、近所の屋根の上に赤い旗を掲げた不思議な子供の魂魄を発見した透は、その姿の変化から火災を予言する。結衣は二人の母であり、ノンフィクション作家の祥子に相談し、定点カメラで監視することに。その祥子は近所に引っ越してくる帰国子女の家庭教師を透に依頼するが…?
「だって私、英語も勉強もさっぱりですから」
透はこれで話は終わりですね、とばかりにやれやれとお茶をすすった。
「はあ?お前受験の時センター試験の結果がずば抜けて良かったからって担任からわざわざ私に電話があったんだぞ」
祥子は、コタツに座りなおしながら、話を終わらせようとする透に食い下がる。
「あー、あの時はそのう風邪で頭が朦朧としてて、間違えるのを間違えたというか…」
祥子の頭の上には?マークが浮いている。
「しかも、今行ってる大学だってよく知らんが偏差値かなり高いだろ?」
よく知らないのか、我が子が通っている大学を。祥子さん口を開くといつも明後日の方向に話題が行くから普通の会話出来ないもんね。
「まあ、学校は家から通いやすいところの方が良かったんで」
「あん?お前それだけで進路決めたのか」
「いえ、一応学部も選びましたよ」
そうなんです。透にとって偏差値は選択の基準にならなかったんです。家から近くて通いやすい建築科のある大学ってだけで今の大学に決めたって言ってたし。そこがたまたま超難関有名大学だったってだけで。何それ羨ましい。
「だから、それなりに頭がなくて受からんだろうが」
透が困ったように微笑しながらこちらをチラと見てくる。本当にしょうがない人達だ。結衣はお茶を一口啜ってから口を開いた。
「透は人に教えるのは無理だよ。だって透テストの答えが全部分かっちゃうんだもん」
祥子は結衣の方を向いて暫く固まった。
「……はあ?!」
「授業は、なんか諸事情で内容が全く入ってこないんだって。諸事情の中身までは知らないよ、言っとくけど!だから、殆どの教科はちんぷんかんぷんなの。ま、でも数学だけは自力で出来たらしいけど。とにかく授業の内容はさっぱり理解してないのに、テストの答案見ると何故か答えが分かっちゃうからいつも満点取らないようにわざと間違えてたんだってよー。あんまし良い点だと目立っちゃうからって…」
「はあ゛あああん?!」
地の底から響くような唸り声を発しながら、祥子はガバリと透に覆い被さらんとする。
「貴様、なんでそんな面白そうな事今まで隠してやがった!」
仰け反った透は祥子の般若の形相から目を逸らしながら、ぽりぽりと頰を掻いていた。
「そんなの!祥子さんにバレたら面倒になるの分かってるのにわざわざ言うわけないっしょ。大学入ってからは論文とか実技とかばっかで、もうテストみたいな事は殆どなくなくなった今だからカミングアウトできるんですぅ」
祥子はよろよろと身体を戻すと今度は頭を抱えだした。
「なんて事だ。ミスった。人生最大のミスだ。あんなことやこんな事が実験できたかもしれないのに…」
ブツブツと何事か呟き始める祥子。一瞬で自分の世界に入り込んだ祥子は側から見れば少々不気味である。
「もう、何言ってんの。ネタになんか出来ないよ。大体透は存在自体ノンフィクションからかけ離れてるんだから。テストの答案が全部分かるなんて、信じろって方が無理だって」
私だって、真っ青になった透から『センター試験で間違って満点を取ってしまったかもしれないんだけど、どうしたらいいと思う?』なんて相談されなきゃ知りようが無かったし。結局自力で解いてた数学が一問間違えてたけど。普段から成績はともかく品行方正、先生受けも抜群に良かったから別に満点だったとしても何の問題も無かったと思う。センターだし。『ヤマカンが全部当たってしまって…』とか言えばオッケーだよね。あと、日頃の行いって大事だよね。
「よかった。納得して頂けましたね。私としてはあのお宅の火事がいつ起こるか分からないので、これ以上の面倒ごとは避けたかったんですよ」透がいつもの調子を取り戻してニコニコと微笑んでいる。
そうだった。朝から色々と起こる一日だ。
「それだけど、そろそろもう一回見に行ってみよっか。心配だもん」
テレビの上の柱にかけられた黒縁の時計を見ると、間も無く11時になろうとしている。
「ふん、それなら田中に定点カメラを設置させているからもうちょっと待っておけ。そろそろ来る頃だろう」
知らない間に回復したらしい祥子が投げやりに口を開く。
「え、タナパイそんな事も出来るの?……相変わらず謎のハイスペックだね」
そして、編集者としては全く必要のない技能。恐らく自分では活かしきれない才能。やっぱり…以下略。
「そっちは田中待ちでいいとしてだな、和菓子の方はどうするんだ。哀れな老婆を見捨てるのか?」
おっと、流石長年の付き合い。透の弱点を的確に突いてくるな。
途端に眉毛をハの字に下げて申し訳なさそうにする透。炬燵の掛け布団の中で手をモジモジさせている。
「でも、私勉強教えられませんよ。それなら寧ろ結衣の方が…」
やばい、お鉢が回ってきた。
「無理無理無理無理、私自慢じゃないけど勉強は中の下だもん」
英会話も絶対無理。英語怖い。外人怖い。
「話し相手なら透できんじゃん!」
クワバラクワバラ。雷よ、あっち行けー!
「え、相手が本当の事言ってくれればいいけど、本音と建て前分けられたら無理だよ?英語が分かるわけじゃ無いんだから」
えーと……何なら分かるのかはあえて突っ込まないけど。
「ああ、言ってなかったか。その孫は日本語が全く出来ない訳じゃあないぞ?ただ、子供の頃日本に居たきりなので難しい言い回しや日本の文化に慣れていないからな。そういった事を教えて欲しいそうだ。寧ろ会話は日本語が好ましいんじゃないか?」
「え?そうなの?」
「というと、もしかして家庭教師というのは…」
「いやぁ、まあな」
祥子は思索する時のように顎に手を当ててうつむきながら、
「たまには、家庭教師ものもいいかと思って…」
男子高校生がその手のDVDを選ぶ時に言いそうな文句を言い放つ。
その瞬間、小ぢんまりとした和室にシラけた空気が流れた。
「と、とにかく!一度会いに来て欲しい、と言われていてな。受けるにしても断るにしても挨拶には行ってくれ。突つけば面白い柄のヘビが出るかもしれないぞ。和菓子の謎も気になるところだしなあ」
ニヤリ、と不気味な笑みを浮かべる祥子。なんて不穏な発言をするんだ、このオバハンは。
それにな、と祥子が続ける。
「透は覚えていなかったが、向こうは懐かしいんじゃないか?」
ふー、確かに十八歳なんて私と一つしか変わらないんだよね。子供の頃日本に住んでたって言っても10年もアメリカに居たんなら、もう身も心も外人さんじゃん?そのおばあさんが心配するの分かるよ。小さい頃遊んだ事あるご近所さんがいたら、頼りたくなるよね…。
「ってゆうか、祥子さんはその一家の事覚えてないわけ?」
幼い透よりは余程可能性を感じるところだ。普通は…。
「いやぁ、一応頭を振り絞って頑張ってみたんだがなあ」
結衣の指摘に祥子はこれ以上ない程のドヤ顔で答えた。
「全く記憶にない」
この人、食指が動かないと何一つ入ってこないからな。祥子さんに大人としての常識とか無意味だった。下らない質問をまた一つしてしまった。
結衣が無言のまま深く、それこそ海より深く反省しているところに、庭に面した縁側からガチャガチャと物音が聞こえてきた。ついでに「あれー?あれー?」という間抜けな声も聞こえてくる。待っていたはずなのに、何でだろう、ちっもう来たのか感が強い。
「やれやれ、ようやく来たか」
祥子がおもむろに立ち上がった。
つづく。