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めくれるフカシの隣人  作者: 栗戸グラ
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はじめての蔦屋敷その2



 つい先程、埃除けの布が取り払われたばかりのソファに腰掛けて、透は興味深く周りを見渡した。一見して分かる見事な意匠に思わず感嘆のため息がもれる。


 部屋に射し込む光に誘われて、庭に面して大きく設けられたアーチ型の窓を見れば、白い縦長の木枠のガラス窓が複数連なったデザインで、大きな一枚ガラスには出せない彩りを景色に添えていた。

 所謂、〝お屋敷〟というには全体的に小作りな建物だ。しかし、艶出しのワックスを重ね塗りした上質の木材が随所に使われていて、埃を被りながらも存在感を放っていた。

 見所は他にもある。

 振り返ると、透の背後の壁面には職人技の光る重厚な棚が置かれていて、その扉にはどのようにしたのか、六角形のアンティークガラスが一枚一枚丁寧に嵌められていた。

 視線を上げれば、応接間らしく少し高い天井にシャンデリアが下がっている。残念ながら埃除けの布に覆われていて今は見ることができなかったが。


 もう、なんというか圧巻である。


 先程の玄関ホールから、立ち話もなんだからと応接間に通されて、現在は一人。なので、心置きなく見物中だ。


 案内役の蔦屋敷刀自は、奥の方からこれぞ、ザ!執事と言った風態の初老の男性が現れると、透を応接間に連れて行くよう指示し、何処かに行ってしまった。初老の執事は対応の遅れを詫び、透が羽織っていた薄手のモッズコートを優雅に預かり、お茶の用意の為に退室している。


 一人ぽつんと残された格好の透だったが、当初の目的を半ば忘れながら、つい立ち上がって家具のデザインを見たり、職人の手業の見事さを感心したり忙しく、時間が経つのも忘れる程だった。


 と、その時ズボンのポケットに入れたままの携帯電話が振動しメールの受信を知らせる。

 恐らく結衣からの催促だろう。そういえば電話すると言ったまま連絡するのを忘れていた。

 受信履歴を見ればやはり結衣からで、その前に何件も不在着信があった。さっきの騒動の時にかかってきていたのだろうか?気がつかなかったな、と思い、メールも見ずに透は発信ボタンを押した。


『あ、もしもし!透?メール見た?』

 コールし始めてすぐに結衣が電話に出る。

 連絡を待っていたのか、悪い事したなあ。


「ごめんごめん、メールはまだ見てないけど、電話の方が早いから。川口邸の方はまだ大丈夫そうだよ。今夜か明日の朝くらいかもしれ…『ちょっと!見てないの?!もう!今どこ』」


 透の言葉を遮るように結衣が割り込んでくる。

 透は周りにちら、と周りに目をやって

「何処って、蔦屋敷に来て…

『蔦屋敷ぃ!!!??』」


 透が言い終わらないうちに結衣の悲鳴のような声が響いて、透は思わず携帯電話を耳元から離した。

 ちょうどそこにコンコンコン、と三度ドアをノックされ先程のザ!執事がお茶を乗せたワゴンを押して入ってくる。透は慌てて結衣に断りを入れた。

「結衣、ごめんすぐ帰るから、『ちょっ!待っ…』も、切るね」


 初老の執事に頭を下げながら電話をしまうと、執事は「お話の途中のようでしたが、よろしかったのですか?」と聞いて来た。


「はい、家の者からでしたので」

「さようでございますか」

 白い詰襟のシャツに黒のスラックスをサスペンダーで吊り、シャツの袖を二の腕あたりにバンドのようなもので留めている。更に、ロマンスグレーの頭髪をオールバックに撫で付け、口元には見事な口髭を蓄えている。

 ドラマとかに出てくる派手な燕尾服ではないところが凄いリアル。口を開いても期待を裏切らない。これだよ!これが本物の執事さんだ!


 コーヒーをカップに注ぐのを見て、透はソファに座る。紅茶ではなくコーヒーが出てくるのは意外だった。透の視線から言わんとする事に気付いた執事は、白い口髭ごとにっこりと微笑んだ。


「当家の主人は長年アメリカで暮らしておりましたので、お客様へのおもてなしもアメリカ式でして。コーヒーにミルクやお砂糖は要りますか?」

「いや、はは。お屋敷の雰囲気がまるきりヨーロッパのようだったので少し意外に思っただけです。コーヒーは大好きですよ。砂糖もミルクも要りません」

「それはようございました。わたくしは未だに砂糖一つとたっぷりのミルクがないとコーヒーを嗜めないのでございますよ。奥様からはよく、日本茶(グリーンティー)にも砂糖を入れるのか、とからかわれるのですが」

 茶目っ気たっぷりにウィンクしながら執事は透の前にコーヒーを置いた。有田焼のコーヒーカップのソーサーにはクッキーが添えられていて見た目にも美しい。透は淹れたてのコーヒーの香りを少し楽しんだ後口をつけた。


「飲みやすくて、とっても美味しいです。モカですか?」

「はい。本日は残念ながら出来合いのものでして。次回は是非当家自慢のオリジナルブレンドをお楽しみ頂きたいですな」


 眉をへにゃりと下げて残念そうにする執事の親しみやすい様子につられて透は笑った。ほんの少しの会話しかしていないが、すっかりこのチャーミングな初老の執事のことが好きになってしまった。だから、()()()()()()()()()気が進まない。


「あはは、楽しみにしておきます。…あの、ところで、さっき私が下敷きにしてしまった彼は大丈夫だったでしょうか?運んでいた荷物も落としてしまって…」


 透の言葉に執事は首を傾げる。

 いかにも意外な事を言われた、という顔だ。

 執事から心の声が聞こえない代わりに素直な驚きの感情が伝わってくる。


「なんと、そのような事が。申し訳ない事で御座います。わたくし奥まった場所で荷物の整理をしておりましたので、今はじめてお伺いしました。後ほど確認致しましょう」

「すみません。私英語とかさっぱりで。執事さんは奥様とお孫さんと一緒にアメリカからいらしたんですよね?」

「バトラーです」

「はい?」

 反射的に聞き返した透に再度ニコリと笑い掛けながら執事もといバトラーは説明を始めた。


「日本では一括りに執事などと申しますが、英国を含めた欧州では家事使用人は仕事内容や上下関係により細かく分けられております。ですので、わたくしの事はバトラーとお考えください」

「へえ。それは…知りませんでした」

「日本では、わたくしのような職業使用人は珍しいようですから、無理もございません。と言いますのも…」

 ゴホン、と一度咳払いが入る。

「失礼。わたくしの父は英国から先代の大奥様と一緒に日本に渡り、日本人の母と結婚したイギリス人なのです。わたくしも若い時分は奥様のご実家を頼って渡英し、お屋敷で仕事を仕込まれました。ですから、このお屋敷と同じく日本よりも英国の方が馴染みがあるくらいでして」


 自分と関わりのない職種の話だからか凄く新鮮で面白い。そして、初老のバトラーの話に首を傾げ続きを待つ。

 このお屋敷と同じく、とは意味深だ。


「このお屋敷は先代の奥様が晩年に故郷を懐かしみ、英国の城を解体して運んできた建材を一部使用しております。もっとも木材は日本の風土にあった地場の物が良いということで国産の檜や欅が主でございますが。透様の後ろにございます書棚はご覧になりましたかな?」

「え?はい、先程拝見しました。こんなアンティークのガラスが使われている書棚は初めて見ました」

「流石お目が高いですね。当時最高級だったベネチアングラスです。今では作られることもないでしょうからより希少になりましたな。こちらは大奥様がご実家で使われていた家具なのですが、大層お気に入りで…はるばる船旅をさせてこのお屋敷に迎え入れました。むしろこの家具を違和感なく置くためにこのお屋敷が作られた、と言っても過言ではございません」

「へえ。それは、すごい。スケールが違いますね」


 透は振り返ってソファの後ろにある書棚を見る。

 横幅は3、4メートルはあろうかという大きさである。作られてから100年以上、下手すれば150年近く経っているだろうが、何度も修復されてきたのかとても状態が良い。恐らく一つ一つ手仕事で作られたガラスも瓶底のように厚く濁っていて、中が透けて見えない様になっていた。

 見れば確かに質の良い大層な書棚ではあるが、あくまで実用的な家具である。

 この書棚一つの為にお屋敷が作られたというのは余りにも大袈裟だった。

 ハッキリ言ってしまえば。


 (…金持ちは考えている事がよく分からないな)


「ところで、透様。もしや昼食がまだお済みでないんじゃありませんか?軽食で恐縮なのですが、鴨肉のローストとバルサミコソース、ローストビーフと香味野菜のサンドウィッチをテラスにご用意致します。お嫌いでなければ是非味見して下さいませ」


 何そのお誘い。ヨダレが出そうだ。

 しかし、よく知らない(かなり怪しい)家で昼食をご馳走になるのはどうなのだろう。だってさあ、うまく話晒されちゃったよ。私の質問何処に行った。

 脳内の結衣も顔の前で大きくバツ印を作っている。後ろ髪を引かれるがここはハッキリキッパリ断らなければなるまい。透は強い意志でもって口を開いた。


「申し訳ない。家の者が帰りを待っていますので……非常に残念なのですが……」


 透は断り下手だった。


「………さようでございますか。いや、実に残念でございます。先程の奥様のハシャギ様、余程嬉しかったのでしょう、ここ数年で見た事がない程のお喜びで…」

「は?」

「年を取るといけませんな。現実より思い出が色鮮やかに美化され、過去ばかり振り返るようになります。あの頃は良かった、なんてね」

「はあ」

「お互いに過去の良いところを壊したくなくて疎遠になっていくのでしょう。年々、奥様もかつては盛んだった友人知人との交流が途絶えがちになってまいりました。ですから、こんな素敵なお嬢様が主人を訪ねて下さったのは本当に久方振りで。つい、奥様と透様が思い出の詰まったこの家で共に昼食を楽しまれたら、奥様はきっとまたお喜びになられるだろう、どんな顔をされるのだろうと、わたくし一瞬の夢を見てしまいました」


 えええぇ……。


「いや、暇なのは年寄りばかり。お忙しい身の上の若人を無理に付き合わせてはお可哀想です。分かっております。人それぞれ事情がある。当然です。いや、しかし、はあ……残念でございます」


 うわぁ。

 なんだこの人、凄。

 全然押してこない。むしろ全力で引いてくのにこちらの罪悪感ゲージがどんどん上がっていくんですけど。

 ここでバトラーの言葉を額面通りに受け取って帰ったら、

(こちとら年寄りの道楽(どぅおらく)に付き合ってる暇なんてねえんでぃ!けぇるぞオラ)

 と言っているに等しくなる訳で。


 嘘ん。

 でも、いや帰り、帰、かぇ…


「では、お…言葉に甘えてもよろしいでしょうか」


 帰れなくなった。


 パァァァと破顔するバトラー。

 喜びの感情が透にひしひしと伝わってくる。

 いや、悪い人じゃあないんだよ、結衣!

 脳内の結衣が脳天を噴火させてお怒りなので、思わず言い訳をする透。


「それでは!ただ今ご用意致しますので!テラスには後ほどご案内致します」

 シワ深い頬笑みを浮かべながら、軽く会釈して執事はさっそうと扉を開けた。その陰から。


 ひょこ。


 それほど背が高くない執事の、腿あたりまでしかない背丈の女の子が、こちらを覗いているのを透ははっきりと目にしたのだった。




つづく。

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