はじめての蔦屋敷
◆これまでのあらすじ◆
年齢、性別不詳の謎美人鬼丸透は、身内しか知らない不思議な力を持っていた。近隣で火災が起こることを予見した透は妹の結衣と二人の母の祥子に相談し、その邸宅を定点カメラで監視することに。◆同日の早朝、鬼丸家を訪れた老婦人は高級和菓子を手土産に、近所にある蔦屋敷に引っ越してくる孫の家庭教師を探していた。ところが、田中がカメラを設置する際に偶然会った高校の同級生(警察官)から聞いた話によると、国際的な犯罪組織に関わる人物と同一である可能性が浮上する。面白くなってきたと書斎に籠る祥子と田中。一方透はその蔦屋敷を訪れているはずだったが…?
春の麗らかな日差しの下。
重厚な木製の玄関扉を前にして透は途方に暮れていた。
それもこれも通常の邸宅であれば、必ずある筈のあるものが無いためだ。
そう、呼び鈴がないのである。
改めて扉を見ると、両開きになっていて高さが2.5mはある。何度も塗り重ねられた防腐塗料のせいかトロリと艶めいていて経年した木材の味わいのある素晴らしい扉だが、諱の由来にもなった蔦に今にも埋もれてしまいそうである。玄関はポーチになっておらず、蔦の隙間から覗く壁面は石造りで、見上げると白枠の窓が所々設けられているのが見えた。敷地面積に比べるとそれほど大きな建物ではないのだが、旺盛な蔦が屋敷を包み込んで、他を圧倒している。視線を扉付近に戻して、もう一度を見ても、呼び鈴は勿論、ドアノッカーや表札、埋め込み式のポストもない。
まるで訪問拒否である。
そもそも屋敷自体が強烈な威圧を放っているのに玄関先がこれでは、誰も訪ねてこれないだろう。
もしかして門の方にあるのかと一度引き返して見たが、それらしいものは見当たらなかった。
はあ、とため息を一つ落としてから背後の庭を見る。車が一台通るであろう石畳みの他は多種多様な植栽に溢れている。透が屋敷の前を通りかかった時にこちらに入っていったアルミバンのトラックが見当たらないのは屋敷の裏側にでも停めてあるからだろうか?それとも既に居ないのか。
引っ越し業者が来ているなら、必ず家主も居るだろうとの算段で、川口邸から早々に引き返してきたのだが、入れ違いなんて勘弁してほしい。
(ああ面倒くさい、もういいや)
透は思考を諦めた。
とにかくこのままでは不法侵入者である。
呼び鈴がないなら方法は一つしかない。
ここまで来たからにはさっさと話をつけてしまおう、と透は自分を励ましながら恐る恐る扉を叩いた。
コンコン。
……反応は、なし。
いや、どう考えてもノック音が小さ過ぎるだろ!と脳内の結衣から突っ込まれる。
透!ここは、訪問者として堂々と存在を主張するべきだよ!
透は脳内で渋々頷いた。
一度目を瞑り、ふー、と丹田から息を吐く。
たかがドアを叩くだけで精神を統一させる必要あるの?と脳内で結衣が呆れているが、透は構わずに深呼吸を繰り返した。
意を決して、振りかぶった拳を扉に打ちつけた、その瞬間。
タイミングを見計らったかのように重厚なドアが内側に勢いよく引かれて、行き場を失った拳の勢いそのままに透の身体は正面へと倒れこんだ。
「っわあ!」
「なっ…!わっぶっ!」
ガタタガッッシャーーーーーン!!
カランカランカラン、カラン、、カラン。
「すごい音ねぇどうし…あらあらあら〜?」
屋敷中に響き渡ったであろう騒音の後から場違いなのんびりとした声が聞こえる。
床に倒れこんだ透は、状況がよく分からない。
しかし、今しがた聞こえてきた凄まじい音は絶対何か割れた音。原因は間違いなく自分だと思い青ざめる。
透は慌てて顔をあげながら謝罪した。
「す、すみません!」
「あらぁ、あなたもしかして!」
透がうつ伏せに倒れたまま顔を上げると、品の良さそうな初老の婦人と目が合う。
十中八九、蔦屋敷刀自その人であろう。
日本家屋がしっくりきそうな和服と周囲のギャップがすごい。目を丸々と見開いたその顔が、何故かみるみる喜びに満ちていく。明言はしてこないが、どうやら透の顔に心当たりがあるようだった。
間抜けな格好だったが、咄嗟に釈明が口にのぼる。
「すみません!あの、私今朝挨拶に来て頂いた上屋敷の…」
『Heavy!』
「へび?」
唐突に聞こえてきた第三者の声を反射的におうむ返しする。ぱっと声がした方を見ると、そこには床ではなく見知らぬ少年とも青年とも思える顔があった。
透はギョッとして身体を起こす。
「うわぁ!すみませ」
『Move it』
「はい?むび?」
『Move!(どけよ!)』
透は意味を察して慌てて立ち上がる。
どうやら床に倒れこんだと思っていたら、見知らぬ男性を下敷きにしていたらしい。
のっけからとんだ大失態である。
青年は上半身を起こし床に尻餅をついたまま、服の埃をパンパンと払っていた。
その顔を改めて見ると、日本人が無理に染めたような違和感を全く感じさせない、サラサラの金髪に彫りの深い顔立ちである。まだ少し幼さの残るその顔はどう見ても日本人ではないのだが、極め付けはその目の色だ。青とも緑ともつかない不思議な色合いはカラーコンタクトの類ではない深みがあった。
(ははあ、これは綺麗なものだなあ)
ビー玉のような瞳が真っ直ぐ透を見据えると、思わず吸い込まれるように見入ってしまう。その眉間に不機嫌を表す深い皺が刻まれていることには気がつかない。
『Hey! Grandma! I◯×▲✳︎◼︎…』
そして、当然のように英語を喋っている。
(ああー、やっぱり外人さんかぁ。これ英語かな?英語だよね?うーん。どうしよう、ってゆうか謝った方がいいよねぇ?やっぱり)
あったり前でしょ!
脳内で結衣がご立腹だ。
透は手を差し出しながら「ごめん、大丈夫?」と尋ねるが、不機嫌さを隠そうとしない金髪碧眼の青年は、パシッと透の手を払いのけた。
『◇ey ⚫︎◁×a★◼︎◯…!』
その時、透の脳内に青年の心の声がはっきりと響いた。
《これがババアの言ってたトオルか?そんな大したやつに全然見えねえけど。ババアの勘違いじゃねえの?》
透は思わず頭を抱えた。
ああー…。
どうしよう。
何言ってるか分からないのに、何考えてるのか分かってしまうという謎の状態である。
これだから、外国の人は困るんだよなぁ。
残念な事に、と透は感じているのだが。
透は他人の心の中の声や思いが聞こえる厄介な体質である。
それは人に限らず起こり、はっきりとした言葉の時もあれば、ぼんやりとした感情の波のような時もある。
勿論距離の制限や相性もあるが、それも人によりマチマチで決まった法則があるわけではない。
問題は、
殆どの人間が本音をそのまま口に出すわけではない、というところだった。
稀有なことに、透の身近な人達はほぼ、心の中と口にだす言葉が一致しているので普段の生活ではあまり困る事はない。
不特定多数の声が聞こえる時は別の事に集中してボリュームを下げる事もできるが、なるべく人混みは避けたいところだ。
また、中には精神の防波堤のようなものが非常に高く、透にも心の声が聞こえない人もいる。祥子や道場の師匠がそうだった。
困るのは対面している時に嘘をつかれる場合だ。結衣や田中のように、思った事をすぐ口に出してくれる人には当たり前に対応出来るのだが、無闇矢鱈に聞こえてくる本音と、表情や言葉がチグハグの人にはどう対応すればいいのか分からなくなる。
そして、今回に限って言えば。
相手の思っている事が一方的にダダ漏れである。
しかも、相性がいいのか相手の声が強いのか、いつもより『声』が鮮明だ。
「アノー、コノ家具ガラス割レチャッテると思ウヨ」
またしても、違う方向から片言なのに流暢という不思議な日本語が聞こえてきて、透は扉のあたりを振り返った。
そこには、黒人にしてはやや明るいが日本人と比べればあきらかに浅黒い肌に特徴的なくりくりっとした瞳とたらこ唇。筋肉のつき方が日本人とは明らかに違っていて、ガゼルのようにしなやかな黒人の青年が眉を落としていた。
その段になって、ようやくどういった状況だったのかを理解する。
自力で立ち上がり、尻についた埃を払っている金髪青年の傍にはドレッサーか小ダンスと思しき布に覆われた物体が転がっている。一人で持てると言えば持てる大きさだが、抱えてしまえば、前方はよく見えないだろう。まあ、要するにこの色黒の青年が扉を開けて、こっちの金髪青年が一人で家具を運び出そうとしているところに運悪く倒れこんでしまったという訳である。
「ダカラー、一緒ニ運ボッて言ッタのニー!」
『Wh#⚫︎◁×△✳︎…!』
《うるせえぞウィル!こいつが飛び込んでこなきゃいけたっつーの!》
「イツモソンナコト言ッて無茶スる。僕ガ後片付ケスるンダカラ」
「ちょっとちょっと二人とも、喧嘩しないで下さいね。割れたものは仕方ないけど、他の方が怪我しないようにきちんと片付けてくださる?」
その言葉に透は慌てた。
「わわ!すみません。私のせいですから掃除します」
「あら!ありがとう。いいのよ、業者さんにお願いしとけば。透さんでしょ?こんなに早く来てくださるなんて来てくださって本当に嬉しいわ!」
蔦屋敷刀自(多分)の言葉に透は混乱した。
(ええーーー……と?)
チラと金髪青年を見る。
《ちっ、結局俺らが片すのかよ!こいつがやるっつってんだからさせりゃいいのによ!》
さらにチラと黒人青年を見る。
《ワー透チャン、メッチャ美人ダシ。緊張スる〜》
んんん〜…。
確かに二人はお揃いの白っぽいツナギを着ていて、業者と言えなくもないが。
(ただの引っ越し屋さんが私の名前を知ってるはずないしなあ。明らかにこの女性の関係者だよなぁ)
視線を夫人に戻すと、ニコニコと笑顔を浮かべている。釣られて透もニコリとした。
蔦屋敷刀自の心の声は漏れ聞こえてこないところを見ると、非常に胆力のある御夫人のようである。
ほらね。
やっぱり面倒くさいことになってきた。
(取り敢えず、刀自の話に合わせよう)
そう、心に決めて透はようようと口を開いた。
つづく。




