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豚の国  作者: 河童Δ
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第三話 運命の出会い


 家畜小屋の隅で、ロッコは藁の上に寝そべっている。

 高い位置にある窓から、星空を眺めていた。


 頭痛、吐き気、眩暈、そして眼底を襲う激痛。

 それらが通り過ぎるのを願って、ただジッとしている他に無い。


 眼球を抉られた傷口から流血が止まらず、包帯がわりに巻き付けたぼろ布に、赤色が染み出していた。


 負傷は左眼だけではなく、掴まれたり押さえ付けられたりした箇所が、それだけで青や黄色の痣が浮いて斑模様に変色している。


 肉体の強度が人間とはまるで違う。

 掴まれてしまえばその怪力に、抵抗するという発想が起きない程にだ。


 そもそも生物が違うのだろう。

 人間と二足羊の間で妊娠したという話は無かった。


 それでも、人間は執拗に二足羊を性処理の道具に利用した。

 異性に抱く劣情とはまた違う。既に明確な優劣を、更に執拗に刻み付ける様にだ。


 それには同族の異性に対してよりも、執着を示した。


 ロッコにとってそれらの行為は暴力、躾の一環という認識でしかない。

 それに伴うリスク等、不安に駆られる感覚も知らないが、恐らく左眼はもう使い物にならない。

 それくらいの事は理解できた。



 独りになると、この上ない安堵が得られる。静寂だけが、生の喜び。


 やっとの事で解放され、安寧を手に入れたが、しかし頭痛が激しく眠れない。

 例え眠れたとしても、もしかしたら目覚めないかも知れない。そう予感させるくらいには具合が悪かった。


 改善する手立てはない。

 いつも通り、痛みが薄れて通り過ぎるのを、ただ、呆と窓の外を眺めて待つだけで精一杯。



 そんな時、無意識に頭を過ぎるのだ。

 あの、嵐のように全てを薙ぎ払った野良と、暗がりに煌めいた白刃を。



――鮮烈だった。

 その戦闘能力がでは無い。自分に問い掛けてきた雄の、あの意志を湛えた鋭い眼光がだ。

 凶暴な、それていて怒り狂った人間や野犬とも違う。明確な志向性を宿した冷たく燃ゆる輝き。


 あれは、何だったのだろう――?



 外が騒がしい。


 夜明けも間近だが、それ自体は不思議がる程の事でもない。

 誰かが癇癪を起こして、また諍いが起きているのだろう。


 いつもの事。しかし、ロッコは不思議な衝動に戸惑っていた。


 あの日以来、喧騒を聞けば胸がザワついた。


 あの時、彼らの牙に対して抱いた感想を言語化出来なかったように、その感覚の正体が<期待>である事をロッコは知らない。


 彼女は期待していた。再び、あの日が訪れる事を。



――刹那。

 開けっぱなされた家畜小屋の入口から、何かが転がり込んできた。


 飛び込んできたのは二足羊の雄。

 歳はロッコよりかは幾つか上に見える。


 その姿を見て、ロッコの心臓が跳ねた。

 その衝撃に「うあっ!?」と、声を漏らす。


 ロッコの心臓が早鐘の様に打ち鳴らされる。


 その雄は<あの二匹>とは別人であったけれど、確かに、自分たちよりも彼ら、あの日の野良に近かった。

 しっかりとした衣装を身にまとい、剣を携え、ロッコ達には無い目的意識を持って動いている。



 その二足羊の雄、名はイツツキと呼ばれる。


 イツツキは飛び込んでくるなり機敏な動きで身を潜め、外の様子を伺っていたが、ロッコの反応でその存在に気付いた。


「あっ、ゴメン。驚かせた? 寝てるのかと思ったよ。すぐ出て行くから、静かにしててねっ!」


 軽い口調でそう言ったが、イツツキの心中には穏やかではない葛藤があった。


 目の前の幼い雌が、声を上げる前に殺してしまうか否か。

 先程まで、人間の首を幾つも落としてきた刃を握る手に力が入る。


 ロッコも察していた。

 外の喧騒の原因は彼であり、人間達に追われて身を隠しているのだと。


 殺すべきか否か。いや、殺すべきを躊躇する心との葛藤。


 双方に緊張が伝達する――。



 どちらかが動くより早く、小屋の外に十か二十か、人間達の明確な気配がした。


 もはやロッコを黙らせようが、奴らがこの家畜小屋を素通りする事はないだろう。


 野生動物めいた身のこなしで、天井へと駆け上がった。

 梁に手足を掛けてはり付くと、息を殺して脱出の機を伺うつもりだ。


 ちらとロッコと視線が重なる。

 先に始末しなかった事に憂いが残った。家畜の少女が主人に肩入れすることは疑うべくも無い。


 イツツキは窓からの脱出を思案する。


 しかし、奥に行けば目に付き、すぐに意図を看破されるだろう。

 ギリギリまで入口の真上に身を潜め、連中を中に引き入れる。その方が追っ手を撒きやすいだろうと考えた。


 それも、小屋を包囲されていたら無駄な思惑だ。

 囲いを突破しようにも、彼の腕前は兄と呼んで尊敬する人物よりは大分劣っているのだ。


 絶対絶命――。

 そんな言葉が頭を過るが、楽観的なイツツキは平常心を保っている。


 十や二十程度、いけるか? そうやって闘争心が滾りさえしていた。



 集団を代表して一人、人間が家畜小屋を覗き込む。

 ロッコの主人だった。


 高級品たる二足羊の姿を見た連中が、変な気を起こすの嫌っての行動だ。


 イツツキにとっては好ましくない展開だった。

 少しでも多くの敵を室内に引き入れ、窓から手薄になった屋外へと逃走を図る算段だったからだ。


 焦りが生じる。即時の行動が迫られていた。



「不審者が来なかったか?」

 主人がロッコに向かい確認する。

 彼からは暗がりにロッコの姿しか見えていない。


 家畜の少女は必ず、自分の存在を主人に伝えるだろう、そう確信していた。

 期待は出来ない。家畜とは、そういう風に出来ている。


――イツツキは覚悟を決めた。

 これ位の窮地は兄達ならば自力で切り抜けるだろう。


 ならば自分も出来るようにならなくてはならない。

 いつまでも、舐められている訳にはいかないのだ。


 真下の豚野郎を瞬時に殺して、外へ駆け出し、突破口を切り開く。


 全てを相手する必要は無い。

 囲いを抜けれさえすれば、おそるるに足らない。身のこなしには自信があるのだ。


 イツツキは音を立てずに深く息を吸い込み、身を乗り出す。


「来ました――」

 ロッコが口を開いた。


 いざと、イツツキは天井にへばりつく為に収めた直刀の柄に手をかける。

 こちらを振り返る瞬間に、一撃で仕留めてやると意気込んだ。


「――来て」

 しかし、そのロッコの返答は予期せぬものだった。


「すぐに外へ、裏手の方へ走って、後は知りません」



「!?」

 飛び出しかけたイツツキが思い止まる。予想外の展開から額には汗が滲んだ。


 家畜の少女が主人を謀って自分を庇ったのだ。

 それは有り得ないことだった。少なくとも、今まで起きた事は無かった。


 イツツキは戸惑いながらも、飛び出し掛けていた体制をグッと堪える。


 主人は疑うことも無く誘導に従い、外の衆を鼓舞すると、連れ立ってこの場を離れて行った。



 イツツキはしばらく息を殺し、連中が遠ざかるのを待って、屋根の梁から地面へと着地した。


「驚いた……」

 イツツキは率直な感想を漏らし、ロッコに向き直った。


 実際、ロッコが彼の仲間たちに先んじて出会っていなかったなら、彼女は彼を助けたりはしていなかっただろう。


 何故そうしたのか、本人にも理解できていないのだ。

 それは奇跡的な偶然だった。


 それ故に、若いイツツキは彼女に興味を示す。


「あっ、肌と髪の色がジキ兄貴と同じだ。珍しいね、兄貴以外で初めて見たよ」


 加えて、偶然にも彼の尊敬する人物とロッコは同じ種類だった。


「とにかく助かったよ、ありがとう」

 見逃してくれた例を告げる。

 下手すれば、自らの命を危険に晒す行為だったのだ。


 とは言え、ロッコはその意味を理解してはいなかった。


「それは、どういう意味ですか?」と、首を捻る。


「え、どれが何が?」

 そして、感謝される事の意味を知らないと言う彼女の状況を、イツツキも理解は出来なかった。


「って言うか、怪我してるじゃんか!?」


 それは放置しておけば、生命を脅かさないとは限らない負傷。

 それが決め手だった。


 イツツキは礼だけを告げて、立ち去るつもりだった。

 しかし彼の雌は言葉を解し、尊敬する人物と同種で、何よりも放置していたら危うい傷を負っていたのだ。


「ンン――――ッ」


 イツツキは思案し、そして決めた。「よし!」


 彼の勢いの良い掛け声にロッコは「え?」と、戸惑う。


「来なよ、怪我の治療をしよう」

 そう言うと、返事を待たず、イツツキはロッコを胸の前に軽々と担ぎ上げた。


「何処へ、連れて行くのですか?」

 見知らぬ少年に、ロッコは訊ねた。


「ん? 俺達の家だよ。まあ、五月蠅く言う奴もいると思うけど、助けて貰った恩は返さないとね」

 

 イツツキは答えると、ロッコを抱え、家畜小屋を後にした。





  第四話、『地下に潜む人鬼』に続く。

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