第72話 僕たちは愛を確かめ合う
ベッドの上で布団にくるまっているといつのまにか夜になったいた。
部屋は真っ暗で千年祭で盛り上がる街の喧騒がかすかに聞こえてくる。
その喧騒から抜け出すように、カツカツと地面を鳴らして走ってくる足音が家の前で止まった。
ガチャリと玄関の鍵が開くと同時にドアが開け放たれた。
「クルスさん! いますか!?」
メリアの声だった。
「ああ」
と、僕はベッドから起き上がらずに返事する。
すると、メリアは大きなため息を付き、ドアを閉めて部屋の明かりを灯した。
「驚きましたよ。
治療院に行ったら、歩けるようになったから家に帰ったって聞かされて」
メリアは僕の枕元に近づいてきた。
僕が布団から顔を見せると、ホッとしたような表情を浮かべた。
「まるで何事もなかったような顔して……
あんなボロボロになるまで戦ったのに」
「頑丈さには自信がある。
まだ本調子とはいかないが、あと一晩休めば大丈夫だろう」
「頑丈にもほどがありますよ。
だからって無茶ばかりされると、私の心臓が保ちません」
そう言って、メリアはベッドに腰掛けた。
「結局、あの後どうなったんだ?」
「ああ……そうですね。
じゃあ、少しお話しましょうか」
メリアは僕が倒れた後のマックリンガー邸でのことを話し始めた。
ホールは嵐が過ぎ去った後のように荒れ果てていた上に常勝将軍イスカリオスが一介の騎士に敗北したというのはあの場にいた人間全てにとって衝撃的なことだったらしく場は動揺と混乱に満ちて、とても舞踏会を継続できる状況ではなくなったらしい。
皇后に「罪作りな女だな」とからかわれたり、レクシーに「イスカリオス様が結婚できなければあなたを傾国の美女と褒めそやしてさしあげるわ」と嫌味をいわれたりしながらコソコソとその場を抜け出したという。
その後、治療院で眠っている僕を見て、命に別状はないことを確認した後、一度家に戻り、僕とすれ違う形で千年祭の仕事に向かったのだという。
「人の口には戸が立てられないと言いますけど、帝都中どこもかしこもクルスさんの話題で持ちきりでしたよ。
『帝国の新たな英雄の誕生だ』とか『イスカリオス将軍一人に頼る時代は終わった』とか言って騒いでる人がたくさんいました」
過剰な評価だ。
僕が勝てたのはイスカリオスが魔力を全て吐き出し尽くしていたからに過ぎない。
本気のイスカリオスとでは勝負にならない上に、帝国内にも超越者とされる戦士は何人もいる。
彼らは生活の大半を魔王軍との戦いに駆り出されているため、戦線の遠い帝都に住む大衆の目に触れることはないが、僕より弱い者はまずいないだろう。
「目立ちすぎてしまったな」
僕がため息をつくとメリアの表情に影が落ちる。
「ですね……
この分だと魔王軍との戦いにクルスさんを駆り出そうという声は強くなるでしょう。
力がある人が先頭に立って戦うことが当然だと……
そう考えるのがこの世の中の常識ですものね」
その常識に真っ向から立ち向かおうとしてくれたメリア。
だが、そんなメリアの思いを踏み潰すかのように人々は僕の力を欲するだろう。
メリアの望みは、きっと叶わない。
「仕方ない。
この国には強者に自由を与えるほどの余裕がない。
それは悪とか身勝手とかじゃなくて、生きていくために必要なことだからだ。
むしろ、メリアの考えの方が甘すぎて非常識だ。
思わず笑えてしまうくらいに」
「わ、分かっていますけど、そんな言い方ひどくないですか?
私はただ――」
「だけど、そんなメリアだから僕は……」
僕は、たまらなく好きなのだ。
愚かなくらいに優しくて、人の痛みに敏感なメリアが。
人間という弱く不安定な生き物はこの過酷な世界が発する圧力によって、そのあり方を歪められている。
自分の快楽のために他人を踏みにじる者。
他人を踏みにじることに喜びを感じる者。
より強い力を求め戦い続ける者。
強さを拠り所に自分の生きる意味を見出そうとする者。
でも、メリアはそんな世界の圧力に背を向けて、自らの目で見つけた人の弱さや人の痛みに向き合おうとしている。
他人の死に嘆き苦しみ、悲劇に胸を痛め、それでも何度も立ち上がって、生きようとしている。
そんなメリアだから僕は守りたいと思って……違う。
今の僕はもっと違う感情で彼女を見つめている。
とても身勝手で褒められるべきでない感情で。
「クルスさん、抱きしめていいですか?」
メリアが少し潤んだ瞳で僕を見つめる。
体を起こそうとした瞬間、僕に覆いかぶさるようにメリアは抱きついてきた。
「世の中の人がなんて言おうと、私は諦めたりしませんよ。
だって私はクルスさんのモノなんですから。
絶対に離れたりなんてしませんから」
メリアは僕の首元でそう囁く。
吐息が頬にかかりくすぐったくて、身悶えしそうになるけれど、温かい風呂に浸かっているように力が抜けて動けない。
「メリアはモノじゃない。人間だ。
僕は決闘に勝ったけれど、それはイスカリオスに渡したくなかったからで……
僕の所有物にするつもりなんかじゃ」
「私がなりたいんです。
クルスさんのものに」
そう言って、メリアは背中に回した手に力を込めた。
「あなたは私を守るためにずっと戦い続けてきてくれた。
そのことで救われたのは私の命だけじゃありません。
あなたがいてくれたから、私は私を見つけることが出来たんです。
今の私がいるのはあなたのおかげなんです。
知っていましたか?」
知っているはずがない。
どれだけ感情を得ようと、人の気持ちを類推することが出来るようになろうと、他人の心の奥底までは決して見通すことは出来ない。
メリアは体を起こすと同時に僕の背中にかけた両手を僕の側頭部に移す。
すこしはにかむように笑うメリアは、優しくて儚げだった。
「あなたはずっと私を守るために剣になってくれた、
だったら私は鞘になりたい。
あなたが戦うことも傷つくこともないように包んであげられる鞘になりたいです。
鞘ならずっと一緒にいられますよね?
私は……アルメリアという人間は、クルスさんのために生きて、クルスさんを幸せにする。
そんなモノになりたいと願っているんです」
メリアの声が震えている。
目尻に涙が光っている。
どんな気持ちなのかと想像しかけて……やめた。
今、この場で人の心と行動の因果関係を分析すること自体が無粋なことだと思ったし、それ以上にそんなことをしていると自分の気持ちが冷めてしまう気がしたからだ。
僕はメリアの頭を掴んで引き寄せて……唇を重ねた。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『うわああああああああああ!!
ホムホムがいったああああああああ!!』
【転生しても名無し】
『●REC●REC●REC●REC●REC●REC●REC●REC●REC●REC●REC●REC』
【◆オジギソウ】
『みんな落ち着いて!
黙って! ムード壊さないで!!』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
数秒間、唇を重ねてからメリアの頭を軽く持ち上げる。
目が合ったと思ったら、次はメリアの方から僕の唇に自分の唇を合わせてきた。
柔らかさと濡れた感触が唇を通して伝わってくる。
僕は聞きかじりの知識で、舌を彼女の口の中に挿入した。
彼女の舌と僕の舌が触れ合うと、
「んっ……!」
と耐えるような小さな声がメリアの唇から漏れた。
その声をもっと聞かせて欲しい。
僕はさらに舌を動かして、彼女の口の中を弄ると次第に向こうからも舌を伸ばしてきた。
唇を何度も重ねて、舌を絡み合わせているといつの間にか、僕と彼女の体の位置は逆転し、僕が見下ろす体勢になった。
「あっ……く、クルスさん……
裸で寝ていたんですか」
……そうだった。
ボロボロに汚れた衣服でベッドに入るのに気が引けたから、メリアやリムルが帰るまではと思って……
「まあ、好都合か」
僕はそう言って、メリアの前髪をかきあげて額に口づけて、さらに耳たぶに這わせた。
「キャッ!」
体を堅くするメリア。
僕は彼女の肩から二の腕を優しく撫でて、なだめる。
「メリア、僕が怖いか?」
僕の言葉に首を横に振るメリア。
「だ、大丈夫です。
その……ずっと前からこういうことになるかもしれないって思っていましたし、覚悟もしていましたから……」
と、言ってから顔を両手で押さえて起き上がった。
「いや覚悟とか! 今は……そうじゃなくて……」
顔を押さえたまま首を振り回すメリア。
ピタリとその動きがやんだかと思うと、ワンピースの背中の紐を外しスカート部分に手をかけて勢いよく脱ぎ去り、体を丸めたまま下着をベッドの下に脱ぎ捨てた。
一糸まとわぬ姿になり、胸を膝で隠すように僕の目の前に座ったメリアは横目で僕を見やる。
「こ、こういうことをするのが愛を確かめ合うことだと知ってはいますから……
私もクルスさんの愛を確かめたいって……その……そんな気持ちなんです。
だから――」
メリアは体をギュッと丸め込んで、聞こえないくらい小さな声で、
「私を……抱いてください」
と呟いた。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『エンだああああああああ!!』
【転生しても名無し】
『この瞬間に立ち会えること……神に感謝します!
メリアちゃんがここに来て最高級に可愛い』
【転生しても名無し】
『可愛すぎて死にそう!
あとホムホムへの嫉妬で死にそう!』
【◆与作】
『お前ら全員出ていけよ!!
これはホムホムとメリアちゃんの神聖な時間だ!!』
【転生しても名無し】
『そうだそうだ、まず与作が見本を示して出ていこうぜ』
【◆野豚】
『なあ……なんやかんやでホムホムの性別が判明しないままこんなことになっちゃったけど、そのいろいろ大丈夫なのか?』
【◆江口男爵】
『問題ない。人の少ない時間にこっそりホムホムに男×女、女×女、ふたなり×女の3パターンでの行為についてはレクチャーしている』
【転生しても名無し】
『男爵殿GJ……だけど、心から『なにやっとんねん』とツッコみたい』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
妖精たちが騒がしくなるのは織り込み済みだ。
いつにもまして数が多い気がするが……
だが、もう知るか。無視だ。
できれば黙っていて欲しいが、どうせ妖精たちは止められないし、もう僕も僕を止められない。
どんな気持ちになるか、何が起こるかなんて分からないけれど、メリアを抱いてしまいたい。
誰よりも近くでメリアの存在を感じていたい。
誰にもメリアを渡したくない。
僕の僕だけのモノになってほしい。
僕の存在がいずれ彼女を傷つけてしまうのは確定している。
メリアより早く死に、その瞳を悲嘆に暮れさせる時が必ず訪れる。
イスカリオスはそれを避けるために僕を遠ざけようとしたが、僕はそれを拒んだ。
だから、たとえメリアを傷つけることになろうとも、この身も心も芽生えた愛も全て捧げると決めた。
ああ、メリア……
どうか許して欲しい。
僕は身勝手で独りよがりで、すべての秘密をあなたに打ち明けることが出来ない弱いモノだ。
それでも、僕はいつまでも想う。
最期の時まで何度でも口にする。
「愛している」
僕はメリアと再び口づけを交わした。
長い口づけは唇だけでなくお互いの首や胸元に這い回り、唾液で濡らしていく。
そして、僕はゆっくりとメリアを押し倒した。
頬を赤らめて呼吸を荒くしているメリアは両腕で守るように胸を隠している。
あなたのすべてを知りたい。
あなたのすべてが欲しい。
優しさも美しさもいやらしさも、全てを僕に教えて欲しい。
欲求が高まり、興奮にも似た感情を懐きながら、僕はメリアの腕に手をかけた。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆江口男爵】
『この手のアシストは俺に任せろ!
助兵衛やマリオには真似することが出来ない、俺の知識と経験をホムホムにーーーーーーーーーーー
ーーーー』
【◆野豚】
『つながった!』
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いきなり妖精の声が戻ってきたので僕は驚いた。
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【◆オジギソウ】
『驚いたのはコッチだよ!
いきなり視界が真っ黒になるし、声も聞こえないし!』
【◆与作】
『ホント、ホムホム死んだんじゃないかって焦ったよ……』
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勝手に殺さないでほしい。
いったい、何があったのか分からないが、昨日の晩、お前らが言葉を発さなかったのはコッチの様子も観測できていなかったのか?
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『そうだよ!
クソ……みんなが盛り上がりすぎたせいでサーバ落ちちまったのか?』
【転生しても名無し】
『自爆もいいところだよ……
お前ら全員反省しろ』
【◆野豚】
『おかげで、僕らは不安とヤキモキを抱えながら半日を過ごしたわけだけど……
それはかえってよかったのかな?』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
そうだな。
おかげで邪魔されずに済んだ。
つい先程夜が明けた。
それまで、僕たちが何をしていたのかは、想像に任せる。
朝の日差しがカーテンの隙間から漏れ、部屋を淡く照らしている。
ベッドの上で天井を見上げて寝転がっていた僕は横に目をやる。
布団に入ったメリアがすぅすぅと寝息を立てて僕の腕にしがみついている。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『想像の余地が無いくらいカンペキ事後じゃねえか!!』
【転生しても名無し】
『うあああああああああ!!
見たかった! 見たかったよおおおおお!!』
【転生しても名無し】
『俺のパンツを返せ!
ティッシュを返せ!
あと、おめでとう!』
【◆与作】
『ホムホム、よかったな。
俺、ちょっと横になるわ』
【◆江口男爵】
『ベッドの乱れ方とメリアちゃんの首筋にうっすら見える痕から想像するか……』
【◆オジギソウ】
『どんなんだった?
今どんな気分?』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
どんなことをしたかは話すつもりはない。
お前らが見ていなかったのなら、あの時間は僕とメリアだけが知っている秘密にしておく。
でも、今の気分は言ってもいい。
むしろ、聞いて欲しい。
僕はあなたたちと出会って「生きろ」と言われて、その言葉の意味を探すようにして今まで生きてきた。
メリアやブレイド……バルザック、ククリ、アルフレッド、テレーズ、ファルカス、エル、ビクトール、イスカリオス、皇后陛下……
沢山の人が生きているこの世界を知って、生きることの意味をある程度は理解できた、と思っていた。
その上で僕の命に限りがあるのなら、それは仕方のないことだと割り切っていたつもりだけど……
昨日の晩、メリアに愛されながらいつまでも生きたいと思った。
人間が感じる快感と同じものではないかもしれないが、幸せに満たされていた。
こんなに甘く刺激的で満たされる時間があるだけで生きることは素晴らしいと思えたから。
反対に、いつ死んでもいい、と思いながらメリアを愛していた。
メリアという宝物を守るためにこの生命を使い切りたい。
僕の隣に眠る、美しい女性はこの世界の何よりも大切なものだから、守らなくちゃいけない、と。
そして僕は、メリアが目を覚まさないよう触れるように何百回めかの口づけをした。