第71話 僕は別れを告げられる。
満身創痍の状態で倒れ込んだ僕とイスカリオスは、応急処置を受けた後、最寄りの治療院に担ぎ込まれた。
治療院の一室には治癒の術式が刻まれた直系3メートルほどの魔法陣が床に描かれており、僕たちは並べるように寝かされて治療を受け始めた。
自動治癒が備えられている僕は本来なら魔術に拠る治療を受けなくてもいいのだが、周りに怪しまれないためと、重すぎるダメージの補修のためという2つの理由で不本意ながらイスカリオスと同室に押し込められている。
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【転生しても名無し】
『激戦だったねえ。
あと一手足りなきゃ負けてたよ』
【転生しても名無し】
『助兵衛とマリオが帰ってきてくれてよかったあ。
あの二人は?』
【◆まっつん】
『用は済んだからいないんじゃない?
何かあったら、常時ここに張り付いている俺から連絡するさ』
【転生しても名無し】
『まっつん……
ありがたいけど、大丈夫?』
【転生しても名無し】
『しかし、ホムホム派手にやられたなあ。
ブレイドと初対面でやりあった時やサハギンと海で切りあった時よりもひどいんじゃないか』
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冷たい石造りの床に頬をつけながら僕は妖精の声を聴く。
本当に重傷だ。
折られた首はまだ安定しないし、貫かれた腹はえぐられたまま。
即席で指先から魔力をフル開放したせいで指先もなくなっている。
治癒魔術による底上げ込みで丸1日あっても完治するかどうかというところか。
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【転生しても名無し】
『1日そこそこで回復できる傷じゃないと思います……
てか、完治するの?』
【転生しても名無し】
『指先がなくなってるって……
ホムホムの自然治癒って部位欠損も再生できるの?』
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指先くらいならなんとか。
さすがに手首から切り落とされては再生は難しいだろうけど。
もっとも、切り離された魔術回路は回復しないから、寿命はわずかながら縮んだだろうな。
妖精の質問に答えて、僕は活動休止するため、意識を手放そうとしたが、
「おい、貴様。起きているか?」
イスカリオスが僕にたずねてきた。
「ああ」
と返すと、彼は深い溜め息をついた。
「最後の最後に姑息な真似をしおって……
悪あがきにも程がある」
「悪あがきは禁止されていない」
「そうだな。ただの負け惜しみだ」
イスカリオスは仰向けになって、顔を手で覆う。
しばらく沈黙が流れた後、ゆっくりと口を開く。
「儂は分かっておったさ。
こんなことをしたところでアルメリアは儂のものにはならん。
どれだけ外堀を埋めようとも、抜け出してきっと貴様のもとへ行く。
そういう女になってしまったからな……」
自嘲気味につぶやくイスカリオス。
「だったらわざわざ何故こんなことをした。
ハンデを付けて戦った挙げ句、あなたは敗北し常勝将軍の名も地に落ちた」
「感情のままにバカなことをしてしまう。
人間とはそういうものだ」
ククク、と声を押し殺して笑っているが傷に触るらしく苦痛に声が震えている。
「儂は貴様が憎い。
アルメリアをさらっていく貴様が。
……アルメリアのためにその身を捨てることも厭わない、貴様の想いが儂には眩しくて、妬ましい。
貴様が成そうとしていることは、儂ができなかったことだ」
憎まれ口、とは違う。
もっと、辛く、自分を責めているような口ぶりだ。
「儂は帝国のために戦い、生きてきた。
それが自分の存在価値だと幼い頃より決めていたからだ。
常人とは違う強大な力はそのために授かりしものだと。
しかし、深いところではその力を他人のために使うようなことはしなかったのだ。
ただ、自分が正しいと思うことを行い、自分を満たすために奮い続けた。
幼く孤独だった頃のアルメリアも、その気になれば救ってやれたのだ。
だが、儂は自分の力を有効に使うためには帝国でより高い地位に行く必要があった。
たった一人の小娘のために、大貴族と争うことによる危険も時間を割くことも理にかなわないものだ。
儂は自分の傷つかない範囲で手を差し伸べていただけに過ぎず、結局あやつを見殺しにし続けたのだ。
その時点で、儂はあやつに愛される資格など失っていたのかもしれん」
イスカリオスという人間は非常に面倒くさい。
結果として、彼は魔王軍に勝利することで多くの人間を救っている。
だが、それすらも自分の欲を満たすための行為だという。
メリアだってそうだ。
イスカリオスの差し出した手が幼いメリアの拠り所になっていた事実は変わらない。
結果よりも行動や動機に重きを置く、非常に面倒な人間だ。
「あなたがメリアをサンタモニアに潜入させたこと……
僕は今でも許していない。
あなたはメリアに酷いことをした」
僕はそう言い放った。
だけど――
「だけど、あなたがメリアを送り込んだおかげで僕はメリアに出会えた。
メリアがイデアの部屋の情報をもらってきてくれたおかげで、帝国はその対策に乗り出せた。
あなたのやったことは結果として世の中を良い方向に進めている。
それに……どれだけ後悔をしようとも過去に戻ることができない以上、突き進むしかない」
僕はそうイスカリオスに語りかけた。
イスカリオスは目をこちらに向けて聞いていた。
「最初から思っていたがあなたは一人で抱え込みすぎだ。
あなたが取りこぼしたものを拾ってくれる人間だっている。
もっと人間を信用したほうがいい」
僕がそう言うと、イスカリオスはまぶたを閉じて、ポツリと呟いた。
「アルメリアを泣かせてくれるなよ……
あやつの輝きを曇らぬよう……
お前は……」
何かを言いかけて、口をつぐんだ。
そしてそのまま眠りに入ってしまった。
それから丸一日寝込んだ後、なんとか動けるようになったので自宅へと戻った。
リムルはダリル王子の側付きとして共に千年祭を見て回っており、メリアも運営の調整や挨拶回りに忙しいので家にはいなかった。
ダリル王子の成長祈願の儀式が行われる日までに傷を完治させようと、衣服を脱いで、ベッドに横になった。
ちょうどその時、ドンドン、とドアがノックされる音が聞こえた。
「ビクトールだったら、好きに入ってくれ」
僕がそう言うと、ドアの鍵が外側から開けられて、ビクトールが入ってきた。
今日は老人のようなマスクを付け、腰を曲げて歩いている。
「お邪魔しま……って!」
ビクトールはほとんど裸の僕を見てマスクが割れるほど顔をひきつらせたようだ。
「ああ、びっくりした……お前、男だったよな」
「多分」
「なにその曖昧な口ぶり。
弟の想い人を奪ったのが男じゃないとか、兄的には泣けてくるんだが」
ビクトールはマスクを剥がしながら呟いた。
「で、何の用だ?
弟の敵討ちにでも来たのか?」
「まさか。勝てない喧嘩をするほど無鉄砲じゃないし、そんなみっともない真似をしたらそれこそ粛清されちまう。
今日はご近所付き合いのあったお前さんにお別れを言いに来たんだ」
そう言ってビクトールは肉がむき出しになった顔で笑った。
「アイゼンブルグ奪還作戦の先遣隊として、あの街に潜入することになった。
もちろん生きて帰ることが使命だけど、うまくいく保証はない。
俺の戦闘能力じゃ、モンスター相手に大立ち回りなんて出来ないしな。
一応魔族に扮するマスクも作っておいたけど、どこまでアテになるのやら」
ビクトールの言うとおりだ。
アイゼンブルグのモンスターはかなり手強い。
初めての実践だったとはいえ、僕たち最新型のホムンクルスが呆気なく全滅した。
接敵、即ち死である。
「まあ、そういうわけだから。
もし生きて帰れたら、酒でも飲もうぜ。
サンタモニア産のいい酒を手に入れてきてやる」
「……本当にそのつもりはあるのか?」
僕はビクトールに尋ねた。
すると、彼は笑みを薄めて頬を掻いた。
「死にたいやつなんていないさ。
でも、死んでもいいと覚悟しているやつはいる。
俺みたいにね」
「それはイスカリオスに命令されたからか?
帝国への忠誠か?」
僕はビクトールに詰め寄る、すると彼は目をそらした。
「それもある。でもそれだけじゃない。
俺に妻子がいたって話は聞いてるよな?」
僕は頷いた。
ビクトールは目を細めて、
「もうすぐ妻が再婚するんだ。
相手は俺も知っている子爵家の文官だ。
戦場には出ないが、良い働きをする真面目な男だ。
俺は心底ホッとしたよ」
ビクトールの表情は穏やかで、僕は何も言えなくなってしまった。
「世界も、国も、人類も、俺にとっては広すぎる。
俺にとって望むものは家族とその周りの人達の小さな幸せくらいさ。
その小さなもののために、俺は命を賭けたい」
メリアがイスカリオスに言った言葉を思い出す。
自ら剣になろうとする人間を止めることは出来ない。
そのとおりだ。
僕はビクトールを止められない。
彼は生き方を選んで、進もうとしている。
「……あなたは死にに行くんじゃない。
命がけで生きるために任務に取り組もうとしている。
僕はそう思うことにする」
「ハハ、命がけで生きるって、まんまじゃないか」
ビクトールは笑って僕の肩を叩いた。
「ああ……イースのことよろしく頼むよ。
あいつ友達少ないからさ。
あんまり嫌わないでやってくれよ」
「あの性格なら仕方ないんじゃないか?」
僕がそう言うとビクトールは苦笑した。
「そう言うなよ。
あれでも、アイツお前のことを気にかけているんだぜ。
たとえばーー」
ビクトールが去り、僕はベッドの上に再び寝転がった。
妖精たちは珍しく沈黙している。
ありがたい。
少しの間、そうしていてくれ。
一人で考えたいんだ。
ビクトールは去り際に言った。
「あれでも、アイツお前のことを気にかけているんだぜ。
たとえば、
『ホムンクルスの寿命を延ばす方法を見つけ出せ』
って、アルメリア嬢の刻印を解読してすぐの時期に命令したんだ。
壊す方法じゃない、生き長らえさせる方法だぜ。
それが誰のためのものかなんて、言うまでもないよな。
もちろん、愛しのアルメリアのためではあっただろうけど。
いろんな葛藤やら苦悩を一人で背負い込もうとする。
俺は弟……いや、我が主のそういうところがいじらしくて大好きでね。
あのお方なら俺がいなくなった後の世界を、家族を託すことが出来る。
俺が死んでも、常勝将軍イスカリオスは人類を守ってくれるって分かっているから、命を賭けられるんだ」
と。
本当に、アイツは面倒くさい人間だ。
あの辛辣な言葉や重い剣を受け止めた感覚を思い出す。
僕を試していたのか、それとも自分の葛藤を振り切るために放ったのか。
それを知ることは今の僕にはできない。
まぶたを下ろしても、僕は寝付けはしなかった。