第8話 緊急事態発生――僕は、禁忌を犯す。
旅立ちの朝、僕は朝食の前に入浴していた。
体は特に汚れていなかったけど、浴槽のお湯に浸かってその心地よさを堪能した。
風呂からあがると、僕が身に着けていた衣服はなく、真新しいシャツとズボンが置かれていた。
「餞別じゃよ。
人里に行くのにあまりボロボロな格好をしていると、いらぬ厄介が増えるからの」
僕だけじゃなく、メリアの服も用意されていた。
フローシアに別れを告げ、僕たちは彼女の家を後にした。
僕は腰に剣を提げ、背中には小さな鞄を背負っている。
一方メリアは、昨日僕が荷造りした大きなリュックサックを担いでいる。
「クルスさんは身軽な方がいいです。
戦闘になった時、私はクルスさんに頼り切りですから。
これでも足腰には自信があるんですよ。
商人の家の子なので」
メリアはそう言っていた。
それから3日間、森の中を歩き続けた。
途中、山猫型のモンスターや虫型のモンスターに遭遇し、戦闘することになった。
フローシアから借りた剣は思っていた以上に良い切れ味だった。
モンスターの固い頭蓋を竹を割るように鮮やかに断ち切り、刃こぼれ一つしない。
そして貰った衣服も魔術繊維で織られているのだろう。
虫型のモンスターが放った毒針がメリアの服の袖に当たったが、体に届くことなく弾かれた。
おかげで僕らは負傷することもなく森を抜けることができた。
森を抜けてさらに半日歩き、日が傾きかけた頃合いに港町アマルチアに到着した。
アマルチアに到着した僕たちがまず行ったのは現金を手に入れることだ。
これもまた、フローシアにもらった宝石を港の換金所で換金することで金貨3枚と銀貨50枚を手に入れた。
金貨は1枚で銀貨100枚の価値があり、銀貨は1枚で石貨100枚の価値がある。
銀貨1枚あれば一人分の宿と一日分の食事が賄える。
「フローシアさんには頭が上がりませんね。
ソーエン国に行く船を捜すのは明日にして、今日は宿に泊まりましょう」
「わかった」
僕たちは宿のあると思われる街の中心部に向かう。
海が見える開けた通りに差し掛かった時、海に沈む、夕日を見た。
オレンジ色の夕日は海や街を同じ色に染め上げた。
炎によく似た色なのに僕の警戒心が発動しない。
メリアに至っては、
「綺麗な夕日ですね。
夕日が綺麗な日の次の日は良く晴れるそうですよ。
絶好の航海日和ですね」
と、嬉しそうに笑っていた。
宿にたどり着き、宿泊の手続きをしていると冒険者と思われる男に声をかけられた。
「女二人組の旅人とは珍しいな。
どうだい? 行き先次第では俺が用心棒として雇われてやるよ。
一日、銀貨5枚と俺の分の旅費を持ってくれるということで手を打とう」
ニヤニヤと舐め回すような目つきで僕とメリアを見てくる。
餌を前にした野獣によく似た視線だ。
「ギルドを通さずに直接契約を結ぶのは、規則違反ですよね」
メリアがそう言い放つと、男は少したじろいだ。
「直接交渉するとしても、金額の設定等の契約内容はギルドの契約担当者を通してでしか決められないはずです。
失礼ですが、ギルドの登録証明書を見せていただけませんか?」
「ん……あー、証明書ね。
今、別の宿に預けているんだわ」
「そうですか。では、お引き取りください。
あと、私たちは用心棒を必要としていません。
失礼します」
そう言ってメリアは僕の手を引いて宿泊部屋に入っていった。
宿泊部屋は建物の3階にあり、ベッドが2つ、テーブルと椅子が1つずつ用意されている。
30センチ四方の小さな窓が石造りの壁にはめ込まれており、そこから外の通りが見えた。
「クルスさん、しっかりしてくださいよ。
ああいう輩は話を聞いちゃうとしつこいんですから」
メリアはため息混じりに僕に語り聞かせる。
「ああいう輩とはなんだ?」
「冒険者風の格好をして、お金をむしり取ろうとするチンピラの類です」
「彼は冒険者じゃないのか」
「冒険者の命とも言える登録証を宿に預ける冒険者なんてまずいません。
国によっては登録証は入れ墨にしているギルドだってあるんですから。
登録証を失くした冒険者はそれまでにこなした依頼の実績とかを全て剥奪されます。
再発行することは出来ないので」
「それじゃあ、彼は詐欺で捕まえるべきじゃないのか?」
「そうですね。それができればいいんでしょうけど、私たちはその事を誰にも告発できないんですよ。
だって私たち、保護してもらう立場にありませんから」
たしかに、僕はホムンクルスだし、彼女はイフェスティオの商人の娘だ。
身分を保証するものも持ち合わせてはいない。
「冒険者ギルドの人も、あの手のチンピラは冒険者の評判が下がるからと取締をしているらしいですけど、そこまで本気じゃないというか……チンピラだと思って捕まえてみたら、正規の冒険者だったりして、ギルドに連帯責任が覆いかぶさってきたりとか。
とりあえず、自分の身は自分で守るようにしなきゃダメなんですよ」
「インプットした」
メリアは満足そうな顔で頷いた。
「今度から泊まる時はもう少しいい宿にしましょう。
そうすれば、ああいう輩が出入りすることも少ないでしょうし。
それにここのベッド固いし、布団もカビ臭いし……」
メリアはどうやらこの宿の質に不満があるようだ。
その夜、僕はベッドに横になっていた。
睡眠を必要とするわけではないが、明日までにしておく準備もないし、メリアが眠るので怪しまれないよう合わせて眠ったふりをしている。
……………
ここ数日、妖精たちの文字が頭に映らない。
いなくなってしまったのだろうか?
1分後。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆野豚】
『いるよ』
【◆バース】
『ンゴ』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
数が少ない。
何かあったのか?
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆体育教授】
『封印されていないフローシアの魔剣を君が持った時、
俺たちの存在に気づいて干渉してくる存在があった。
みんな怖くて、君に言葉を届けることをためらってる』
【◆バース】
『こういっちゃなんやけど、みんな遊び半分やったからなあ。
自分に害があるかもしれないと思ったら、関わり合いたくない、ってなったんやろ』
【◆野豚】
『多分、害はないと思うんだけどね。
とはいえ、僕らの文字が君の頭のなかに届いている事自体が異常だし』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
なるほど。
状況は把握した。
あの魔剣は持ち手の精神に干渉するらしい。
僕の場合、思考回路に侵入してきたのだろう。
本来なら、思考回路の基盤記述を書き換えたりするところなんだろうけど、みんなの書き込んだ文字が多すぎて、そちらの方に干渉してしまったのだろう。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆バース】
『ふむふむ、わからん』
【◆ダイソン】
『要するに俺たちが騒いでいた書き込みが囮になったおかげで、ホムホムの大事な心の部分が守られたってこと?』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
心……便宜的に言えば、そういうことなのだろう。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆野豚】
『なるほど、たしかにしっくり来る説明だな。
まあ、書き込みしてなくても見ている人はたくさんいるから、そのうち皆戻ってくるよ』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
そうか。
まあ、騒がしくないのは時としてありがたいけど。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆バース】
『つれないこと言わんといてや。
ワイらのアドバイスで上手くいったこともあるやろ?』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
ああ、そのとおりだ。
女性が目の前に現れる度に騒ぐのは、今のところあまり役に立たないが。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆ダイソン】
『さーせんwww』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
布団の中で微動だにせず静止したまま、数時間が経つ。
メリアが起きるまではまだしばらくかかるだろう。
隣の部屋の客のいびきの音が壁を通して聞こえてくる。
一方、メリアの寝息はスゥスゥと静かなものだ。
雌雄の違いはあるにせよ、同じ生き物には思えない。
そんなことを考えていた、その時だった。
カチャリ、と僕らの部屋の鍵が開いた。
何故だと、一瞬疑問に思ったが即座に起き上がらなかったのが僕の判断ミスだった。
バタン! と大きな音を立てて木製のドアが壁に叩きつけれて開いた。
外からトロルのように大きな男が侵入してきて、ドアに近い方のベッドで寝転がっていた僕に飛びかかってきた。
反応が遅れた僕の両腕の手首を掴み、その巨体で押しつぶすように僕をベッドに拘束した。
振りほどこうと力を入れるが、男の力は予想以上に強い。
ここは魔術で相手にダメージを与えて怯んだ隙に振りほどく!
魔力を集中させようと、魔術回路を動かしたその時――
「暴れるんじゃねえ!!」
大男の怒声が耳に入った瞬間、僕の魔術回路は動きを止めた。
そうか。相手は人間だ。
僕の思考回路の基本ポリシーである「人間を傷つけない」という原則が、僕の魔術回路を縛っている。
マズイ、抵抗する体の出力も戦闘レベルを維持できない!
「クルスさん!」
メリアが跳ね起きる。だが――
「いいから寝ておきなっ!」
もう一人の男がメリアの首を掴んで押し倒す。
さらに、もう一人。
ランタンを持った男が部屋の扉を閉めた。
その時、隣の部屋のいびきが聞こえなくなっていることに気づく。
それだけではない。
酔っぱらいの声や猫の鳴き声が聞こえていた部屋の窓からも音が聞こえない。
この部屋の音を遮断する魔術が発動しているのか?
「フヒヒヒっ! だから女二人だけの旅なんて危なっかしいって忠告してやったんだ」
笑いながらメリアにそう言った男の声、そしてランタンの光に照らされた横顔を見て僕は気づいた。
宿に入る時、僕らに詐欺を働こうとした冒険者風の男だ。
「へへへ……二人共とびきりの上玉じゃねえか。
こいつは金に替えずにしばらく飼ってやるのも悪くねえ」
僕の上にのしかかっている男は舌なめずりをしながら僕の顔を覗き込む。
口から垂れた唾液が僕の頬についた。
「キャアっ!! やめなさいっ!!」
メリアは手を振り回して抵抗するが、歯が立たず両腕を縄で拘束されてしまう。
「いいぞいいぞぅ。
お前さんみたいな高貴そうな顔の女は嫌がってくれる方がそそるんだ。
傷つけられて、汚されて、プライドがポキっと折れたその時に人形みたいな虚ろな目になるときが最高に快感なんだよぉ!!」
男はメリアの頬を平手でパァンと音がするように殴った。
1発……2発……3発……
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『ホムホム! しっかりしろっ!
お前がなんとかしないとメリアちゃんがひどい目にあうぞ!!』
【転生しても名無し】
『あああああ!! クソっ!
俺がその場にいればそんな連中ぶっ殺してやるのに!!』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
こんな時に頭の妖精たちが集まってくるなんて……
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆与作】
『ホムホム! 人間を傷つけられないって縛りがあるだろうがなんとかしろ!
メリアちゃんはお前の大切な人だろ!!
優先順位ってもんがあるだろ!!』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
分かっている! だが、体に指示がうまく行き渡らない!
「さあて、そろそろ服の中がどうなっているか見させて頂こうかねえ」
男がメリアのシャツの胸元に手をかけ、引き裂こうとする。
だが、
「んぐぐぐぐ! な、なんだこの服!?
メチャクチャかてえ!!」
フローシアから貰った服はモンスターの攻撃すら弾く。
普通の人間の力で簡単に破れる代物じゃない。
「なにやってんだよぉ。ちゃんと服は脱がしてやれよ
グフフ、おめえは紳士さが足りねえ」
「スイマセン。兄貴を見習います! ブハハハ!」
男たちは笑いながら、僕らを犯そうとしている。
それはまるで人を苗床にする魔物のように。
魔物? コイツラは魔物?
首をメリアの方に向ける。
メリアは抵抗しているが、シャツがたくし上げられ白いお腹が見えている。
白い肌……
少女……大切な少女……
涙……
「クルスさんっ!! 助けてえっ……!」
メリアの叫びが聞こえた。
その時、僕の知らない僕の体の中にある何かが暴れだした。
ーーーーーー【強制介入】ーーーーーー
【基本ポリシー:限定改変】
【人を傷つけてはいけない:対象】
【大切な人を守るために手段は選ばない:置換】
【”助けて”:起動条件】
【条件達成】
――ーーー【戦闘モード復旧】ーーーーー
全身に力がみなぎる。
魔術回路が駆動しはじめる。
「【ライト・スティンガァァァァ】!!」
僕の放った魔力の槍が、大男の右腕を文字通り”吹き飛ばした”。
血飛沫は天井まで跳ね上がり僕の体は真っ赤に染まる。
「あがあああああああああ!!」
大男は先の無くなった腕を掴んでのたうち回った。
僕はゆっくりと立ち上がる。
「アニキぃぃぃ!!」
「フングググググ!! このクソアマがあああああ!!!」
大男は残った方の腕で殴りかかってきた。
僕はその腕を掠めながら拳を繰り出す。
全体重を乗せた大男の突進を真正面から食い止めるように叩きつけられた拳は、人の頭蓋を叩き割るのに十分な破壊力を持っていた。
大男は顔のありとあらゆる穴からドロリとした液体を垂らして絶命した。
ランタンを持っていた男は即座に逃げ出した。
メリアにのしかかっていた男は既にメリアから離れており、部屋の壁にへばりつくように退いている。
「わ、悪かった!! 俺はこんなことするつもりなかったんだ!!
でも、兄貴がしたいっていうから仕方なく……!」
僕は一歩ずつ、距離を詰める。
「許してくれ! 金なら払う!
なんでもいう事聞く! 俺は、俺は……っ!」
僕は血に濡れた手を再び握りしめる。
「死にたくないっ……!! たすけ――」
僕の拳は壁に叩きつけられた。
先程まで命乞いをしていたソレは首から上がなくなっている。
戦闘モードから通常モードへ移行。
すると、僕は自分自身がホムンクルスの絶対禁忌である殺人を行ったことにようやく気づいた。
僕は人間を殺した……しかも二人も……
僕は人間を守るために作られたホムンクルスだった。
だけど僕は人間を――
「クルスさんっ!」
メリアは僕の背中に抱きついてきた。
自分の服が返り血に濡れるのも気にせず。
「ごめん……なさい…… ごめんなさい……!」
メリアは泣いていた。
どうしてあなたが泣く?
僕の血に汚れた手を、まるで鳥の雛を包むかのように両手で包んで。
ああそうか。
メリアの涙は僕のために流されている。
メリアの肌は僕のために接触している。
これは彼女のくれる優しさだ。
それがループを繰り返しフリーズ仕掛けていた思考回路を正常に戻した。