第65話 僕は予想外の遭遇を果たす
ダリル王子の儀式が行われる祭場はイフェスティオ山の中腹あたりにあった。
早々に目的地にたどり着いた僕は魔力探知をしながら周囲の巡回に当たり、出くわしたモンスターを片っ端から切り捨てた。
そうやって3日が過ぎた頃には祭場の周囲にモンスターは見当たらなくなった。
妖精たちが数えていたところ切り捨てたモンスターは76体。
しかし、竜種には遭遇すらしていない。
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【転生しても名無し】
『デマだったんじゃない?
トカゲを龍に見間違えたとか』
【転生しても名無し】
『かもね。ホムホムの他にも山狩りしている冒険者がいるみたいだけど、そいつらも出くわしていた様子はないし』
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デマかどうかは別にして、ここで一区切りを打とう。
槍はすべて折れたり穂先が割れたりで使い物にならなくなったし、服や鎧に返り血も付きすぎた。
僕自身は大丈夫だが物資の補給は必要だ。
僕は人と同じくらいの大きさのある蜘蛛型のモンスターの頭部に突き刺さった剣を抜き、体液を振り払う。
剣は折れるどころか刃こぼれ一つしていない。
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【◆与作】
『すごいね、その剣。
フローシアさんにもらってからずっと使っているけど全然損耗していない。
物理法則完全無視ってるけどな』
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サンタモニアにも超強度の武器はあった。
武器に【研磨】や【精錬】といった魔術を施し、少々の損傷を自動修復するものはではあるが、剣はホムンクルスと違って食事や代謝を行えない以上、その強度や攻撃力は目減りしていく。
だが、この剣はそもそも損傷しない。
全く違う系統の魔術を施してあるのか、それとも別の力が関わっているのか。
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【転生しても名無し】
『脳内にpgrかましてくる珍剣だし何があってもおかしくない』
【転生しても名無し】
『フローシアちゃんが持っていた剣だしなあ』
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フローシアにはこの剣を返す約束をしている。
アイゼンブルグを奪還できればフローシアの家に行くのも難しくないだろう。
その際は足を運ぶことにしよう。
僕は祭場から一時間ほど歩いたところにある集落、ニルス村を訪れた。
事前に聞いていたことだがこの集落の付近には整備された温泉が点在しており、湯治や観光を目的にした旅行客が数多く訪れるらしく、小さな村ではあるが豊かで活気にあふれているという。
噂通り、村には街からの旅行客と思われる人間が行き来しており、彼らを相手にした食べ物や名産品の販売を行う村人のやり取りが見られる。
僕は村の中でも比較的大きな宿に入り、泊まる手続きをしようと宿主に話しかけたのだが、
「すまないね。今日は帝都からの客でいっぱいなんだ」
と、聞かされてしまった。
仕方ない、と僕は諦め、宿を出ようとしたその時だった。
「そこの美人さん、よければ相部屋どうですか?」
と、声をかけられる。
女の声だが知らない人間と同じ部屋で寝泊まりするつもりはない。
断ろうと、声の主の方を向いたのだが――
「……どうして、ここに?」
「お仕事です。むしろクルスさんこそなんでここに?
それに……血まみれじゃないですか!?
なんでこんなことに!?」
僕に声をかけてきたのはなんとメリアだった。
メリアは返り血を浴びた僕のマントや鎧を見て青ざめるが、僕自身が血を流している訳でないことに気づき胸をなでおろした。
「僕は……皇后の命令の下準備だ。
ちゃんと許可を得てここにいる」
「そうですか。お仕事の内容は聞きませんね。
なんでも話していいわけじゃないでしょうから。
で、相部屋どうですか」
いたずらっぽく笑うメリアに僕は苦笑する。
「普段どおりだ。メリアがいいのなら」
僕はメリアの泊まっている部屋に着くとマントと鎧を外した。
鎧の下に着ていた服も血まみれになっている。
後でこれも洗わないとな。
僕は部屋の外に出ようとするが、
「待って! ください……
そんな格好で街に出たら大騒ぎですよ」
メリアに止められた。
「だが、着替えの服はない。
もうすぐ店が閉まってしまう」
メリアは頭に手をやって、うーん、と考え込んで、
「だったら私の服を着て見ますか?」
と笑った。
「そうさせてもらう」
「ええっ!?
いや、私の持っている服って」
「別に外に出て騒ぎにならなければなんでもいい。
裸で歩き回るよりはマシだろう」
「は、はあ……冗談のつもりだったんですけど……」
メリアは独りごちりながら、トランクを開けて中から服を取り出した。
僕は武器屋で代わりの槍を選んでいる。
軍で使われているものよりは若干質が落ちるが、頑丈そうなものを3本見繕って店主に売ってもらうよう尋ねた。
「こんなもん何に使うんだい?」
「槍を使ってやることなんか一つしかないと思うんだが」
店主は笑いながらも代金を要求し、僕は支払った。
街を歩くと行き交う人が皆僕のことを怪訝そうな目で見つめる。
田舎だから他所の人間が珍しいのかと思ったが、ここは観光客も多い。
何故だろうか?
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【転生しても名無し】
『ホムホム、それはね』
【転生しても名無し】
『キラキラしたドレス着たお嬢さんが槍担いで歩いていたら当然だと思います』
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服装の問題か。
メリアが貸してくれた服は夜会用のイブニングドレスだった。
紫色のタイトなデザインでスカートはメリアなら膝が隠れる丈なのだろうが僕の場合膝が丸出しになっている。
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【転生しても名無し】
『いや、似合っているよ。
TPOに絶望的にそぐわないだけで』
【転生しても名無し】
『メリアちゃん、ホムホムを女装させることに目覚めたんじゃないだろうな』
【◆オジギソウ】
『気持ちはわからんでもなかとです』
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周囲の好奇の視線と頭の中の妖精たちの喧騒を浴びながら僕は宿へと戻った。
部屋に戻るとメリアが書類の山に埋もれながら格闘していた。
「ああ、クルスさんーーって武器屋に行ってきたんですか!?」
メリアは僕の槍を見て声を上げた。
僕がそうだと返事すると、あはは、と乾いた笑いが漏れた。
「大変そうだな」
「ええ。千年祭でこの先の祭場で儀式を行うんですけど、そのための人足の手配とか、温泉施設の改修の仕様作成とか色々山積みで……」
メリアの目の下にはクマが出来ている。
忙殺されて眠れていないのだろう。
僕はメリアの向かいに座り、書類に目を通す。
「あ、あのこの書類は一応関係者以外の方には見せるようなものでは」
「僕は関係者だ。
儀式というのはダリル王子のものだろう。
王子の護衛を務めることになっている」
と、言うとメリアは驚いた表情を見せた。
「だから、これは自分の務める任務の情報確認だ。
手伝っても問題ないだろう」
メリアは口元を緩めて、お願いしますと頭を下げた。
一時間後ーー
「クルスさん、皇后陛下の護衛の他に文官の仕事もされているんですか?
文書作成も計算も完璧ですし……
普段の5倍は作業が捗りましたよ」
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【◆KAN】
『日本の公務員ナメんなこのやろー。
膨大な数の行政文書を読み込み、工事やらイベントやらシステムやら業種問わず民間が持ってきた企画書、提案書を日夜精査し、同じ仕事を3年としない異動だらけの環境で働いてるんだからな』
【転生しても名無し】
『↑何世紀も昔の文明レベルの人間にマウント取るなんて……
これだから公務員は……』
【転生しても名無し】
『まあまあ。実際KANは優秀だったじゃない。
な、ホムホム?』
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ああ、助かった。
おかげでメリアを休ませてやれる。
「お礼にこの村のオススメの温泉を案内しますね。
クルスさん、お風呂好きでしょ?
ベルンデルタを出た時に言ってましたものね。
イフェスティオの温泉に入りたいって。
ちゃっかりお家に専用風呂まで作ってるし」
「そうだな。フローシアの家の風呂。
初めて心地よい時間というものを知った。
あと、ブレイドの家の風呂も良かった。
広くて、肌に触れる風がまた心地よかった」
旅の思い出が頭をよぎる。
僕の人間らしい感情のほとんどはあの旅の中で培われた。
風呂の気持ちよさは僕に芽生えた感情の中でも初期のものにあたる。
「クルスさん、行きますよ」
メリアに急かされて僕は部屋を出た。
宿を出て僕たちは山道をかなりの距離を歩いた。
健脚のメリアだから溌剌と歩いているが、普通の人間ならへこたれている距離だろう。
「ふう……思ったより遠かったですが、到着です」
メリアが指をさした先の岩場には湯気が立っている。
そこは人の手が入っていない天然の温泉だった。
広さはブレイドの家と同じくらいで、お湯はやや黄みがかかった透明色。
月明かりが湯面を照らして、鏡のように夜空を反射していた。
「村の近くの温泉だと男女分かれているので、クルスさんが男湯に入るとそれはそれで騒ぎになりそうなので」
メリアは苦笑した。
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【転生しても名無し】
『ああ、俺もホムホムが男湯に入っていたらガン見するわ』
【転生しても名無し】
『俺は自慢のゲイボルグを視界に入れようと無駄にうろつくわ』
【転生しても名無し】
『↑その粗末な鉛筆隠せよ』
【◆江口男爵】
『分かってねえなあ。
近づいて周りのお湯を飲むに決まっているだろう』
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妖精たちの言うことはよくわからないが、男湯は危険なものだと感じる。
僕はドレスを脱いで、温泉に浸かった。
湯の温度はかなり熱いが水の柔らかさを感じるほどまろやかな湯に体は包まれ、全身の力が抜けるようだった。
僕は岩に背中を預け、まどろみながら空を見上げる。
大きな月が空に浮かんでいる。
家の風呂と違って、やはり外風呂は開放感がある。
貸切状態でこんな風呂を味わえるなんて、最高の贅沢だろう。
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【◆江口男爵】
『よし、お風呂を堪能したところでメリアちゃんの元に突撃だ!』
【◆与作】
『ホムホム、江口男爵は妖精に見せかけた悪魔だ。
言葉を聞いてはいけない』
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ああ、薄々そんな感じがしていた。
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【◆江口男爵】
『誰が悪魔だ!
俺はホムホムのことを思っていやらしいことを日夜考えているのに』
【転生しても名無し】
『お前、リアルの生活大丈夫か?
シャバに溶け込めているか?』
【◆江口男爵】
『あの、犯罪者扱いするのやめてくれる?
エロいことくらいみんな考えるでしょ』
【◆与作】
『エロいことしか考えていない人間は危険人物だろうが』
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僕の旅には仲間がいて、そして妖精たちがいた。
だから僕は感情を得るに足る感情の機微を学ぶことができた。
だけど、バースは……
「ク、クルスさん……」
メリアが僕の後ろから遠慮がちに声をかけてきた。
振り向くとメリアは白い下着のような服を着て立っていた。
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【転生しても名無し】
『意外! 突撃してきたのはメリアちゃんだった!!』
【転生しても名無し】
『●REC』
【転生しても名無し】
『うひょーーーー水着! 水着イベだ!
世界観的に見ることできないと諦めていた水着メリアちゃんゲットだああああ!』
【◆江口男爵】
『チッ、水着か。
(な、思いは言葉にしていたら現実に影響を与えるんだよ。)』
【◆与作】
『逆だぞ』
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「これ、千年祭の期間中、この村に訪れる人が増えると思うので、男女が一緒の風呂に入れるように考えた衣装なんですけど、どうですか?」
僕はメリアの体を頭からつま先までじっくりと眺める。
すると、何故だろうか。
思考回路が痺れたようにうまく回らず、体が自分のものでないくらい重く、そのくせ神経が過敏になったように自分の息をする音や顔に当たる風がやけに気になってしまう。
「いい……考えだと思う」
かろうじてそれだけ言うと、僕は視線をメリアから外した。
妖精たちが騒ごうが知ったことか。
チャプン、と静かな水音を立てながらメリアは足をつけ、ゆっくりと体をお湯の中に浸けた。
僕のすぐ隣で。
「あは、熱いですね。
でも、気持ちいい……」
メリアの漏れるようなため息が耳朶を打つ。
横目で見ると、恍惚とした表情でお湯と戯れている。
見ていたいと欲しているのに、何故か見てはいけないと抑制する思考が働き、僕は混乱を悟られるのを避けるように視線を空にやった。
沈黙が訪れる。
互いの息の音と微かな水音しか聞こえない。
頭の中では妖精が騒いでいるが、気に留めていられない。
下手に悪魔の囁きを聞いてしまうと、取り返しがつかなくなる予感がした。
「こうやって二人きりで過ごすのは本当に久しぶりですね」
「家にはリムルがいるからな。
おかげで家事はしてくれるし助かっているが」
「ええ。私も妹ができたみたいで楽しいです。
姉妹には嫌な思い出しかなかったですから……」
レクシーのことか。
ファルカスのおかげか、最近はメリアを敵視することもなくなり、屋敷で出くわすことがあっても突っかかってくることがないらしい。
「リムルちゃんと言えば、私、教会の子供達の行方を調べているんですけど」
「どうだった?」
「ほとんどはブレイドさんが依頼した冒険者に連れられて、レイクヒルの街で働いているようです。
教会出身の方が冒険者ギルドにいたらしくてその人が口を利いてくれたとか。
あのマルコくんはその冒険者の人に付いて見習いとして働いているそうです。
リムルちゃんに話してあげたらとても喜んでいましたよ」
「それはよかった。
だが、ほとんどというのは?」
僕の問いにメリアは顔を曇らせる。
「何人かはその冒険者の人が現れた時には姿を消していたそうです。
リムルちゃんみたいに逃げ出したのか。
もしくは誰かにさらわれてしまったのか……
まだ、調べはついていません」
口にすることはないがメリアは教会の子供達を助けに行かなかったことを後悔している。
その気持ちは否定するつもりはないが、自分の罪だと思い込んで責め続けるのを見るのは辛い。
「大丈夫だ。
あの教会の子供達は強い。
アルフレッドやテレーズは彼らが生きていけるように教育している。
だからメリアは彼らをもっと信じてやればいい」
「ありがとうございます……」
メリアはそう言って、頭を僕の肩にもたれかけさせた。
濡れた髪と固い頭の感触が肩に伝わり、体が熱くなるのを感じた。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『ここにいるのはホムホムとメリアちゃんだけなんだよなあ(ゲス顔)』
【転生しても名無し】
『女にそこまでさせといて何もしないのは男の恥だぞ!』
【転生しても名無し】
『あれ、そもそもホムホムって男だったっけ?』
【転生しても名無し】
『ホムホムはふたなりだよ。
どっちもついているんだよ』
【◆江口男爵】
『女の子同士はなあ、指と舌で愛を紡ぐんだよ』
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妖精も悪魔も黙ってくれ。
……そういえば、ブレイドが愛し合っているもの同士は体をくっつけることで、その愛を確かめることができると言っていたな。
で、ファルカスとレクシーはあんなに結びついていたわけで……
もし……僕がメリアの体に触れたなら、どんな反応をするのだろうか。
抱き合ったことはある。
だけどあの時は厚い布地に阻まれて互いの肌が触れ合うようなことはなかった。
今、僕は裸だしメリアも肌をほとんど晒してしまっている。
もし、この状態で身体をくっつけたらメリアは、僕たちはどうなってしまうのだろう。
僕は震える指先をメリアの肩に伸ばし、触れた。
メリアは一瞬、身体を強張らせたが抵抗しなかった。
だから、手のひらで包むように彼女の肩にしっかりと触った。
お互いの体温が触れ合った部分を通じて対流しているような錯覚を覚える。
どうしようもないもどかしさと気持ち良さが波のように繰り返し襲ってくる。
メリアはどうなのだろうか、と首を向けてメリアの表情を伺う。
すると、上目遣いのメリアと目があった。
その表情は不安と期待が混じっているように見える。
僕はどんな顔をしているのだろうか。
少しの間見つめ合うと、メリアはまぶたを閉じた。
これは……
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【転生しても名無し】
『キスしろおおおおおおお!!』
【転生しても名無し】
『キスだ! 口付けだ! 接吻だ! ベーゼだ!
唇と唇を合わせるんだ!』
【転生しても名無し】
『早く間に合わなくなっても知らんぞおおおおおお!!』
【◆オジギソウ】
『最初のキスは軽く、メリアちゃんの上唇と下唇の間に上唇を差し込む感じで。
1秒くらいしてから離す。
次にキスは下唇を差し込んで、すぐ離す。
で、次は唇全体を重ねて、左右になぞるように』
【◆与作】
『↑おい! 全部語るな!
マニュアル通りのキスほど冷めるものはねえ!!』
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……さっきまで邪険に扱ったお前らに頼るのは心苦しいが、正直助かる。
僕は顔を近づけて、メリアの唇を注視する。
薄いピンク色の水気を帯びた柔らかそうな唇。
まじまじと見つめるのは初めてだったが、こんな形をしていたのだなと再認識した。
美醜の区別をつけるのは得意ではないが、形がいいと思う。
触れたいと思う。
触れてほしいと思う。
可愛い、という言葉の意味がわかった気がする。
僕はゆっくりと間合いを詰めるようにメリアの唇に近づく。
目を閉じたメリアも近づく僕の熱を感じているように唇を小さく震わせている。
そして、唇が重なろうとしたーーその時だった。
強い風圧が僕らを襲い、次の瞬間、
ザッブーーン! と大きな音を立てて温泉の中に何かが飛び込んだ。
「キャアッ!」
メリアは悲鳴をあげる。
僕は襲ってくる波からメリアを庇うように立ちはだかる。
波は僕の全身を打ち、それが途切れた時、僕の視界に飛び込んできたのは巨大な真紅の肌をした竜だった。
「レッドドラゴン……」
口をつくようにその名前は出てきた。
あれだけ探し回った標的がよりによってこんな油断しきって、メリアまでいる状況で出くわすなんてどういう運の悪さだ。
僕は歯をくいしばり、岩の上に置いた剣を取った。
次はメリアを逃さなければ。
「メリア……動けるか?」
僕の問いにメリアはなかなか返事をできなかったが
「ご、ごめんなさい……
逃げなきゃいけないって……邪魔になるって……
分かっているのに……
こ、腰が抜けて……動けません」
熱い温泉に入っているのにメリアは凍えるように歯をガタガタと震わせている。
それも当然と思えるくらい目の前にいる竜には圧倒的な威圧感がある。
体長は尾を含めて10メートル強。
胴体の部分は巨大な一枚岩のようで鋼のような光沢を放つ鱗がびっしりと張り巡らされている。
首の周りには襟巻のような巨大な放熱板が巻かれており、頭部にはツノのように突き出した突起が二本横に並んでいる。
戦わなくても分かる。
これは僕の手に負える相手ではない。
アイゼンブルグの森で出くわした大蛇などこの龍の前ではミミズのようなものだ。
魔王級どころか魔神級の紛れも無い怪物だ。
僕が全神経を総動員して睨みつけていると、龍は横目で僕をにらみながらギュオオと唸り声を繰り返しあげた。
これは僕たちを威嚇しているのか、それとも獲物を前に舌なめずりをしているのか。
僕には知る由もない……
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【転生しても名無し】
『……あのー、ホムホム?
本当にわからないの?』
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……どういう意味だ?
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【転生しても名無し】
『俺たちさ、ホムホムの見たり聞いたりした言語、全部俺たちにわかる言葉に翻訳されて伝わるの。
前にも説明したけど。
そのせいか、その竜の言っていること分かるんだよね』
【転生しても名無し】
『モンスターの雄叫びとかは翻訳されないんだけど、その竜の唸り声?
それは翻訳されているよ』
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……本当か?
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【◆ミッチー】
『こんな状況で嘘つくわけねえだろ!
さっきは
「先客がいたか。
二人きりのところ邪魔したな」
って言っていた』
【転生しても名無し】
『そういや、イルカも人間が分からない言葉使ってコミュニケーションとってるっていうし、この竜も竜語? 的なものを発しているのかな』
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なるほど……知性が人間並みに高いのならば可能性はある。
だったらコミュニケーションは取れるのだろうか?
「僕の言葉が分かるか?」
僕は竜に呼びかける。
すると、龍は返すように唸り声を上げた。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『あ……うん。
人語も理解できるみたい。
あと、友好的っぽい。
とりあえず、食われる恐れはなさそう』
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そうか、だったら竜の言葉を全部翻訳してくれ。
一言一句、ニュアンスが変わらないようにそのままで。
僕の呼びかけに、妖精たちは、
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【転生しても名無し】
『い、一言一句ですかあ……』
【転生しても名無し】
『命かかってるからもちろんやるけど……』
【◆KAN】
『忖度なしで文字起こしするから。
だから疑うなよ』
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なんだか歯切れが悪い。
とりあえず、竜に話しかけよう。
「僕たちはあなたに危害を加えるつもりはない。
だから、見逃してはもらえないだろうか」
僕の言葉に、龍は長い唸り声で返す。
さて、なんと言っているのか。
僕は覚悟を決めて、妖精たちの言葉を聞く。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆KAN】
『ん。オッケー♪
いやー、話が分かる人間で助かっちゃうねえ。
あーしの姿みたらおしっこチビるか、狂ったように襲いかかってくる連中ばっかだからさー。
よかったら、おはなししよーよ。ねっ!』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
……おい、お前らこんな時に――
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【KAN】
『マジなんだって!
俺も信じられないんだけどそのお方の言葉、こういう風にしか聞こえないんだって!』
【転生しても名無し】
『なんか明るい女子高生みたいな喋り方してんなあ』
【転生しても名無し】
『この竜を擬人化したイラストを描いてくれる絵師はおらんかねえ』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
僕は脱力して温泉の中に座り込んだ。
「メリア、大丈夫だ。
この竜は僕たちに危害を加えるつもりはないらしい。
あと、僕らの言葉も分かるし、僕も彼……彼女の言葉が分かる」
僕がそう言うと、メリアは半信半疑という目で僕と竜を見比べる。
竜は再び唸り声を上げて僕に語りかけてくる。
頼む。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆KAN】
『で、二人はカップル?
どっちも可愛いねえ。
あーしはビアンにも理解あるから安心して☆
ねえねえ、どうせだからさっきの続きしちゃってもいーよ。
モンスターの交尾よりもいいもの見れそうだしー』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
改竄するな!!
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆KAN】
『改竄なんてやらんわ!』
【転生しても名無し】
『いや、わかんねーよ。こいつ公務員だし』
【◆KAN】
『公務員だからって敵視するのやめろよ!
ホムホムだって公務員みたいなもんじゃないか!』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
「あのー、クルスさん……なんて言っているんですか?」
「……気にしなくていい」
僕は頭の先まで潜って、メリアの追求を避けた。
僕は竜とここに来た目的も含めて会話した。
時折、メリアに翻訳をしながら。
『なるほどねー。
まあ、あーしが出てきたら普通の人間はチビっちゃうよね。
身を守るための行為だから別に敵意持ったりしないよ。
かといって、あーしの生活を邪魔されたくはないけど』
「気持ちは分かる。
だが、あなたが人間の前に姿を現せば人間たちは怯え争いが生まれる。
あなたが見境なく人間を襲うような獣ならば気にも留めないが、あなたには言葉が通じるし、他者の気持ちを解そうとする心がある。
そんなあなたが人間を殺すのも逆に殺されるのも僕は見たくない」
僕の言葉に竜は小刻みに唸り声を上げた。
『嬉しいねー。人間にあーしのことを気遣ってもらえるなんてさ☆
分かった分かった。
とりあえず、その王子様の儀式が終わるまではあーしはこの辺出歩かないようにするよ。
終わったあとはしーらない』
とりあえず、僕の目的はこれで達成された。
だが、人々が竜に対して恐怖を持ち、生息圏が重なっている以上、また争いが起こる可能性がある。
さっきから竜語を聞いている僕からしても竜語を理解できる人間がいるとは思えない。
竜が人間の言葉が分かると言っても、竜の言葉が人間に伝わらない以上コミュニケーションは成立し得ない。
どうしたものか、と頭を悩ませる。
「クルスさん、クルスさん」
メリアが僕に呼びかける。
「なんだ?」
「いっそ、この竜……名前ってあるのですか?」
メリアが竜に問いかけると、竜はギャオスと鳴いた気がした。
「ギャオス……様でよろしいですか?」
『うんうん。人間の口から聞くと新鮮だねー。
で、いっそ何さ?』
メリアに竜の言葉を伝える。
「いっそ、人間の守護神になりませんか?
そうすれば、ギャオス様に刃を向ける人間はまずいなくなるでしょうし、貢物などもお納めさせていただくこともできるかもしれません。
双方に益があるかと思いますが」
『そりゃあね、あーしも竜だからさー。
龍神様! みたいな感じで崇めてもらえたら嬉しいし、ちょっとは手助けしてあげなくもないけどね。
でも、ムリじゃね?
そーいうのって時間がかかると言うか、歴史の中で自然とできあがるもんじゃね?』
ギャオスの言葉は軽い調子だが的を射ている。
メリアは単純だから僕の言ったことを鵜呑みにしてくれているけど、普通の人間なら信じようとしないだろう。
「クルスさん、なんだか失礼なことを考えていません?」
「……別に」
僕はプイと目をそらす。
「とりあえず、またご提案に参ります。
次の満月の夜にまた、この場所でお会いできますか?」
『オッケー☆
別にあーし的には人間みんなと仲良くできなくてもクルスくんとアルメリアちゃんが遊びに来てくれたら十分なんだけどね。
ありがと、久し振りに楽しかったよ♪』
そう言って、ギャオスは立ち上がり、大きな翼を羽ばたかせて空へと消えていった。
「ふぅ……のぼせそうです」
ため息をつきながらメリアはよたよたと温泉から上がる。
かなりの長湯になってしまった。
僕はタオルで頭を拭くメリアを見つめていたが、とんでもないことに気づく。
「メリア……今気づいたがその湯浴み用の服はダメだ……」
「え? 何でです?」
メリアはキョトンとした顔をする。
「その……その服、湯に浸かると……透けるんだ」
「へ?」
メリアは視線を自分の胸元にやる。
白地の布は湯に濡れて肌に張り付き、その、メリアの胸部の……左右の乳房の中央にある……突起がーー
「…………〜〜っ!!」
メリアは胸元を両手で押さえ、岩陰に向かって走っていった。