第64話 僕の残された時間の過ごし方
その夜、僕はベッドから抜け出し風呂に浸かりながら考え込んでいた。
皇后の話と教会で起こったことを合わせて考えると、バースはユーグリッド族の血とイフェスティオ王家の血を継ぐ英雄の血統であると言うことだ。
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【転生しても名無し】
『マジでややこしいことになってきたなあ……
バースはもちろんアルフレッドやテレーズもそんなことは知らないだろうし。
皇后がそのことを知ったらまた悪い病気が再発しかねない。
とはいえ、バースがその英雄とやらだとすると世界の平和のために探し出すべきなんだろうけど』
【転生しても名無し】
『てか、皇后の話もどこまで本当か……
自分の子供の不始末に割り切る理由を求めて与太話を信じ込んでるってのもありそうじゃね』
【転生しても名無し】
『名付け元の産婦人科医さんはどう思うよ』
【◆バース】
『ワイのコテが異世界の赤ん坊の名前になったかと思いきや、その赤ん坊が英雄に祭り上げられそうになっている件……』
【◆オジギソウ】
『すまん。腹痛いくらい笑えるw
で、お医者様的な見解は?
バースは英雄になれると思う?』
【◆バース】
『遺伝学は専門ちゃうけど、遺伝子の組み合わせによってある程度狙って子の性質を形作ることはできる。
身近な例で言えばコメの品種改良とかな。
やけど、皇后が言っとるような突然変異を狙ってできることは思えん。
遺伝と才能の因果関係は世の中で思われているものほど影響与えるものでもないんや。
もちろん体格や筋肉の質みたいなものには少なからず左右されるけど、それだけで天下取れるってことはない。
親も子も超一流の名選手ってなかなか無いやろ。
競技人口少ないスポーツならまだしも、やきうや球蹴りではほぼ皆無や。
ぶっちゃけ才能の有無は医学やなくてオカルトの部類の話やと思っとるよ」
【転生しても名無し】
『でも、テレーズ様の魔術の凄さはユーグリッド族の血によるものなんでしょ。
だったらバースがそれを継ぐことも』
【◆バース】
『魔術に関する遺伝子が優性遺伝子ならばあるかもしれんが……
ぶっちゃけユーグリッド族の事は意味分からん。
あのメラニン色素を無視したような銀色の髪や母体をボロボロにする一年半の妊娠期間や筆舌に尽くしがたい美貌とか生物学に喧嘩売ってるような存在やからな』
【転生しても名無し】
『最後wwww』
【◆ミッチー】
『俺はユーグリッド族と王家の血が云々の下りは、後世の創作だと思っている。
王権神授説ってあるだろ?
王は神から人々を統治する役目を与えられたって奴。
アレは王による支配を宗教と絡めて正当化したわけだけど、同じ理屈で、皇帝の一族が権力を継承していけるようにその血脈を特殊なものとして扱うよう仕立て上げられたんじゃねえかな』
【◆野豚】
『ありそうな話だ。
歴史は時の権力者が作るって言うもんね。
でもこの世界には超越者みたいな人間もいるし、一概に創作とも言えないんじゃない』
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妖精たちの多くはユーグリッド族とイフェスティオ帝国の血の奇蹟に対して懐疑的だ。
だが、一つ引っかかることがある。
教会を襲撃してきたエステリアのことだ。
魔王を自称する彼女が手ずから教会に攻め込んできたのに理由があるとすれば、それはユーグリッド族であるテレーズの抹殺だと僕は思っていた。
だが、エステリアが警戒していたのは強力な魔力を行使するテレーズなのか、それとも英雄の血統にあるバースなのか。
後者だとすれば、魔王軍にとってもバースは超重要人物となる。
僕は湯の中に頭の先まで浸かった。
目を閉じて、バースが生まれた時の姿を思い出す。
小さく目を開けることもできない無力な生き物。
だけど、無限の可能性を秘めた命。
英雄であろうとなかろうと、生まれ落ちた命は重く、またたくさんの想いを背負った存在だ。
バースのこれからを考えると王家に伝えるべきだろうか。
人間相手ならともかく魔王相手にテレーズとアルフレッドだけで守りきるのは困難だ。
かといって、王宮には様々な思惑が交差している。
人類の英雄という大きすぎる存在を帝国の王族や貴族は扱いきれるのだろうか。
もしバースが真に英雄だとすれば、ユーグリッド族の捕獲は帝国の至上命題になりかねない。
その血の価値を証明された王族は増長するだろう。
第二、第三のコリンズを生むことになるかもしれない。
「プハッ!」
僕は水面上に出て大きく息を吸い、髪の毛をかきあげる。
現時点で、この事を把握しているのは帝国で僕だけだ。
皇后の話をメリアやリムルに伝えるわけにはいかない。
下手を打つと、彼女たちが危険に巻き込まれることになる。
僕がバースたちの捜索にいって事の真偽を確かめられればいいのだろうけど、目立った動きは皇后に感づかれる。
つまり……現状で僕に打つ手はない。
バシャンと足で水面を打った。
翌朝、王宮からの遣いがやってきて今日の昼から僕とリムルに王宮の仕事に復帰するようにとの指令を受けた。
僕はメリアを連れて王宮のダリル王子のいる部屋に向かった。
乳母の膝に座って絵本を読んでいた王子はリムルを目にすると一目散に駆け寄って抱きついた。
「リムル! よく帰ってきてくれた!
余はそなたを待っておったのだぞ!」
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
これからもお側に仕えさせていただくことお許しください」
「うむ! 許す!」
そう言って、リムルの胸に顔を埋めるように甘えていた。
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【転生しても名無し】
「おいガキ。そこ代われ」
【転生しても名無し】
「うわー……初めてダリル王子見たけど、超かわええ……」
【転生しても名無し】
「尊い……」
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栗色の巻き毛は鳥の羽根のようにふわふわしており、白く柔らかそうなほおには薄い紅色が差している。
クリクリとした大きな瞳には瞬くような光が宿り、彼の持つ絵本に出てくる妖精を思わせる容姿の持ち主だ。
「そなたがクルスか?」
「ハッ、クルス・ツー・シルヴィウスにございます」
僕は自分の腰ほどの背丈しかないダリル王子にひざまづいて頭を下げる。
「イスカリオスにも迫る剣の使い手と聞いておったが、お姫様のようだな」
と、ダリル王子はからかうように僕の顎を掴んだ。
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【転生しても名無し】
「何、この坊ちゃん!
3歳にしてこの手の早さは!」
【転生しても名無し】
「気をつけろホムホム! 小さいナリでもイフェスティオ王家の男だぞ!
コリンズの甥っ子でもあるわけだからな。」
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「王子、初対面の人の顔を気安く触るのはお行儀が悪いですよ」
リムルがたしなめるとダリル王子ははにかむように笑った。
「ああ、すまなかった。
綺麗なものを見るとつい触れたくなるのが癖でな」
「いえ、お気になさらず」
僕は立ち上がり、部屋を後にしようとした。
「クルス、よろしく頼むぞ」
何をだろう?
皇后の警護のことだろうか。
それとも騎士としてちゃんと勤めよということなのだろうか。
「心得てございます」
とりあえず返礼をし、僕は部屋を出た。
普段どおり、皇后の護衛として庭園で皇后の水やりに付き合っていると、突然その話は切り出された。
「ダリル王子の警護……ですか」
「うむ。お前なら何かあっても対処できるだろうからな」
千年祭にてダリル王子は帝都の背後にそびえるイフェスティオ山の祭場にて健康と成長を祈願する儀式を受けるらしい。
今回は時期が重なったこともあり千年祭の催しの一つとしたらしいが、もとより王室の子供が無事に3歳を迎えるとこの儀式に参加するのは伝統であり、義務であるとのことだ。
「お前の他に、ベイルバインとガルムをつけることになっておる。
ベイルバインは名門貴族出身の宮廷魔術師でガルムは冒険者上がりの騎士だ。
両者とも実力はお前にひけをとらんだろう」
ベイルバインとガルムは名前を聞いたことがある。
どちらも超越者に近い実力の持ち主だとか。
「……戦力的に過剰ではないですか。
二人とも帝都の待機戦力の中ではトップクラスの実力の持ち主でしょう。
まるで、何かを討伐しに行くようなーー」
「察しがいいのう。話が早くて助かる」
皇后はニヤリと笑って、話を続ける。
「未公表ではあるが、イフェスティオ山で竜種の目撃情報が寄せられている。
推定されるのはレッドドラゴンと呼ばれる地龍だ。
奴らは何年かに一度、行動を活発にする時期があり、イフェスティオ山にある集落や温泉に浸かりにきた観光客が多く犠牲になる。
一応、山狩りはしているが未だ成果はあげられていない」
「ならば、ダリル王子の儀式を先延ばしにはできないのですか。
竜種ということであれば息吹も吐くでしょうし、王子を守りきれるとは限りません」
僕の意見に対して皇后は鼻で笑う。
「さっきも言ったろう。
これはダリルが健康であることを示す儀式だと。
延期などすれば、お体が弱いだの持病があるだの好き勝手なことを流言されてダリルの今後に影響を与える。
ただでさえ、宮中では後ろ盾も少なく、吹けば飛ぶような立場の子だ。
王族として生きる以上避けては通れない、あの子自身の戦いだな」
「3歳の子供に命がけの戦いをしろと」
「孫を思う老婆をイジメて楽しいかい」
皇后は肩をすくめてそっぽを向いた。
さっき、ダリル王子が言っていたのはこういうことか、と嘆息する。
竜種、最低でも魔王級モンスターに類する戦闘力を持つ魔獣だ。
体は頑丈な鱗で守られており、上位魔術に相当する広範囲の攻撃手段であるブレスを放つ。
一般兵の集団では歯が立たないことから討伐には上位冒険者等の超越者と目される者で隊を組むことが多い。
まず、命がけの任務となることだろう。
「できれば、その祭事の前に討伐できませんか?」
「無論、できるならそれに越した事はない。
だが、竜種との戦いは超越者と言えども危険が伴う。
まもなく始まる一大作戦の前に戦力を損なう事は避けたい」
「一大作戦?」
僕の言葉に皇后はキッと目を見据え、口を開く。
「まもなく、討伐軍を率いたイスカリオスが帰ってくる。
戦果はミドレニア諸島の奪還成功及び周囲の制海権を確保。
よって、ソーエンとサンタモニアを行き来する海路が復活し、アイゼンブルグを孤立させることに成功した」
それはつまり……
「来月、7日間に渡り、行われる千年祭のフィナーレは帝国軍の行軍パレードで締められる。
その場で皇帝は高らかに宣言するだろう。
アイゼンブルグ奪還作戦の決行を」
僕は周囲を見渡す。
秘書官のファリシアすら連れてきていない。
この場にいるのは僕と皇后の二人だけ。
幸い、誰にも聞かれてはいないようだ。
「陛下。ことが事です。
あまり軽々しく口に出さないでください。
そもそも今の段階で私にお話する必要はないかと」
「フッ、妾と貴様の仲ではないか。
お互い隠し事はなし。
それで良かろう」
そう言って皇后は笑みを浮かべる。
「なぜ、僕をそこまで信用するのですか。
……コーリニアスのことといい、口が軽すぎます」
「情報の共有だよ。
お前は家のしがらみも無ければ余計な野心もない。
話す相手にはうってつけだーーっ!」
皇后は苦しそうに胸を押さえ込み、その場にうずくまった。
「陛下!」
僕は駆け寄り、彼女の背中に手を当てる。
「し、心配するな……
たい、した……事はない」
口ではそういうが深くもがくように息をするその姿は普通ではない。
僕は彼女を抱きかかえ、寝室へと連れて行った。
寝室のベッドの上で皇后はようやく平常時の呼吸を取り戻した。
「妾も70近い……いつ迎えが来てもおかしくはない……
だからクルス……
お主はそばにいておくれ……
帝国の……人類の側に立って……我々を脅かす者たちと戦っておくれ」
目をつぶったままうわごとのように僕に語りかける皇后を、僕は複雑な気持ちで見ていた。
皇后は無慈悲で僕の知っているだけでも残虐なことを繰り返している。
それも彼女の人生においてほんの一部に過ぎないのだろう。
だが、彼女は王室や帝国、ひいては人類のためにその命を捧げ続けて来た。
皇帝や王太子、家族の男たちが軍を率いて戦う裏で権謀術数が渦巻く王宮や貴族社会をコントロールし、国を支え続けて生きてきた。
人も自分の心さえも殺し続けて。
身分の高い人間だからではなく、その苛烈な生き様に僕は敬意を払う。
「分かりました。
僕の命が尽きるまで、あなたにお仕えする事を誓います」
帝国と言う国に自分の身を捧げるつもりはない。
だが、帝国の中で生きる人々にとって国は防衛装置であり、生活の場所であり、精神的な拠り所となっている。
つまり、帝国を守ることが人々を、僕の守りたい人間を守ることに繋がる。
だから、僕は帝国を守ろうとする皇后に仕えることが正しい選択であると判断する。
皇后は僕の返事に満足したように、微かに微笑んで眠りについた。
その夜、家に帰った僕はメリアにしばらく家を空けることを伝えた。
「そうですか。ちょうど私も明日からしばらく泊まり込みの仕事だったんですよ。
リムルちゃんも当分王宮に詰めることになるのでしたね」
「ハイ。しばらくお休みさせていただいた分、取り返さなくてはいけませんので」
遅い晩餐を取りながら僕らは会話をした。
食事が終わると、リムルは食器を持って炊事場に下がり、洗い物を始める。
「クルスさんは皇后陛下のお気に入りで、リムルちゃんもダリル王子の覚えがめでたいようですし、こうやって3人で食卓を囲む機会も減っていくかもしれませんね」
「仕事がうまくいっているならいいことだろう。
リムルには早く一人前になって、一人で生きていけるようになってほしい。
僕の保護下にいつまでも置いてやれるわけじゃないから」
そう言った後、僕はしまった、と思った。
僕に残された時間が一年も残っていないことをメリアはまだ知らない。
ならば、早くリムルを追い出そうとしていることは不自然に思われるかもしれない。
「……そうですよね。
寂しいことですけど」
メリアはそう言って、目を伏せた。
やけに察しがいい気がするが、もう感づかれてしまったか。
「メリア、その……だな……」
僕は失言をごまかし、取り繕う言葉を必死に探すがーー
「リムルちゃんもいつかお嫁に行ってしまうでしょうしね……
家事はできるし、貴族的な嗜みも身につけているし。
容姿もとびきり可愛いですし、辛いことがあっても元気に前を向く強さも備えています。
想像すると寂しいけど、どこにお嫁に出しても恥ずかしくない娘ですよ」
良かった。
全く見当はずれの方向に思考が向かっている。
何故か涙ぐんでいるし。
「結婚か……それは何歳ぐらいでするものなんだ?」
「イフェスティオの女性の適齢期ですか?
身分や家族構成によって様々ですけど、だいたい14から18くらいでしょうか。
レクシーは長女な上、ああいう人間ですから婚期が遅れた方ですけど」
「……ファルカスとはどうなっているんだ?」
僕の問いにメリアから乾いた笑いが漏れた。
「着々と外堀を埋めていらっしゃるみたいですよ……
帝国劇場に寄付をしたり、ミルスタイン家の皆様に贈り物をしたり。
あと、最近食事や運動を改善しているようで以前より若干ほっそりとしてきました」
ファルカスが再び、旅に出る日も近そうだ。
翌日、僕は王宮に向かうと見せかけて、町外れにある帝都防衛軍の基地に向かった。
そこで昨日のうちに手配していた荷物を受け取る。
アイボリー色のフード付きのマント、胸と肩を覆う軽装の鎧、そして鋼の槍を2本。
近衛騎士の制服を脱ぎ、それらを身につける。
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【転生しても名無し】
『仕事熱心だねえ。
警護に備えてあらかじめモンスターを間引いておこうだなんて』
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任務の成功確率と僕の生存率を上げるために必要な過程だ。
護衛対象を守りながら戦うよりは安全だ。
それに最近ろくに戦っていないから、感覚を取り戻しておきたい。
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【転生しても名無し】
『ホムホム、もしかしてアイゼンブルグの奪還作戦に参加するつもり?』
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分からない。
だが、その準備はしておきたい。
帝都で皇后に仕えて、メリアとリムルと共に暮らす。
そんな風に残された時間を過ごせるとは限らないから。
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【◆野豚】
『ホムホム。本当に君は何の手立ても打たず、寿命が来るのを待つつもりなのかい?
延命できればもっと長い時間メリアちゃんたちと一緒にいれるのに』
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そのことについてはもう結論が出ただろう。
僕の延命はイデアの部屋の利になり過ぎる。
ブレイドたちが奴らを滅ぼしたとしてもホムンクルス技術が潰えるとも限らない。
そもそもあるかどうかも分からないもののために時間を使うことはしたくない。
以上だ。
装備を終えた僕は基地を出て、イフェスティオ山に向かう。
残された時間でできることをするために。